本日2026年3月15日(日)10:00~11:30、
第88回の哲学カフェin夙川を開催しました。
朝はまだ寒かったのですが、
時間とともに
だんだん春を感じる今日、
参加者は10名。
うち初参加の方が1名いらっしゃいました。
いろんな哲学カフェ(「哲学対話」とご本人はおっしゃってました)
に参加なさってきたとのことでした。
いつものように
今回のテーマの案や問いを
おひとりずつ出していただきました。
※「パス」なさった方が
おひとりいらっしゃいました。
①最近、テレビでNETFLIXの広告を
よく見かけるようになった。
楽しそうなコンテンツがたくさんある。
きっと、楽しく視聴できるだろうな。
そう思う自分と、
「こういうのを視聴しはじめたら、
あっという間に一日が過ぎてしまい、
なんとなく時間を過ごしてしまうのではないか?
それを後悔するのではないか?
自分と向き合う時間
というのを失くすのではないか?」
と思う自分がいる。
みなさんはどうですか?
という問いかけ。
②前回の、この哲学カフェで、
最近転勤した人が、新しい職場で
「ちゃんとしろ!」とよく言われる、
この経験をもとに
「ちゃんとしているラインとは、どんなライン?」
と問いかけた。
そのことがずっと頭に残っていて、
考えつづけていた。
雇われる側の立場ではなく、
雇う側の立場にたって
この問いを考えたらどうか?
という問いかけ。
もう一つ提案されたのが、
これも、前回の、
この哲学カフェでの
ある参加者の発言が引き金になって
考えつづけたこと。
「年齢を重ねると
考えることがなくなっていいですね」
と、ある参加者Aさんに言われて、
「そんなことはない、
むしろ命がけで考えているんだ」
と言いたいとのこと。
※ただし、Aさんがじっさいに言ったのは
「年を重ねると悩みが減ってくるのですか?」
という質問だったようです。
発言が
発言者の意図とは異なる意味
で受け取られることは、
ほんとぉぉぉぉーーーーに、
しょっちゅう、あります。
哲学カフェでは、
あるいは
この世は、
誤解ばかり
と言っても過言ではない気が
します。
その結果、
人によっては
「だから発言しても意味がない」
とか、
「発言などしない方がいい」
という結論になります。
でも、今回、誤解を解くチャンスがあり、
誤解が解けたようです。
誤解が解けたのは
誤解を解くための発言を
率直にしてくださったおかげです。
発言は誤解も生むし、
誤解を訂正もします。
さらに誤解を招くことも
ありますが。
③WBCの視聴者はどれぐらいいるのだろう?
という問いかけ。
④「私」の判断基準を
「私」はどこにおいているのかが
気になる。
この方は、最近、毎朝のように
YouTubeでイラン情勢のことを調べる
とのことでした。
記事は100件以上あるなかで、
「私」はある特定の記事を選んで視聴する。
このとき「私」はいったい何を基準に
記事の取捨選択をしているのだろう?
同じような思いが
みなさんにはありませんか?
という問いかけ。
⑤体育会系は
なぜ嫌われるようになったのか?
という問いかけ。
※その後の話し合いで
「体育会系」とは
「意味も分からずに
あるルールや規範に従わせられるような
集団・組織に所属すること」
といった意味合いのことであるようでした。
そのことが私にはすぐに理解できず、
トンチンカンなことばかり話してしまい、
恥ずかしい思いをしました。
⑥名前の不思議。
職場の都合で、
あるスタッフに
苗字を変えてもらうことになった。
苗字を変えるのは
そんなに簡単なものとは思っていなかった。
というのも、
名前はアイデンティティに関わるものと
思っていたから。
でも、「苗字を変えて」と指示された本人は
喜んでいるように見える。
名前というのは不思議だなぁ
ということでした。
⑦哲学カフェ(哲学対話)では
「政治、宗教、野球」をテーマにするのは
不適切と言われたことがある。
「その人のコアな部分に関わるから」
と説明されたとのこと。
ほんとにそうなのか?
という問いかけ。
⑧「時間」について。
趣味でしていることをやっている時間は
あっという間に過ぎる。
時間に遊ばれているようにも思う
と、おっしゃってました。
以上のような案を出していただいたあと、
話し合いは
「体育会系」「ちゃんとするとは?」「その人のコア」
から始まりました。
「他者に努力させるには
どうすればよいのか?」
「体育会系は
必ずしも嫌われていないのではないか?
営業職などでは
体育会系は頼りにされているのでは?」
「体育会系が嫌われる理由の一つとして
会社のホワイト化があると思うが、
会社や企業を越えて
社会全体のホワイト化が進んでいるのではないか?
それでいいのだろうか?」
そういった疑問や意見が出てきて、
話題は尽きませんでした。
「いったい、
何の話をしているのか、
わからない」
との突っこみも
多い回でした。
そういうことの多いのが、
哲学カフェin夙川です。
教科書的な感じの「哲学対話」
は、
どうぞ
よそでやってください。
ここでは
期待外れになりがち
ですので。
ただ、
「なんの話しをしてるのか
わからない」という突っ込みは
話題を明確にしたり整理したりするために
とても大切ですので、
そのときは遠慮なく
突っ込んでいただけると、
助かります。
私の個人的な印象は、
哲学カフェの話し合いが終わったあと、
食事しているときに
ある方が述べた
「今日は「魂」の話がなかった」
の一言でした。
そう言われると
たしかにそうでした。
「魂」。
大切なことを指摘された感じが
します。
今回は
頭でっかちになってしまった
かもしれません。
今日の話し合いも
すごく楽しかったのですが、
なにか物足りなさが
ありました。
それは
「魂」
と関係あるかも
しれません。
そんなことを言うと、
「魂って、なんやねん?」
と言う人が
かならず出てきます。
私もきっと
別の場所では
そういうことを
言うでしょう。
でも、振り返ると
ここ最近、毎回のように、
この哲学カフェでは、
「魂」を話題にしていたように
思いました。
「魂」ということばが
出てくるわけでは
ありません。
でも、内容は
「魂」。
そこに、
説明できない面白さが
あった。
そのことに
気づかされました。
じゃあ、次回からは
「魂」の話を交えればいいのか。
違うな
と思います。
わざと、意識的に、努力して、
「魂」の話をすることは
できないのでは。
そんなふうに
思うからです。
意識的に、努力して
「魂」の話をしても、
おそらく
おもしろくないでしょう。
哲学カフェは
生き物(生まもの)であり、
「魂」が関係している。
「魂」が
左右する。
そんな余韻を残しての、
第88回でした。
毎回、意味不明で
申し訳ないです。
次回の日時は未定です。