毎年のように、

阪神間でつばめの声を初めて聞いた日

を書き留めていますが、

今年は

昨日2023年3月22日

でした。

 

本格的に

春を感じます。

 

 

 

本日2023年3月19日、10:00~11:30、

第74回の哲学カフェin夙川を開催しました。

 

穏やかな晴天に恵まれた今日の

参加者は13名。

うち初めての方が

おひとりいらっしゃいました。

 

テーマは

「人を殺してもいい人など

いるのでしょうか?」

でした。

 

「人を殺してもいい人などいない」

ということを大前提として、

「でも、こういう場合は

もしかしたら

『人を殺すことに正当性がある人』

と多くの人びとに認められるのではないか?

その場合とは、

どのような場合でしょう?」

といった問いかけを

しました。

 

こう問いかければ、

おそらく

仇討ちや敵討ちの例が

出てくるだろうな、

と予測していました。

 

つまり

「大切な身内を殺された家族や血縁者は

加害者を殺してもいいのではないか?」

という意見です。

 

予測どおり、

この意見は出されました。

特に戦争と関連させて。

 

でも

それよりも

「病気の回復の見込みがなく、

本人がとても苦しんでいることに加えて、

その様子を見て苦しんでいる家族、

あるいは

植物状態になって自分の意志を表明できなくなった人

の看護に体力的にも経済的にも限界まできている身内は、

その人を大切に思う気持ちがある一方で

その人を殺したいと思うことがあり、

殺してしまうこともあるのではないか?

あなたが同じその立場に置かれたら

あなたは絶対そうしないと言えるだろうか?」

といった問いかけが

具体的・個別的な事例をもとに

いくつか出されました。

 

「家族を殺した加害者を

被害者家族のメンバーは

殺してもいい」(敵討ちタイプ)

から

「家族に精神的・経済的な負担を

過剰に負わせるメンバーを

同じ家族の他のメンバーは、

(本当は殺したくないし、

殺してはいけないとも思っているけれど)

殺してしまうかも……」(介護殺人タイプ)

へと、

「人を殺しても仕方がない代表的ケース」

のイメージが

変わってきていることに

今日の話しあいで気づかされました。

※難病患者や障害者、植物状態にある人は家族に殺されても仕方がないなどという主張などでは毛頭ありませんので、誤解のないように願います。

今日の話しあいでは、家族をそこまで追い込んでしまう、この社会のさまざまな制度の不備や、日本社会の慣習(「家族の面倒は家族だけでみるのがあたりまえ」といった考え方など)の問題点も議論されました。

 

ほかにも

死刑制度のことや、

赦すことで復讐心を克服する可能性

など、

さまざまな意見が交換され、

今日の陽気のように

穏やかに話が盛り上がったように

感じました。

 

ご参加くださった方々に

感謝申し上げます。

 

次回は、

花見客もいなくなった頃合いの、

2023年4月23日(日)10:00~11:30、

場所は阪急夙川駅前「洋麺亭 さんれも」。

 

テーマは

今日の参加者から出たリクエストにお応えして、

「ある情報が偽の情報であることを

あなたはどのようにして見抜きますか?」

にします。

 

 

 

土の大切さ

を描いた映画

と感じました。

 

主人公も

土について

とてもおもしろいことを

語っていました。

※具体的なセリフを

正確に思い出せませんが。

 

土がなければ生活できないこと

を映像は主人公の日々の行動を描くことで

丹念に、丁寧に表現していました。

 

沢田研二主演の

『土を喰らう十二ヶ月』

という映画

も同様です。

 

こちらは

畑仕事と同時に

畑から収穫したものを

どのようにしていただくか、

について

やはり丁寧に描いていました。

 

土という

人間の生活の原点

を、ちゃんと描こうとする

これらの映画も、

忘れられない作品

となりました。

 

そして

自分の生が

いかに貧困なのか、

思い知らされました。