哲学カフェin夙川(哲学カフェin船坂改め) -13ページ目
この1月中旬頃、
神戸は三宮の、さんちかにて
古本市をやっていました。
そこで偶然
福田恆存の『保守について』
を見つけ、
どうせ読んでもわからないだろう
と思いながら
適当にページを開いて読んでみたら、
おもしろくて、やめられないのです。
「どうせ読んでもわからないだろう」
と思ったのは、
これまでに何度か
『人間 この劇的なるもの』
に挑戦して、
そのたびに、撃沈してきたからでした。
大学の授業で
『私の國語教室』
を紹介されて読んだときが、
福田恆存との出会いでした。
もちろんこのときも
途中で放り出して、
おもしろそうだけれども
私には縁遠い人
という印象を得ただけ
でした。
それで
久しぶりに
『人間 この劇的なるもの』
に再々々々々々チャレンジしてみましたら、
読み通せたのです。
福田のいう「劇的」とか
「演戯」(演技ではありません)
が難しくて、
ちゃんと理解した
などというつもりは
ゼロですが、
読むのをやめられなくなりました。
その勢いで、
捨てようかと思っていた
『私の幸福論』
も、一気に読んでしまいました。
ちなみに
新潮文庫版の『人間 この劇的なるもの』
には、解説とは別に
坪内祐三の文章が
巻末に掲載されています。
坪内は本書を
若い人に薦めています。
還暦を越えて
初めて本書をおもしろい
と思った私の精神年齢は
かなり幼そうです。
若い
のではなく
幼い
のでしょう。
また、ちょっと
自分のことが自覚できたような。
恥ずかしい。
いわゆる
「考えさせる映画」
なのでしょう。
好みの映画ではなく、
おもしろいとも思わないのですが、
たしかに考えさせられます。
相手に「罪」があると思わせ、
その「罪」の恐怖に相手を陥れ、
こちらは
その「罪」を許してやる立場に
たつ。
そうすることで
相手を「支配」する。
一見「寛容」にもみえる
その態度のうそくささ。
その象徴として
本作は「男性」や
「キリスト教」と「教会」
を描きだします。
それらが巣くっている
現代韓国社会
を告発しようとしている
ようにも感じました。
相手に「罪」があることにして
相手にそれを信じさせ、
相手を怯えさせ、
その「罪」を許してやる
という「うそ」によって
相手を支配する。
いろんなところで
いろんな人が活用している
支配の技術
なのでしょう。
自分の「罪」は
全面的に
棚に上げて。
棚卸って
むずかしいのですね。
自分の
棚卸し。
あけまして
おめでとうございます。
遅くなりましたが、
今年もよろしくお願いいたします。
そう挨拶しておきながら、
こんなことを申し上げるのもなんですが、
しばらく哲学カフェin夙川の開催は
見おくりたいと存じます。
昨年は4月から
通常の仕事に加えて、
毎月1~2回の東京出張が
始まりました。
1回につき3泊4日
です。
ずいぶん
くたびれました。
夏にコロナに感染して以降は、
とくにくたびた感じです。
ちょっとしたことで
風邪をひいたり、
腹痛に悩まされたり
するように
なりました。
ちなみに
くたびれたを漢字で書くと
「草臥れた」
なんですね。
人間に踏まれまくった雑草
のイメージがあります。
話を戻しますと、
そういう無理がたたったのか、
ひとに話す意欲も
人の話を聞く気力も
しおれてしまいました。
ブログになにかを書きたい
という気持ちも。
あと1年ちょっと、
東京での仕事がつづきます。
他の運営人も
役職に就いたりして
忙しい様子で。
というわけで
しばらく
哲学カフェは
休憩させていただきます。
1月の開催を期待してくれた方には
申し訳ありません。
読むのと見るのとは
まだできるようなので、
おもしろかった映画や本
があれば、
ブログで紹介していきます。
ちなみに
昨年一番おもしろかった映画は
『宇宙探索編集部』でした。
UFOや超常現象に憑りつかれた
中国の中年男性が主人公の物語です。
自分を見る想い
が、しました。
一昨年は『NOPE』でしたから、
相変わらずの嗜好です。
では、再開の時を楽しみに。
※コメント等へのご返事には
かなり時間がかかると思います。
そもそも、ご返事しないことも
ありうるのですが、
ご容赦ください。
この内容に「いいね」がついたら、
それは
「ずっと休憩しててね」
「再開しなくていいよ」
という意味なのだろうか……。

