幼少期にに学んだお金の価値観/どっちがホント | 不登校 引きこもり支援 /ママのサポート

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幼少期は親の価値観によって育っていく。

親の考えはお父さん お母さん違う。

 

昭和35年に生まれた私は戦後育ち。

真冬の雪の降る夜19時にお産婆さんが間に合わず馬小屋で生まれた。

1500グラムの未熟児。

さぞかし 両親は心配したことだろう。

 

 

 

1960年 12月20日生まれ

 

今年は還暦!!60歳

 

 

大病をしたことはあるけどそれなりに生きてきた。

そんな私が人生の中でいまだに苦しんでいることがあります。

 

 

それはお金に対する考え方です。

戦争後に生まれたから金銭感覚がどうのこうの?ではなく

お金に対する価値観です。

 

心理カウンセラーとして活動する中でいまでも私を苦しめている

頭の中に悪い映像があるんだよ。

 

宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人宇宙人

両親はいつも朝早くから夜中まで働く立派な人でした。

 

 

母親は美容師の資格は持っていましたが

父と結婚して魚をさばく仕事に付き寒い冬でも荒れた手で

冷たい水に手をつけ店に並べる魚を扱っていました。

 

おしゃれ感覚が全くなく口紅すら持ってなかった母親

お洒落な洋服は一枚もなかった。

 

しかし父親は違いました。

 

土木業の仕事をしていた父親。

 

大分県の別府でボーリング業をしていました。

ボーリングとは....

つまり温泉を掘る仕事です。

 

やはり父の仕事も暑さ寒さが厳しい問いは汗を流しながら

又雪の寒さで手が冷え切ってヤグラを立てるのは命がけの仕事でした。

 

 

 

しかし 二人の両親は働き者で休むことなく毎日が仕事手

 

子供だった頃の私と3歳年下の弟はいつもおばあちゃんの家で

過ごすことが当たり前になっていました。

 

 

子供心に頭に焼き付いていたのは

仕事着ばかりの父親の姿と魚をさばいてる母親の姿

 

特に何も問題ない家族に感じるでしょう?

 

でも私の中の価値観の話はここから始まります。

 

 

 

子供は生まれてからお父さん お母さんからいろんな言葉や動き

顔の表情を観察しながら育っていきます。

 

 

私の母は産後に無理をした為か、入退院の生活が続きました。

 

 

毎日のように病院に行き母親のベットの上でゴロゴロしてた記憶が残ってます。

 

 

言葉数がとても少なくて、口を開けば「静かにしなさい」「うるさいよ」など…

 

よーく怒られました。

 

 

父親は感情が豊かで泣きそうな顔をした私の頭を良く撫でてくれました。

 

 

無言の愛情表現ですピエロ

 

 

 

そんな父親の優しさが大好きで母親に対しては

「怖い」というイメージがいつもありました。

 

 

しかし 中学に入ったころからある違和感がいつも心の中にありました。

それは お金に対する扱い方の違いです。

 

 

 

母は懸命に働き少しずつでしたが貯金をするタイプでキッチンには

可愛い小さなかごがあり中には小銭がいつも入っていました。

 

 

 

買い物をしてお洒落をするタイプではなく小銭をいつも大切に扱い

食べ物に関しても庭で出来た大根や白菜などで

料理をし余り買い物には行かなかった。

 

 

 

 

子供の頃の私はお菓子を買ってほしくて、母親の仕事が終わるのを待って

チロルチョコを一つ買ってもらうのに

どれだけわがままを言ったことかチョコレートふぅ~

 

 

子供ながらに苦労したよ。

 

 

反対に父親はお金の使い方が母親と違い半端なく荒い。

 

 

外面がいいと言うのは父親の事だと認める私です。

 

 

今思えば仕事が成功し

お金が入ってくると両手におかねを握り(数百万)外で自慢する。

 

 

 

自慢するだけならまだしも 大胆にも高額なものを購入する。

 

しかし事業してた父親には、かなりの借金があったのに返済するより

親戚を集め宴会をして楽しむことを優先してました。

 

 

娘の私には好きなものをなんでも買ってくれた。

 

 

中学生の私は正直そんな父親がカッコイイと思った。

私が好奇心が旺盛になったのは父親がやりたいことを否定することなく

何にでも挑戦させてくれたからだと思う。

 

 

 

父親の「好きなことをしなさい」の言葉は勇気となり

私は人見知りも恐怖も何もなかった。

 

 

私は自由だった。

拘束されることなく生きていけたことは父親がいたからだと

確信していたので父親が大好きでした。

 

 

 

しかし

そんな父親を母は許さなかった。

父がお金をバラまくように使うとき母は荒れる。

 

 

まるで凶器を持って父を殺害するのではないこと思うほど荒れた。

 

 

 

私は母を嫌った。

お酒を飲み酔いつぶれた体で父を殴りつける。

父は母を跳ね飛ばし怒鳴りつける。

 

私は母が嫌いだった。

何故 お酒を飲んで暴れるのか?

気が狂ったように暴れる。お酒が力を貸しているのか?

子供の私には理解できなかった。

 

 

 

親の価値観は子供に大きな影響を与える。

何故 母がお洒落もせず 口紅の一つも持ってなかったのか?

私は知らなかった。

 

何故 母がお酒におぼれ暴れたのか理解できなかった。

 

 

母は荒れ果て気が狂ったようになる

父は大きな声で母を怒鳴りつける。

 

 

 

そんな日々が約6年繰り返し繰り返し続いた。

 

産まれてこなければ良かった!!

流石に高校に入学するころにはそう考えるようになってました。

 

人は環境により人生の捉え方に生きずまり行動がストップする。

お金を自慢し見せびらかす父

小銭を握り贅沢は一切しなかった母

 

この二人に育てられた私と弟

環境 価値観 生育歴 

 

すべてが引きずられる。

いまでも時に息苦しくなる。

 

お金に対する考え方

子供の頃は親の考え方をどっちが正しいのかわからないまま育ってしまう。

それが性格となり生きにくさを時として感じる。

 

もうすぐ60歳になろうとする私ですら

まだ親の価値観に引っ張られるときがあります。

 

 

 

結局母が怒り狂った原因が分かったのは父が亡くなった後だった。

母の兄弟から借りてた高額の返済を父はしないままこの世を去りました。

 

 

堪忍してよ!!お父さん.....

 

 

そりゃーお母さん怒るわ。

 

あの世で喧嘩しないでゆっくり話をしてください!!と伝えたい。

 

 

私の人生はこれからです。

 

母が大切にしてた小銭

父から得た大胆な生き方

すべて私の宝物です。

 

 

母:昭和64年 8月17日   享年50歳  肝硬変にて永眠黄色い花

父:平成30年 12月19日  享年83歳  悪性リンパ腫にて永眠もみじ

 

ゆっくり休んでくださいクローバークローバークローバークローバークローバー