人はいつだって「自分が信じている世界」に生きている。
でもなかなかそのことに気がつかないものなのかもしれない。
同じ場所に立って、同じ方角を向いていたとしても、同じものを見て
同じことを考えているかどうかはわからない。
まっすぐに前を見ているかもしれない。
右の砂浜にいる人を見ているかもしれない。
左で釣りをしている人を見ているかもしれない。
空を見ているかもしれない。
同じ日に同じ場所で同じものを見ている(と思っていても)
同じはあり得ない。
そこには必ず「自分」というフィルターが入る。
↑数年前のチビ。(海ほたるにて)
船を見てるのかと思ってたら、飛行機を見ていてびっくりした(´艸`*)
「自分が信じる世界」は人によってまったく違う。
それは同じ場所に立って、なにを見るか、なにを感じるかが違っているように。
↑
【盲人たちが象の鼻や足、耳をそれぞれ撫でて触って、
まったく異なった解釈をするというもの。
鼻を触った者はこれは蛇だと言い、足を触った者は木の幹だと、
耳を触った者は扇だと言う。
象のことを、蛇だ、樹だ、ロープだ、壁だと、それぞれが、自分こそが正しいと主張する。
一部の情報だけで、すべてを知ったかのように判断すると確実に間違える。】
↑
数年前、お店での講座開始してすぐに外に虹が出た。
虹が出てるよ!と教えてもらえたから、みんなで外に出て虹を見ることができた。
気がつかなかったら、あの日私たちはこんなに近くに虹が出ていても、
「虹の出ていない」世界にいたことになる。
自分が見ていない、自分の知らない世界は、存在しない。
自分が信じている世界しか自分の生きる世界には存在しないということ。
虹が見えたらきっといいことがある♪と信じている人にとったら、
虹が見られる=とても幸せな予兆で嬉しいこと。
でも、虹なんて別に自然現象でしょ良いも悪いもないと信じている人にとっては、
虹?それがどうしたの?ってことになる。
すべてそう。
人はみんな「自分フィルター」を通して物事を見て判断して、
喜んだり悲しんだり怒ったり、気づいたり気づかなかったりしています。
この世に生まれてからずっと「自分の視点」からだけ、
自分の生きている世界を見ているのだけど、
そんなこと普段意識しないので、なんとなく周りの人たちも自分と同じように
世界を見て信じているような気がして日々を過ごしています。
でも、
自分が信じていて見ている世界と、あなたの横にいる人が信じて見ている世界は
同じはあり得ないということ。
「自分の信じる世界」は人によってまったく違う。
暗いニュースだけを見て世界は恐いと思いながら生きている人も、
明るいニュースに意識を向けて世の中まだまだ捨てたもんじゃないと生きている人も、
同じ国の同じ場所に同時に生きている。
人は「自分の見たいように見たいものだけを見て、
自分の思いたいように思い、信じたいように信じ」て生きています。
それが「あなたの世界」を作っています。
それぞれみんな「自分の信じる世界」に生きているということを知ること。
自分の世界は「自分が信じているもの」によって創られているということ。
それを知っているだけで、「あなたの世界」がちょっと変わる気がします。