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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

元不登校だった子が通える通信制の高校は日本にも多くあります。

そして不登校生の留学というのも現に多く存在しています。

なぜ途上国なのか?ということをここでお話させていただきます。

まだ構想段階ですので、とんちんかんなこと言っているかもしれませんが、

結構自分の中ではしっくりきていますので、思い切って書いてみます・・・。


・・・

まずは日本国内の通信制高校との違い


①将来の選択肢の拡大!
日本国内で通信制高校に通った場合、どうしても将来の選択肢が「日本の中から」と限定されてしまいがちになるんじゃないかと思うんです。

「日本の大学・専門学校進学 → 日本の企業就職 → 生涯安泰」

というひと昔前の「神話」は21世紀、保証されなくなってきていることはもう色んなところで言われ始めています。

またその「神話」の中で育ってきた多くの教師たちも、その「神話」があたかも最善かのように進路指導する場合が多々あると思うんです。

また通信制の中には自然体験をさせるところもあります。

「自然の力」は僕自身、ちょっと滅入っていた時にすごいパワーをくれたので、自然と戯れることは本当に素晴らしいことだと実感しています。

でも日本の中で自然に戯れた先に、将来の進路はやっぱり国内に留まいがちになってしまうんじゃないかと思うんです。

今15歳の高校1年生が退職するのは50年後の2063年。

本当に僕らは2063年のことを考える必要があると思うんです。

途上国の通信制高校に通えば、日本の授業内容なので日本の「大学・専門学校進学」という選択肢は残しておきながら も、現地の大学に行こうとか、海外の大学に行こうという 選択肢が増える んじゃないかと思うんです。

選択肢が増えるにこしたことはありませんし、選択を自分で下せることは、自分の人生を生きている証拠になっていきます。

ちなみに途上国にも手つかずの自然はたくさんあります。


②人生の逆転劇!
大半の同級生が全日制に通う中、通信制に通うことは、人によってはちょっとした負い目を感じることもあるかもしれません。

現に中学の先生も、生徒に通信制を進めることを躊躇うとも聞いています。

せっかく通信制で頑張っているのに、全日制に通う多くの子たちに引け目を感じながらって、ものすごくもったいないと思うんです。(もちろん感じない人も多々いると思います。)

そんなことだったら、途上国で暮らし、そこで周りを気にせず勉強しようじゃないか!と思うんです。

しかも現地語も学んで、現地の人とコミュニケーションとるために英語を使って。

そしたら、将来ものすごい自信につながると思うんですよね。たかが言語、されど言語。

例えば将来、就職するときも、そこの現地語が喋れて、実際に暮らしていたことがあるって、ものすごい武器になると思うんですよ。

周りを気にせずに高校生活を送っている一方、気がついたら、いきた武器を身につけてるんです。

人生の逆転劇が始まります。

・・・

続いて他の 不登校生の留学との違い について・・・


③「常識」を超える!
今、ほとんどの不登校生の留学はアメリカ、オーストラリアをはじめとする英語圏に集中しています。

英語力をつけて、海外へと選択肢を拡げるという意味では、同じ考えだと思います。

でもバヌアツ、フィリピン、コスタリカ、タイ、インドの田舎と実際に行って、またオーストラリア、アメリカとそこで実際に留学して思うことがあるんです。

それは、オーストラリアやアメリカで受けた衝撃よりもバヌアツやフィリピン、インドで受けた衝撃の方がはるかにきいんです。

つまり何が言いたいかというと、英語圏は所詮、日本と同じ 先進国の常識 で動いているんです。

日本の枠にいきづらさを感じる子達が必要としているものはその 常識を超える ことだと思うんです。

途上国を旅された方なら誰でもご経験あることかもしれませんが、

「えっ?!これもあり!??」

という場面が日常生活の中でいくつも転がってるんです。笑

「こうしなければならない!」「こうあるべき!」でがんじがらめになっている「常識」を超えて、これもあり!」という発想 が身につけば、どれほど になるかって実体験からそう感じます。


④英語と現地語の取得!
以前、アメリカの大学院生活に関するブログでも書きましたが、今、実際に英語を話す人口はネイティブよりも僕ら日本人を含めるノン・ネイティブの方が多いんです。

実際に途上国で生活をすれば、現地の人達とも英語で会話をすることが多くなると思います。

お互いが英語学習者、でもその中で意味がわかるように伝えたり、交渉したりする過程で生まれる英語が本当に いきた英語 だと思うんです。

英語の発音がアメリカンだとかブリティッシュだとか、普段ネイティブしか使わないようなフレーズを知っているとか、正直どうでもよく感じるんです。

それよりもお互いが理解しうるだけの英語力があり、なおかつそこの現地語と、3か国語、喋れた方がどれだけ世界観が広がる と思うんですよね。

言語と文化は密接に結びつきあっていて、色んな言語を知ることで、色んな世界観が見えてくるんです。

「日本」という「世界観」しか知らなくて生きづらくしている人が本当に多いって感じるんです。

3つの世界観を自分の中で渡り歩けるようになると、生きることが楽になるんじゃないかって。

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最後に日本の 全日制高校との違い について一つ言及してみます。


⑤創造力が育める!
自民党政権に代わり、ますます知識偏重の教育が行われることは目に見えています。

今、日本の教育の根本的な問題は「正解」が1つしかない知識詰め込み教育 であることはずっと前から言われています。

この混沌とした時代に必要なものは いくつもの「別解」を描ける創造力 であるということもずっと言われています。

でも自民党に代わり、さらに知識の詰め込み教育が強化されることは容易に想像できるんです。

「ゆとり教育」が悪いんじゃありません。

「ゆとり教育」のやり方、指導できる人の欠如が問題だったんです。

通信制は 全日制に比べて 卒業するための 単位数が少なく なっています。

その代りに様々な 特別活動 をする時間をもつようになっているんです。

これは一見ハンデみたいに見られますが、実はチャンスなんです!

今、この時代に一番必要とされている 創造性を育めるチャンス なんです。

途上国では現地で生徒たち自身がこういうことが出来るんじゃないかって想像させてボランティア活動 をすることができます。自分たちで考えて自分たちの手で足でもって動けます。

もちろん知識も大切です。

でもそれと同じくらい経験学習も大切です。

そのバランスが単位を取りながら可能になる通信制に限りない魅力を感じます。

・・・


ここまで読んで頂きありがとうございます。

ざぁ~っと主な点だけ書いていきましたが、まだまだありますホントに。

まだ頭の中で考えていることで地に足がついていませんが、もしこういう学校があったら・・・

皆さんどう思いますか??

今まで見てきたこと、聞いてきたこと、感じてきたこと、考えてきたこと・・・。

その全てが繋がって、僕は将来、

「途上国に不登校生の通信制高校を創る」

という夢をもちました。


日本の授業を提供することで 日本の大学進学 という選択肢は残しておきながら、午後は現地の子ども達に ボランティア活動 などの 経験学習 をして、逆に現地の子ども達が 生きる意味 を教えていくという学校です。


現地語 英語 も学んで、日本の高校生が例えば、東南アジアの大学 とか日本の中だけにとどまらず、色々な 別解 を描ける、自由を与える学校を創ります。


・・・


生きる意味を見失った青少年が途上国の子ども と3年間過ごし、つながる ことで、例えばこの子を高校に通わせたいという想いを抱いて、将来稼いだちょっとしたお金でその子が学校に通えるかもしれない。


またその高校生も「その子のために」って生きる意味を持つかもしれない。


実際に現地の子どもはそのお金で高校に行き、貧困から抜け出せるかもしれない・・・。


そんな夢を描いています。


また現在、日本でいきづらくしている青少年も、ただ 日本という枠 にハマらないだけで、のんびりした 途上国の枠 にはすんなりハマるかもしれません。


そしたら 人間関係の捉え方も変わる かもしれません。


・・・


まだまだ挙げればきりがありません。


また次回つづきを書こうかと思いますが、


僕はこの学校に無限の可能性を感じています。

Connecting the dots
(点が繋がる。)


スティーブ・ジョブズの有名なスピーチに出てくる言葉。

心が動く方へ従って得てきた一つひとつの「経験」。

それが「点」。

経験している最中はバラバラに見える「点」も、振り返ってみると一つに繋がる。

その繋がったものが「線」。

そしてその「線」が自分の人生に、社会に大きな変化を生み出す。

だから恐れずに、自分の声に、心に従って生きろ。


これがジョブズのメッセージでした。

・・・

鎌田先生の『〇に近い△を生きる』を読み、「別解」という言葉に出逢った翌日の朝。

喫茶店の外で一人、この本を横にして日記を書いていると、頭の中で次から次へと今まで経験してきたことがポンポンポンポン蘇ってきたんです・・・。

今まで自分自身の目と、耳と、手と、足と、ハートで得てきた「点」たちが・・・

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「この国はフレンドリーな人ばかりだから僕らは海外に行く必要なんてないよ!」と言うバヌアツ人の笑顔。


「病気の人を病院に運びたい」というバヌアツの子どもたちの顔。


ゴミ山で生きる子供達にボランティアをしてた16歳の元ギャングリーダーの笑顔。


実際に教育を受け、ゴミ山から抜け出した12歳の子どもの姿。


インドの郊外で人の愛情を感じながら生きていたハンセン病患者の笑顔。


石巻で、瓦礫撤去ボランティアを活き活きとしていた引きこもりの姿。


震災直後に全国からテントを担いできた人たちの元バックパッカー、登山家の多さ。


タイの高校を出て、オーストラリアの大学で一緒になった日本人の女の子。


インドの高校を出て、マレーシア人と付き合いながら、オーストラリアの大学で勉強していた姫路の女の子。


「耳かき」でも仕事になる「常識」を超えたインドの路上。


「こんなことならバヌアツで生まれたかった」という大阪の進学校の高校生からもらった手紙。


「学びは教科書の中にあるんじゃなくて、あなた達の頭とハートにあるの」と言って、教科書を投げ踏みつけた大学院の教授の姿。


浪人時代、サテライト授業で東京にいるカリスマ講師陣からもらった希望。


いつもコスタリカ人から「アミーゴ、アミーゴ」と声をかけられ癒された日々。


「全ては条件づけられていて、常に「常識」を疑い、そこから解き放たれる必要がある」というブッダの教えを学んだタイの山奥。


パウロ・フレイレ、ケン・ロビンソンという教育者の思想。


メーカーなのに自社工場をもたない会社。


部落のために走り回っていた石巻北上町の農家の姿。


コスタリカでコミュニティー・スクールを営むメアリーの後姿。


鹿児島の大自然で、精神が満たされたあの日。


そして・・・

14歳にも関わらず、「自分を変えたい」という決意のもとニュージーランドへ飛び立つために空港へと向かった不登校の少年の後姿・・・。

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・・・

(あれ?むむ?あれあれ?むむむ。 あ~・・あれ?!!むむむ?!)

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まだまだ挙げたらキリがありません。


頭の中で、今までバラバラだった「点」がシュパンッと一本の「線」につながったんです。


自分の中で、途上国で「生きる」人達の姿と日本で「生きにくく」生活している青少年達の姿が、「教育」というものを媒体に繋がったんです。

・・・

生涯かけてやりたい「夢」が、見つかった瞬間でした。


・・・

僕なりの「別解」が、自分なりにこの社会に貢献できる「別解」が、見つかったんです。
 


『〇に近い△を生きる』

鎌田 實 著

ポプラ新書の創刊号。

僕はこの本に救われました。

道に迷ってどん底だった僕に、「希望」という2文字を与えてくれたんです・・・。

・・・

2013年9月22日。

本当に将来、これからどうしようか迷い迷い滅入ってしまい、やっと一歩踏み出せそうになってきていた時のことでした。

ふと本屋に立ち寄り、この本を手にとったのです。

(『〇に近い△を生きる 「正論」や「正解」にだまされるな』・・・なんだこれ??)

その場で表紙を開き、「はじめに」の部分を読んでみました。

・・・

・・・

そこで出逢ったメッセージに、心にブワァ~ッてドンドン何か熱いものが溜まってきている感覚がしたんです。

格闘ゲームで体力ゲージがグイ~ンッてあがるような感じ・・・。

うまく表現できませんが、本当に心の中に光のようなものが差し込んできました。

・・・

以下、その「はじめに」の部分の抜粋です。

・・・


はじめに

世界一、とは言わないが、とにかく「変」な本をつくってやれと思った。

「がんばれば幸せになれる」を唯一の「正解」として、日本で生きてきた。

ベビーブームの子供だったので、競争が激しかった。

貧乏だったので、がんばって、がんばって生きてきた。

発展途上国の貧しい国の子供達が「ぼく達は幸せ」と、

豊かになった日本の子供達よりも、目を輝かせている光景を見た。

本当に、がんばれば幸せになれるのか。

唯一の「正解」に不信感が芽生えた。



がんばるという「正解」を、日本人が好きなのは知っている。

でも、がんばらないという「別解」もある。

がんばらないというのは、がんばることを否定していない。

相変わらず、がんばらないと言いながら、ぼくは、がんばっている。

がんばったり、がんばらなかったりが大事。

働きすぎのあなたに、「がんばる」いっぺんとうではない、

〇でも☓でもない、〇に近い△の生き方があることに気づいてほしい。



いい子と悪い子。勝ちと負け。

ぼく達は勝手にそれに〇と☓をつけてきた。

〇と☓のレッテルを貼る生き方はお手軽だ。

ぼく達はレッテルを貼るのが好きな動物。

勝ちが〇で負けが☓、本当だろうか。

子育てに苦労しているお父さん、お母さん、気づいてほしい。

勝ちのような負けがあったり、負けのような勝ちがあったりすることを。

「現実」は「正解」を超えている。



〇と☓の発想法は堅苦しくて不自由でおもしろみがない。

〇と☓の間にある無数の△=「別解」に、

限りない自由や魅力を感じる。

〇に近い△の生き方は、柔らかな生き方だ。

このことを理解できない人は、なにをしても成功しないだろう。

組織の中で潰されそうなあなたに、

無数の△の生き方があることに気づいてほしい。



「正解」や「正論」にこだわらなくなると、考え方が自由になることを、

若い人に気づいてほしい。

「正解」に囚われないと、多様な価値観がわかってくるようになる。

他の人の生き方に共感したり、拍手を送ることもできるようになる。

相手を汚い言葉でののしるヘイト・スピーチは、下品だと気づくだろう。

唯一の「正解」を信じる生き方は、時代遅れで窮屈だ。

生きるということは、たくさんの△の中で、

「別解」を探していくということ。

〇に近い△を生きるということは、

「別解力」をつけるということだ。



まだまだ人がやっていない新しい△はいっぱいあるはず。

フロンティアは残っている。

そろそろ、ぼく達はこの国を変えなければならない。

若い人の力で、この国の生き方を変える時期が来ている。

沈んだ空気の中で空気を読み合うのではなく、

子供や若者のために中高年の人は、

空気をかき回したり、空気を入れ替えたりする、勇気を持ってほしい。

がんばれば豊かになれる、という古ぼけた「正解」から離れて、

〇に近い△=「別解」を見つけにいこう。

☓でも〇でもない、無数の新しい△を信じて、生きてみよう。

人生が輝いてくるだろう、きっと。

生きるのがまちがいなく、おもしろくなる。 信じていい。


・・・

この「はじめに」の部分を読み、その場でしばらく立ち尽くしてしまいました。

そして、何度もこの部分を読み返しました。

・・・

「現実」は「正解」を超えている・・・。


無数の△=「別解」に、限りない自由や魅力を感じる・・・。


そろそろ、ぼく達はこの国を変えなければならない・・・。


若い人の力で、この国の生き方を変える時期が来ている・・・。


がんばれば豊かになれる、という古ぼけた「正解」から離れて、〇に近い△=「別解」を見つけにいこう・・・。


☓でも〇でもない、無数の新しい△を信じて、生きてみよう・・・。


人生が輝いてくるだろう、きっと・・・。


生きるのがまちがいなく、おもしろくなる・・・。 


信じていい・・・。


信じていい・・・。


信じていい・・・。

・・・

その晩、何か自分の中が変わり始めていたことに、気づきました。

よく「生きる力」を養うことが教育の中心にあるように言われます。



「生きる力」・・・


一体なんなんでしょうか?


食っていくことも「生きる力」ですし、腕力があることも「生きる力」かもしれませんし、1つの決まった「正解」はないと思います。


でも、僕は「倒れたところから立ち上がれること」だと個人的に思っています。


倒れても、命を絶つことを選択せずに。


歩けずとも、他人が笑おうと、とりあえず「立ち上がること」を選択すること・・・。


・・・


その力って、どうやって身につけることができるんでしょうか・・・


レールに乗っていれば身につくんでしょうか・・・


巷に溢れかえっている「20代ですべきこと」などの処世術を身につければいいんでしょうか・・・


生きる力って、どうやって身につくんでしょうか・・・
9月中旬、鹿児島から福岡に戻り、再度これから歩いていく道を考え始めました。


公立高校、私立高校、大学で講師、はたまた博士課程・・・


ちなみに、これは後から知ったことなんですが、今、大学院を卒業した日本人学生の5人に1人は就職先が見つからず、自殺願望に駆られているらしいんです。


大学新卒採用。


日本社会の「枠」というものが嫌というほど見えてきます。


(あーこりゃレールに乗れん人間にとっちゃ、生きにくい社会やなー・・・)


(引きこもりって言われる人が100万人超すって、ちょっとわかるわなんか・・・)


(不登校生とかこの感覚を12、3歳くらいから持っとるっちゃろー・・・マジたまらんな・・・)


(しかもそのレールがもはやこの先真っ暗になってきよるのに・・・)


(なんかそのレールに乗せていくような教師とかなりたくねーよなー・・・)


(あれっ?てか俺、そういうのに歯向かおうとして教師になりたいって思って、破天荒な代ゼミの講師に憧れとったっちゃないと18歳の時?)


(予備校講師がドン底やった自分に希望を与えてくれたようなことをやりたかったっちゃないと?)


(やったらくさ、リスタートの部分で、俺は働きたい・・・。英語教師かどうかは二の次で。)


(その分野なら、もしかしたら貢献できるかもしれん・・・。)


・・・


「通信制」という高校の形態があることを知ったのは、まさにそんなときでした。


・・・


「リスタート」


この言葉に、何か、深いドラマを感じます。


・・・


なんか一歩踏み出せる気がしてきました。
桜島に問いかけ続けても、何も答えは返ってきませんでした。


翌日、列車に乗ってさらに南へトコトコトコトコ、指宿市に到着しました。


何もない駅前。


(ここも日本か・・・)


心身ともに疲れてた僕は温泉に入れば治るとでも思っていたのでしょうか、バスに乗り、数百円で入れる温泉へ。


・・・


温泉に入ったからって、あまりなにも期待していませんでした。


でも、そこで僕を待ち受けていたのは錦江湾が目の前に大パノラマで広がった露天風呂でした。


岸壁が左手にそびえ立ち、トンビが空を優雅に舞い、大海原がこれでもかというくらいに広がる、手つかずの大自然が目の前に・・・。


(うわああ・・・)


言葉を無くすってこういうことなんでしょうか。


心の奥底が満たされてきている感じがものすごくありました。


「ギューッ」って、心が満たされるっていう感覚が本当にありました。


・・・


風呂から上がり、市内へまた電車で。


指宿駅では地元のおじいちゃんおばあちゃんがハッピを着てお見送り。


列車の窓の外、小学生や市役所の職員の方たちも手を振り、お見送り・・・。


(温かいな・・・この町・・・。ここも日本やもんね・・・)


・・・


市内に戻り、再び桜島の目の前へ。


・・・


ちょっといつもより気分がラクになっていました。


(桜島さんよー、おれ、なんか、ちょっとまた腰上げれそうやん・・・)


・・・


・・・


(桜島さん、おれ、やっぱ教育者ってやつになりたいったい・・・)


・・・


・・・


(なりたいならなりなさい・・・)


・・・


・・・


・・・


また格安バスに乗り込み、福岡へ。


9月中旬のことでした。


それから、通信制高校というものに出逢い、ある本に出逢い、トントン拍子で全てがうまく回り始まることなんて、当時、僕は知る由もありませんでした。
9月吉日。


完璧ブレーカーが落ちてしまい、動けなくなりました。


(もう終わったな・・・)


自分で自覚があっただけよかったと今になって思いますが・・・。


・・・


身体が少し楽になったとき、かばん一つで格安バスに乗り、ひたすら南へ南へ、鹿児島に向かいました。


何を求めて向かったのでしょうか?


もうあまり覚えていません。


・・・


夕方着いた鹿児島港。


バスを降りると、錦江湾の向こうに、夕日で赤く染まった桜島が・・・。


(あー、桜島・・・。)


夕日で色が変わりゆく桜島をただただ眺めながら、僕はその場に座り、桜島から出る煙雲を追いかけました。


(桜島さんよー、おれ、どげんしようか・・・)


・・・


翌朝、まだ太陽も出ていない早朝、再び桜島の目の前に。


朝日が昇る前の桜島は、厳格な姿のままドデンと寝ているようでした。



待つこと、1時間。


朝日がちょうど桜島のてっぺんから昇りました。


・・・

(ああ・・・きれいだ・・・)


朝日の日差しで錦江湾が金色に輝き、その反射した光で煌びやかに桜島は光っていました。


・・・


(桜島さんよー、おれ、どげんしよっか・・・)


・・・


その日一日中、ずっと桜島に問いかけてました。



(桜島さんよー、おれ、どげんしよっか・・・)
2013年8月中旬、関西でのアクション・リサーチが終わり、あとはデータをまとめて分析し、修士論文執筆。


地元の福岡に戻り、鬼のような勢いで修士論文に取り掛かりました。


締め切りは10月いっぱいでしたが、一気にやらないと自分が潰れると思い、籠もりました。


9月上旬、約9割がた出来上がり、アメリカの大学院の教授ともやり取り順調。


そして9月も2週目に入ったとき、やっと修士論文を書き終えることができました。


が!


終わってホッとしたのもつかの間、ずーっと続いていたちょっと下向きの気持ちがついに落ちてしまいました。


ブレーカーが完全に落ちました。


あまり具体的なことは書けませんが、いわゆるメンタル・ブレイクダウンというやつです。


長年、自分の首を自分で締めていた疲れと後悔も一緒に襲ってきました。


ついにここまできたかって感じでした・・・。
人間、今も昔も追い詰められると、何か別のものにすがりたくなる生き物なのでしょうか?


気が滅入ってしまい、生気がなくなってしまっていたとき、阪急電車でとことこ京都の町を放浪しました。


三十三間堂の仏像を眺め、東寺の大日如来を眺め・・・。


東寺の大日如来、向かって右に菩薩観音、左に不動明王。


やさしい菩薩と怒った明王、大日如来の別の姿。


・・・

外の雨音を聞きながら、数時間、大日如来を眺めていました。