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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

今後、この国で暮らしていくことに、絶望感を抱きながら生活していました。


いちお時間を見つけては就職先を探すんですが、自分の奥底が拒否ってるって、ものすご感じてしまい、この先どうすればいいのか全くわからなくなってしまっていました。


今振り返るとリバースカルチャーショックというやつだったんだろうと冷静に思えますが、その時はちょっと滅入ってました・・・。


淀屋橋を歩くとき、ふと川を眺めて、いろんなことが頭を過ぎり・・・。


通天閣に登り、大阪の街を見下ろすと、またいろんなことが頭を過ぎり・・・。


一人で追い詰められてたんだなあ・・・って今になれば思えることなんですが。


・・・


そんな中、弱い僕を支えてくれた人たちがいました。


大阪で約2ヶ月間、居候をさせてくれた小中さんというご夫婦。


そして佐藤さんという埼玉県のレスキュー隊員。


東日本大震災でテントを担いで行った石巻で出逢った方々でした・・・。


何も損得勘定なしに、一緒に汗を流した仲間でした。


・・・


小中さん、いつも将来に迷ってる僕に温かい言葉をかけてくれ、ご飯をご馳走してくれ、寝る場所を提供してくれ、励ましてくれました。


佐藤さん、埼玉からわざわざバスで来てくれ、道頓堀のグリコの前で、深夜遅くまで話を聞いてくれました。


「くまさん、病院に行ったら負けですよ。絶対自分で立ち上がらないと。やれますからくまさんなら」って・・・。


・・・


2年半前、何も計算せずにただただ走り回っていたときに出逢った方々とのつながり。


それが、どれだけ自分にとって無形の財産だったのかってことを、改めて感じました。


・・・


一生、足向けて寝れません。
日本に帰国してすぐに関西に移り、修士論文のアクション・リサーチを始めました。


2013年7月、8月のことです。


大学生と高校生を対象にセルフ・コンパッションを教え、それ以外は梅田のネットが繋がる喫茶店かマクドに籠もって、カタカタカタカタ、データをまとめたり、書き下ろしたりする日々が続きました。


そしてそれと進行して将来の進路も考えていました・・・が。


辺りを見渡すとこれでもかというほどの人、


日本一、人の歩くスピードが速いといわれる梅田のど真ん中。


緑というもの、土というものに触れることができない大都会。


(コスタリカ、バーモント州、タイの山奥という大自然の中生きてきて、これからこの日本に住み、暮らしていくったい・・・)


(俺、この社会にまた入っていけるとかいな・・・)


(もうハマれんやろ・・・)


(やばいっ。これちょっと息するだけでもしんどい・・・。)


(つ、潰れる・・・。)


よく吐いてました。


リバース・カルチャーショックってやつだったのかもしれません。


「日本社会」という目に見えない枠というものに、一人でがんじがらめになってしまっていました。


気力がドンドンなくなっていき、弱い僕は、「どこか逃げ出したい」という思いでいっぱいになっていました。
2013年1月コスタリカでの教育実習が始まり、3月再度アメリカに帰国。後期を終え、6月タイに飛び修行を終え、夏に関西で修士論文を書き終えるために関西へ。

この間にまた色んなことがあったんですが、40タイトルくらいになりそうなので、また追々、時系列順に更新していきたいと思います。

2013年7月末からの記事をライブに合わせられるように書いて行きたいと思います。

m(_ _)m

コスタリカでのインターン中、同じ大学院からレーガンという1歳年上のアメリカ人と一緒に行動をともにしていました。

一緒のインターンシップ先だったんです。

このレーガン、金髪の長身、もの凄くイクスプレッシブで、思ったこと、言いたいこと、全部言葉にしてくる僕のイメージする典型的なTHEアメリカ人で、性格が真反対。笑

大学院でのインターンシップ、陽気なコスタリカ人とはばっちり息があったのですが、レーガンとのやりとりに一番苦労しました・・・。

日本人である僕は「言わなくても接してほしい」という、「暗黙の了解」を大切にしている文化をもっています。

でもレーガンは良いことも悪いことも何でも口にするタイプで、この文化の違いがたまらなくしんどいんです。

暗に示すことが伝わらない、そんなことまで言わんでよくないっていうことまで耳にする・・・。

かなり悩まされました。

そのことがきっかけでかなりケンカもしました。

・・・

「ハイ・コンテクスト」と「ロー・コンテクスト」という文化の体系があります。

コンテクスト、つまり文脈や状況、その場の空気といったものです。

僕ら日本人はこの空気というものを知らず知らずのうちに読み、それに頼りながらコミュニケーションをとるように生活の中で教育されています。

狭い島国、人とぶつからないためにこのような文化になってきたのでしょう。

逆にアメリカ、様々な人種で成り立つ国であり、共通の土台がない分、言葉にしないとわからないから、状況や空気に頼るのではなく、全部口に出してきます。

この文化の差、身をもって経験しました。

インターンシップ終了時、ケンカした分やっぱり距離は近くなるわけであって、インターンシップを振り返ると、お互い「実際の教室より、この衝突から一番学んだね。」と同じ意見でした。

大学院、School for International Training. まさに、トレーニングでした。

良薬、口に苦し。

教育実習もすでに4週目、だいぶクラスも慣れてきて、子ども達との距離も近くなっていたときでした。

小学生のクラス、いつものようにもう戦場。

まるで動物園かというような学級崩壊。笑

そんな戦いのような毎日を送っていたある日の授業中、ジョアンという小学5年生がいつものように騒いでいました。


机の上にまたがり、馬にでも乗っているかのようにガタガタさせるんです。

英語の授業で、英語教師の僕は、そのジョアンに向かって冷静に英語で言いました。

「ジョアン、Enough。(もう十分だ。)」

まったく聞きません。

(くそ、コイツ!!)(小生)

英語がわからないのかと思い、彼らの母国語であるスペイン語で言いました。

「ジョアン、ya!(もう十分だ。)」

まったくやめません。

・・・

(くそお前、わかろうが何言いよるか!!)

恥ずかしながらゲージが振り切れてしまった小生、もう博多弁丸出しで怒鳴りました。

「きさん、何回いわせりゃきがすむとや!!止めれって言いよったい止めれって!!聞こえんとかキサン!!!」怒

・・・

ジョアン、パタンと止め、机から降りました。笑

(ウオ~!!!!すげ~!!!!博多弁通じた!!!!)笑

どうやら博多弁は日本のひとつの方言と思っていましたが、世界共通語であったようです。

福岡出身でよかった!!!(^ ^)
ロス・サントスでの実習が始まり、2週間ほど経ったある日の日曜日。

ホームステイの家族に誘われファミリーリユニオンに参加しました。

このファミリー・リユニオン、日本でいうお盆のような感じでしょうか?先に逝かれたお婆さんやお爺さんのために家族や親戚が一度に集まり、ミサをしたり、食事をしたりするものです。

家から車で約15分、とても景色のいい丘の頂上に行きました。

(あれれ??)


見ると多くの人だかりが・・・。

(なんのイベントじゃこりゃ?)

200人、300人くらいの人が楽しそうに会場に座り、おしゃべりをしているんです。

聞くとなんと皆ファミリーリユニオンのために来た家族というじゃありませんか?!笑


(どんだけ拡大家族なんじゃい!笑)

・・・

クラスメイトのレーガンと座り、待つこと2時間、ようやく神父が到着し、ミサが行われました。

そして昼食となったのですが、そうここは中米、コスタリカ。

どこからともなく音楽が流れてき、ブラスバンドが登場。


するともう人だかり。

そして皆、踊り出すんです。笑


ラティーーーーーノ!!!!!!

シャイな小生、遠くから微笑ましく眺められるのも時間の問題。

すぐさま連れ出され、ダンスの輪へ・・・。


皆ゲラゲラ笑いながら踊る、踊る!

幸福な国、コスタリカ・・・。

ラテンの血が少し欲しくなりました。笑

2013年2月上旬。


スーパーバイザーのロジャーとメアリーが入れ替わり続けてロス・サントスにやって来ました。


僕の授業をいくつか観てアドバイスするためです。


ふつうスーパーバイザーというと、何か授業を観て、こうした方がいい、ああした方がいいと有難いお言葉を伝えることが役目であるかのように思います。


僕もそうだろうと思っていました。


が、彼ら、アドバイスしてくれないんです。笑


授業前に特にフォーカスあてて観てほしいところを自己申告。


そして授業が終わり翌日フィードバックするために面談するんですが、その面談でも自己申告したポイントについて自分が実際にどうだったかを聞いてきて、それに対してさらに質問をしてきて、どんどん自分で深いところまで考えさせるように誘導していくんです。


だから結果、頂いたアドバイスは自分でつくったもの。


(はあーこれが経験学習ってやつったいねー。)


決して自分たちの価値観を押し付けてこないんです。


そして自分で自分を教育していくようにもっていくんです。


(教育者ってこういう人たちのことを言うんだろうなあー・・・)



・・・


このプロセスを通して、いろんな自己発見があったんです。


たとえば、僕は「英語教師に本当になりたいとかいな?」という疑問を常に持ちながら、前期過程を過ごしました。


実際に英語を教えてみて「やっぱ単純に面白れ!」と感じるんです。


・・・


ある授業が終わり、スーパーバイザーのロジャーに言われました。


「あの時のあの瞬間とか、あの時のあの瞬間とか(チョー具体的。笑)ものすごく授業の空気もよかったし、ちょーシンも活き活きしていたよね?!なんで?」


・・・


(なんで??)


・・・


考えたこともありませんでしたし、こっちは自然とやって気にも留めていなかったところでした。


そっから自問自答し始めたんです、その瞬間に起こったこと、何が自分を活き活きさせていたのかってこと・・・。


・・・


(あーなるほどねー!)


僕は「「英語を教えること」そのものを楽しんでたんじゃないんだ」ってことに気がつきました。


僕が活き活きしていたのは、一貫して生徒の自尊心を上げれるような言葉をかけていたり、生徒が何かを成し遂げれるように応援していたときだったんです。


自然とそうなってたんです、自信のない生徒を見ていると、あたかも自分自身を見ているような気になって・・・。


(絶対できるけん!)って・・・


・・・

このプロセスを通して、「英語を教えたい」ということよりも、「自尊感情を上げること」がどうやら「したい」ことだったようです。


スーパーバイザーはその「答え」を知りませんでした。


でも、自分のコアにある価値観を、浮き彫りにしてくれました。

2012年1月中旬。


いよいよ授業がスタートしました。


ドキドキ・・・


毎朝授業の準備をホームステイ先のバルコニーで。


そして午後から授業です。


小学生、高校生、夜は大人という順番でやっていきます。


高校生と大人はなんだかんだで、結構うまくできました。


とくに大人のクラスはめっちゃ陽気なおばちゃん達が多く、ゲラゲラゲラゲラ。笑


(あぁ~、俺、おばちゃん達を相手にするのが一番得意なんかなぁ・・・?将来ホストでもしよっかいな~?)


メアリーから教えてもらったECRIFというものをベースに、ホント楽しみながら出来ました。


・・・


が、しかし、こんな簡単に教育実習が終わるわけがありません・・・。


午後いちの小学4~6年生クラス・・・。


戦いの始まり・・・。


小学校が終わって開放された後にすぐやってくる子ども達・・・。


その後の1時間半の授業・・・。



目の前には地球の裏側から来たモンゴロイド・・・。


ニヤ。


いい遊び場発見・・・。


・・・


「おい、座れジョアン!!怒」


「おい、バレリー!!黙らんかいっ!!怒」


「クリステル!!今何渡したとやお前!!?見せろっ!!怒」


「ディスカンソ~!!(休憩~!!)」 (ジョナリン)
「はっ、ジョナリン、お前さっき休憩したばっかやろうがっ!!怒」


「アンドレイ!!戻ってこんかい!!!怒」


・・・

ドタンッ!!


ガタンッ!!


バタンッ!!


・・・


1時間半後・・・


「シン、アディオス!アスタマニャーナ!!(バイバイ、また明日!)」 (子ども達)


・・・


・・・


茫然。


・・・


・・・


・・・


隣りのクラスで小1~3年を教えていたレーガン。


同じく茫然。


・・・


・・・


・・・


(マジで実習先、間違えた・・・。)


・・・


・・・


・・・


軍隊を放棄した平和な国、コスタリカ・・・。



そこで暮らす子ども達・・・。


・・・


・・・


・・・


無防備な僕に、容赦なし・・・。


・・・


・・・


・・・


神様、たすけて・・・。
教会で告知を終え、翌朝は教会の横にある集会所みたいな建物前に集合しました。


ここがコミュニティースクールになるというのです。

・・・

現地の人からひょいってほうきとバケツを渡されました。


(あっ、掃除しろってことね・・・。)


アメリカのクラスメイト、みんなアメリカ国内や海外で教育実習がもう始まっている中、僕とレーガンは学校づくりのためのお掃除・・・。


ちらっと横見るとレーガン、イライラしてるのまるわかり・・・。


(おいおいおい、ちょっと隠せ隠せっ!)


(とそう思ってしまう俺は日本人やなぁ・・・)


一人でそんなこと思いながら、2部屋、掃除を始めました。



数時間後、ガタガタと机や椅子も並べて、なんとなく教室っぽくなりました!


こちらレーガンの教室。


教室っぽいなあ・・・。


こちら小生の。



う~ん、いまいち・・・。


ちなみに椅子の並べ方、個人的に円が好きなんです。


こう、なんというか、教師も生徒も対等な立場にいれるような感じというか・・・。


・・・


昨日の結婚式ゲリラ告知が功を奏してか、生徒数も子どもから大人までかなり集まったみたいでした。


(マジかよ。笑)


午後にスケジュールを決めることになり、現地コーディネーターのPeace Corpsのアメリカ人と現地の人と少人数で打ち合わせをしましたが、これがもう長い・・・。


イライライライラ・・・。


翌日はバスを2回乗継ぎ、ちょっとした商店が並ぶ町でマーカーから色紙から教材購入。


ちなみに僕らが滞在する町、本当にお店がないんです。


3つしかありません。


コーヒー農園のど真ん中に来てしまいました。

 


 
(1年前東北にいた時、1年後にまさか地球の裏側のコーヒー農園の中にいるとか思いもつかんかったなぁ・・・。)


とにかく、色々段取りとか日本のシュッシュッて感じがここコスタリカにはなくイライラすることもありましたが、教会での告知から1週間後、ようやく授業がスタートすることになりました。


僕は小学生4~6年、高校生、大人の3クラスをもつことに。


いや~どうなるこっちゃら・・・。

2013年1月12日。

Compassionate Communicationのコースが終わり、教育実習の場所であるロス・サントスという南に下ったコーヒー農園で有名な町への移動となりました。


これからロス・サントスのコミュニティースクールで6週間の教育実習です。


ここからクラスメイトのレーガンと2人になります。

 
朝4時起床。


真っ暗の中、僕らはバンに乗り込み、バンバン。


ひたすら南へ下って行きました。


バンバン揺られること約4、5時間、遂にロス・サントスに到着しました!




(うわぁ~!!)


寝不足もあり疲れていたんですが、現地のコーディネーターから、町を連れまわされました。


そしてこのコーディネーターから衝撃の事実を知らされたんです・・・。


「あっまだ学校はないよ。」


(えっ・・・?!)


なんとこれから創るというのです・・・。


(おいっ!!無いってどういうこっちゃいっ!!)


・・・


とにかくいっぱい人が集まるところで告知をしないといけないというんです。


今日、結婚式が教会であるから、みんな町の人、集まるからそこで告知しようと・・・。


(おいおい、マジかよ・・・)


・・・


午後、教会へ。


そこでは結婚式が行われていて、カトリックの儀式をわけがわからないまま僕もしました。


そして終盤、なぜか現地コーディネーターが「ついてこい」と僕とレーガンを呼んで、前に連れ出されました。


ざっと集まった人は300人超えてます。


結婚式の真っ最中、なんとこの現地コーディネーターはこれから始めるコミュニティースクールの告知を真ん前で始めだしたのです!


(マジかよ!?)


ザワザワ。


視線が僕らに集まります・・・。


新郎新婦は「何なの私たちの晴れ舞台に!?(怒)」みたいな目で見ています・・・。


・・・


キリスト様の大きな銅像を背に、わたくし、茫然一方・・・。


このコーディネーター、スペイン語で何やら言ってますが、最後に講師の紹介も始めたんです・・・。


「この人達が先生です。こっちがレーガン。ブラブラブラ・・・」


レーガンはとっさに目の前に300人に向かい、ハリウッドスターみたいにバイバイしてました。

・・・

「そしてこっちがシン、日本人でブラブラブラ・・・」


(ゲッ!?俺はどげん反応すればよかとや!?)


テンパってしまいました。


そして、とっさに「お辞儀」をしてしまったのです・・・。


(ぬぉ~!しまった!!これ典型的な日本人やんか!!恥ずかしっ!!)


イエス・キリスト様の銅像の前で、コスタリカ人に深々と頭を下げるわたくし・・・。


「国際人」とは一体なんなんでしょうか・・・。

・・・

その晩、ホームステイ先の家の外で、家族の目を盗んでこっそり酒を飲み、終了・・・。

疲れた・・・。