少し前から私は、
「私は山⛰️」
という感覚で生きていた。
誰かが怒っていても、
誰かが不機嫌でも、
何かを間違えても、
思いどおりにいかなくても、
山は動かない。
風が吹いても、雨が降っても、
山そのものが小さくなるわけじゃない。
その感覚で仕事をしてみたら、
怒っているお客さんに何を言われても、以前のように必要以上に持っていかれなくなった。
間違えたら謝ればいい。
分からなければ確認すればいい。
何かが起きても、私の存在まで揺らぐわけじゃない。
「山として生きる」ことで、
私はずいぶん強く、軽くなった。
でも、この数日で、そこからもう一歩進んだ。
私はまだ、
「人間の私が、山であろう」
としていたのだ。
何があっても動じない私でいよう。
怒らない私でいよう。
落ち着いた私でいよう。
広い私でいよう。
まだ「起点」は「人間」だった。
ハッピーちゃんが言っていたのは、
元々「私は世界」「世界は私」である存在が、
今、人間をやっている。
という起点からはじめること。
人間の私が無限になろうとするのではない。
最初から無限である私が、
この身体を使って、人間をやっている。
ここが違うと、意味がない。
もう「有限」から「上手く生きる」ことを
やりたいわけじゃないから。
今日は私の中にあった概念が驚くほどたくさん見つかった。
「概念」を外し、無限性に還る。
その目的があるから、概念が見つかって
死ぬーー‼️‼️とは思ったけど😂ね
(本当、こんな状態な私)
1番、ああこれだと思ったのが
私にとって「人から求められること」が大事で
「人の反応」は「現実の結果」だと
思っていたこと。驚愕。
ハッピーちゃんの言語化がすごくて
だから私も分かってきたんだけど
本当は他人も私も何もかも全然同じ価値なのに
「私」を特別視してた。
だから、「役に立つ私」でいなければいけない。
人から受け入れられる私でないといけない。
どこまでも気にしてるのは
「私がどう思われるか」だった。
死ぬーー‼️‼️😂😂
でも、なぜか軽い。
もう「これ」という「無限」「はじまり」
の場所からはどかない。
全ては「あらわれ」てるだけ。
本当に私は「私」を気にし過ぎなのだ。笑
無限である私が、
人間をやっている。
ここをしっかりやっていく。
そして、
「結果」とかじゃなく
「何が生まれるか」を楽しみにする。
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