ナチュラルに美しく☆40歳からのモテ美人的生活

ナチュラルに美しく☆40歳からのモテ美人的生活

元派遣OL。36歳で起業。8歳年下の夫と再婚。の私の体験・気づき。


少し前から私は、


「私は山⛰️」


という感覚で生きていた。



誰かが怒っていても、

誰かが不機嫌でも、

何かを間違えても、

思いどおりにいかなくても、


山は動かない。


風が吹いても、雨が降っても、

山そのものが小さくなるわけじゃない。


その感覚で仕事をしてみたら、

怒っているお客さんに何を言われても、以前のように必要以上に持っていかれなくなった。


間違えたら謝ればいい。

分からなければ確認すればいい。

何かが起きても、私の存在まで揺らぐわけじゃない。


「山として生きる」ことで、

私はずいぶん強く、軽くなった。


でも、この数日で、そこからもう一歩進んだ。


私はまだ、


「人間の私が、山であろう」


としていたのだ。


何があっても動じない私でいよう。

怒らない私でいよう。

落ち着いた私でいよう。

広い私でいよう。


まだ「起点」は「人間」だった。


ハッピーちゃんが言っていたのは、


元々「私は世界」「世界は私」である存在が、

今、人間をやっている。


という起点からはじめること。


人間の私が無限になろうとするのではない。


最初から無限である私が、

この身体を使って、人間をやっている。


ここが違うと、意味がない。


もう「有限」から「上手く生きる」ことを

やりたいわけじゃないから。


今日は私の中にあった概念が驚くほどたくさん見つかった。


「概念」を外し、無限性に還る。


その目的があるから、概念が見つかって

死ぬーー‼️‼️とは思ったけど😂ね



(本当、こんな状態な私)


1番、ああこれだと思ったのが


私にとって「人から求められること」が大事で

「人の反応」は「現実の結果」だと

思っていたこと。驚愕。


ハッピーちゃんの言語化がすごくて

だから私も分かってきたんだけど


本当は他人も私も何もかも全然同じ価値なのに


「私」を特別視してた。


だから、「役に立つ私」でいなければいけない。

人から受け入れられる私でないといけない。


どこまでも気にしてるのは

「私がどう思われるか」だった。


死ぬーー‼️‼️😂😂



でも、なぜか軽い。


もう「これ」という「無限」「はじまり」

の場所からはどかない。


全ては「あらわれ」てるだけ。


本当に私は「私」を気にし過ぎなのだ。笑



無限である私が、

人間をやっている。


ここをしっかりやっていく。

そして、

「結果」とかじゃなく

「何が生まれるか」を楽しみにする。













毎朝散歩してます。5時くらいに。



朝日とか、風とか、


揺れる木々とか、


本当に気持ちよさを感じられる。



これが、「無限」ってやつか。。


思い出せるから、今日も朝散歩に行く感じ。



さて、「有限の世界」で生きてきた私。


詳しくはこちら↓


もうね、


「無限の広がりを感じる」


ことが人生の目的ってめっちゃシンプルさゆえに


めっちゃ楽しいけど、


すぐ忘れるの。


「山⛰️」として生きるというのは、


ハッピーちゃんが教えてくれたんだけど、



「無限」の存在に近い


「形あるもの」って大自然なわけです。


山や海や空。


無限さを感じるけど、「形」としてある存在。


であるなら、


山が人間をやるなら?


と存在が山のまま、人間をやってみる。


これだと「無限」のイメージができるよね?


会社で「私は山⛰️」と感じながら


過ごすと、本当に動じない自分になれるのよ。


山ってドーンとした壮大な存在だから


それになってみる。


分かりやすくない?


結果、


「何でそんなに落ちついてるの?」とか


「何でそんなにこやかで居られるの?」


とか聞かれたり。


自分が見えてなかった人の優しさに触れたり。



見える世界が変わる。



無限の広がりを感じること、


それ自体が本来の自分ってことだから


こんな簡単なことだったなんて



今まで捉え違いをしてたことが悔やまれるわ。。。



忘れずに「山で居る」はまだ難しいけど



こんなに「感じ方」や他人からのフィードバック

が変わるなら


とことん、やってみたるぜ。。






私のブログを何年も前から

読んでくれている人がいる。



今日はそんな人たちに伝えたいと

思って書く。


私が大尊敬してるハッピーちゃん。

最近はガン患者に。パワーはますます凄くなってます✨



ハッピーちゃんのどこまでも自分の「内側」

を追求していくその姿に

「本物さ」を感じてから、


自分もそうなりたい、在りたいと思っていた。




だが、私(いうかほとんどの人間)と

ハッピーちゃんでは、立っている場所が

そもそも違っていたらしい。


去年くらいから「場所の違い」は分かってたが。


それが、ちゃんと。解明された。


そもそもというのは【根幹概念】を指す。


ハッピーちゃんは

「私は世界」「世界は私」という「無限レーン」

から全てを発していた。


対して私(たち)は「大きな世界の小さな私」

という枠がある「有限レーン」の中で

生きていたのだ。



(めちゃくちゃ大事だから

ハッピーちゃんのパルスアートワークショップのアーカイブを買ってほしい‼️‼️

3000円とは思えない内容)




私は、

全ての合点がいったというか、

過去の失敗や

自分の「ダメだ」と思ってたところ

全てが「それなら、しゃーないな」と

やっと諦めがついた。



そもそも立ってる場所が「有限」だったんだもの。



ああ、果たして私の文章力で伝わるのか、これは。笑


とにかく、楽になった。


「ずっと取り違えをしてたんだよ」と

言われたら、

「だから上手くいかなかったのか」

「だからあんな苦しい感情から抜けれなかったのか」と。



全部ひっくり返ったような感覚だ。



だからと言ってこれひょいと

「無限レーン」に移行出来るわけではない。



それこそが

生きていく道だから。


有限の世界の「上手くいくこと」を基準にして生きるのはしんどい。


そりゃそうだよね。

狭い発想しか湧かないよね。


だけど「人生がこんな難しいはずはない」

とどこかで感じていた。


何かが間違ってると。


それが分かっただけで私は楽になった。


「無限」は、もっと一瞬一瞬

人生を生きることに没頭している。




MOMEDしたって

「次の振り」を気を取られている私だ。

今この瞬間に没頭なんて、

1日、何分、何秒なのかもしれない。


だけど、

これをやっていく。


今までの私が「こうだ!」と語ってきたことは

「大きな世界の小さな私」が伝えてたことが

ほとんどなわけで

過去記事を読むなら、その辺りを踏まえて読んでいただきたいです?


道のりは、簡単ではない。

でも、シンプルになりましたよ。



8月24日。滑り台の上での誓い。笑








ダイエットも大詰め。。


今年2月からコツコツ呼吸を続け、


MOMEDしたり「身体」に意識を向けてきた。



今の仕事はクレーム対応がほとんどだから


まさに「神経を通す」経験。


慣れてきたし、


「恐怖心」そのものが消えた感覚があり


スムーズに仕事できるようになった。


そしたらさ、現実に起こることも変わってきた

感じがある。


タイミング良いことが起きたり


知りたいことがすぐ知れたり


仲良くなりたい人と接する機会に恵まれたり。



うわ、最悪!って心乱れるようなことが

起きなくなった。


やっぱり、日々の実践だね。




↑まとめてみた。


身体の感覚はまだ「恐怖」なのに

怖くないフリは意味なくて。

やっぱり「怖いこと」は起きる。




私、今怖いんだな、とわかりながらも


身体の設定をする。身体の感覚を無視しない。



そこから行動や積み重ねる。


そうすると、身体も変わるんだよ。


だからね。


毎日、どんな小さなことでもいいから


「怖いけど、やりたかったこと」


「怖いけど、こうなりたいと望んでたこと」


に挑戦する。


その小さな積み重ねが


変わるんだよね。


ちゃんと「糧」となって、


自分が強くなっている。


なんか「ノーダメージ」なことが増えていく。


そしたら、現実もそれに合わせてくる。



身体と現実の接続だよ。



闇雲にやるんじゃくて、身体の設定をする。


それが呼吸だったり、意図を決めることだったり

するから。



朝散歩再開。


私がamebloを始めた頃、2011年とか?


彼氏が出来た。


匿名で顔出しせずに書いてたので


彼とのことも書いてたんだけど、


半年くらいで別れた。


その時の私は、


「週1回は会う」「クリスマスは一緒に過ごす」


とか「カップルの常識」みたいなことに


囚われていた。


彼が自分をどう思ってるか、とか


人から見た「体裁」とか、


どうでもいいことばかり気にしてた。


だからいつも不安でいっぱい。


相手を思いやる気はなかったよね。余裕がない。


そんな私がふと気づいたことがあった。


「絆が全然感じられない」


って。


週1回、週末を過ごしても、休日に一緒に出かけても、寂しい。


心が通じてる感覚が無かったからだ。



「上手くいくこと」を目指すと、


相手を思いやれないし、自分のことばっかりに


なる。どう思われるか。私の行動は正解か。


フラれた時、


「自分の何が悪かったか」行動面の反省というか「もっとこうすればよかった」とか悔やんでばかり

してたけど、


そういう問題じゃない。笑


私が欲しかったのは、


心が繋がっている感覚だ。


それを分かってなかったから


体裁とか表面ばかり気にしてた。



あれから15年くらい?


夫とは絆や繋がりはこれでもかというくらいある。笑



でも、あの時のことは、全然分かってなかった。


本当に欲しいものを


見誤るな。