声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -16ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
プロ、トレーナーも含め、トップレベルのヴォイトレ論を展開します。

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○使える声とトレーニングの声

 

声の表現、せりふや歌は、声の応用ですから、その選択と編集で決まってくるのです。そのために私はレッスンを応用デッサン(習作)の場と考えています。

人前で演じたり、歌うときには、身体の結びつきを意識して声を出すようなことはありません。というより、考えなくても、しぜんと声が出なくてはいけないのです。

調子の悪いときは、お腹の力をいかして使うようにして、カバーしてもよいのですが、ふだんは余り意識していないことです。

 

だからこそ、トレーニングでは、必ず声になるところ、いいかえると、そこですぐに思いっきり、ことばにできるところの声とその使い方を中心とします。声域、声量は気にせず、身体に声を出している重み「抵抗」が感じられるとよいと思います。

 

ですから、最初は使う声とトレーニングの声は、目的によって区別すべきです。

ただ、いつまでたっても、この2つが違うものでは困りものです。発声のための発声で実際に使えないようでは意味はないからです。「身体ができてきたら、声は一致してくるのですから、少し待ちなさい」ということです。そうなれば、話したり歌ったりしていることで、トレーニングになるのです。

 

○器のなかでしか使えないなら、器を広げる

 

身体を使って出そうとする声というのは、身体が充分に使えないうちは身体を使おうとする無駄な力のために、すぐにはうまくいきません。なかには、こもりがちの暗い声となる人もいます。しかし、そこですぐに否定したり、直そうとするのは、待って欲しいのです。

 

これを身体が使っていることを意識せず、しぜんに動くようになるまで続けていきます。ただし、固めるのでなく、解き放っていくのです。

すると、必要なところにだけ力がきちんと入り、残りの箇所はリラックスして、上半身も弛緩している状態となり、声がひびいてくるのです。

 

最初は、慣れないものですから、「こんな声が使えるのだろうか」と思う人もいるようですが、基本のフォームを得ていくのは、そういうものです。(スポーツや武道を考えてみてください)

 

器を広げていくのと、器の中で歌おうとするのは、違います。

今のあなたの器が何を歌うのにも充分なほど、高低音も声域も音程も、それよりも、音色もパワーもあり、身体で歌えていて、喉に負担がきていないのでしたら、それでもよいのでしょう。

そうでないからこそ、器を広げる必要があります。

 

器を広げるためには、声と身体との結びつきを徹底させます。そのときの声は、器が広がったあと、実際に使う声とは、たぶん、違います。まして、意識がトレーニングにあるうちは、しぜんに使えることはありません。

器が広がるにつれ、そのなかでいろいろなスタイルにあわせて、声を調整できます。

声をどう使うかは、そのときに自分で選べばよいことです。

 

○しぜんになるためにしぜんのままでは無理

 

「俳優やヴォーカリストはしぜんに声を出せばよい、その声がそのまま通じる」と考えている人がいます。そういう人の中には、ご自分のトレーニングで鍛えた過去や生きてきた年月というキャリアを否定したり、そのプロセスの成果に気づいていなかったりするのです。

声のトレーニングは、レッスンの場だけでは、なされるものではないのです。

 

それでは、「せりふさえいえば俳優、歌さえ覚えたら歌い手になれる」といっているのと同じです。

もちろん、「心や技術がないから、素人はダメなのだ」といわれるかもしれません。

しかし、「心に通じるものをもっている人はたくさんいるが、それを表現できるだけの声と感覚、それに基づいた演技力、音楽性が伴っていない」という方が適切でしょう。

 

プロは、そういう技術(声と演技や音楽に関する基本的な力)を身につけているなかで、舞台から学び、現場で出している声から発声を学んでいます。それに対応できる感性のセンサーがあれば、ですが。歌については、さらに厳しく、本来は、音楽のベースを徹底して入れておくことが必要です。

 

一流のヴォーカリストが小さな声、弱い声で歌っているところをなぞることはたやすいことです。しかし、そこから、プロがそのワンフレーズにこめたものと同じだけの表現とすることはできません。その声でも音程やリズムはもちろん、ことばと音色で、想いを表現できることが必要だからです。

 

これは、ピアノでもトランペットでも同じでしょう。小学生でもプロのピアニストと同じ曲を弾けます。しかし、それをプロと同じ演奏レベルだと感じる人はいないでしょう。

 

ピアニストでも高度な演奏に対応できるフォームがあるからこそ、繊細な表現ができるのです。指がうまく動かないのに、トリルをうまくやったり、ピアニッシモで表現できるはずはありません。

同じように、俳優やヴォーカリストも声帯などの発声器官をいかにうまく操れるかということが基礎の力なのです。

ステージで求められるしぜんな表現とは、その基礎が揺るがないところに成り立つ、応用されたものともいえるのです。

 

のどを開く

 

 のどを開けるには体と息を使います。のどに声がひっかかると、かすれたり、変なくせがつきます。最初は体をうまく使えないし、無理に使うとのどを壊しかねません。そこした声を使いたければ、のどに負担を与えないことです。

 

イメージは、脱力してしっかりと開くという感じをもつことです。実際には開きようがありませんが、このイメージで、のど以外で支えをもつことが大切なのです。

 なるべく深いところで声を捉える感覚をつかむことです。中途半端に行うと、のどに負担がきて浅くなって、深い声がとれなくなってしまうのです。のどが鳴り、そこでノイズとなり、イメージとして閉じると深くならないのです。

 

 あなたの出せる声のうち、最もよい声を選んでいきます。高めよりは低め、話声域でよいでしょう。その声を少しずつ強い息で確実にヴォリュームアップしていきます。それを体でコントロールして使えるようにしたときに初めて、発声にひとつ乗れたというように感じられるでしょう。

 どうしてものどから力が抜けない人は、次のようにイメージしてください。たとえば、ドという音に対して、アオイとことばをつけ、それをひとつに捉えます。もっと深いところで、体の中心で一つに掴んでしまうのです。

 

声の出し方やイメージをチェンジせずに統一します。私が、初心者の音程やリズムトレーニングを、発声トレーニングと同時にやることに反対するのは、こういうイメージが伴っていないと発声がしっかりとせず、あとで伸びなくなってしまうからです。体の方で支えると、その分、体が鍛えられて、やがて使えるようになっていく、そのプロセスをとるのです。

 

 

[のどを開ける]

 一つの音を聞いて、ひびきに合わせ、次のことばを言い切ります。

1)なんてあおい

2)I love you, I need you

3)ひたすら あるいた

4)とおい あおい ラララ

ヘッドヴォイスよりも胸声の共鳴

 

 発声練習をみると、浅くカン高い声をのどを絞ったり、上にあてて出そうと、わざわざふしぜんにしているような気がしてなりません。

相手を説得するには、少しはドスのきいた声がいるのです。高い声は、ゴマすりのためにはよいし、相手の気分もやわらぎますが、それだけでは単調で飽きられます。美声でずば抜けているならともかく、日本人の発声は、総じてふしぜんです。

表現活動というのは、相手に働きかけるのですから、地に足のついた声、胸についたしっかりした声、話せる声を意識しておくとよいでしょう。高い声というのは、その上に構築されるのです。

 このイメージがないと、なかなか声というのは変わりません。外国人のキャスターやレポーターの声を聴く機会も多くなりましたが、どうですか。その声は、しっかりと地についた、落ち着きのある声ではありませんか。

 

[声のイメージを変える]

 次のようにイメージを変えていってください。最初は、上の方が3で下が1ぐらいの声しかない人が大部分です。それをまず(頭)3 → 10にしようとしても、支えがないところに発展はありません。そこで、まず(胸)1 → 5とする。すると、頭の方にも5のヴォリュームが出てきます。

それを繰り返すときに、トレーニングとしては、低いほう、胸声を基準としていく方が、安全かつ確実なのです。

 

 次のことばをなるべく、しっかりと太い音色で言ってみましょう。

1)ハイ

2)青い空

3)真っ赤な太陽

4)なんだかとってもよい気分です。

 口のなかでつくらないようにしてください。外国映画などのせりふを利用するのもよいでしょう。