『声を身体に入れ、歌を創造する』@036 294
ヴォーカリストに必要なのは、与えられた曲を正確に歌う力だけではありません。
基本を土台に、どんな曲にも自分なりに対応できる応用力を身につけ、
声、身体、ことば、感情、音楽を一つにつなげていくことが必要です。
『ばら色の人生』『枯葉』など、スタンダードな課題曲を通して、
楽譜にことばを当てはめるのではなく、ことばを身体から出し、
そこへメロディとセンスを加えていく方法を学びます。
ステージでは、内側に凝縮したものを一気に開放し、
一人の客にも働きかける力が求められます。何かをうまくこなすことが目的ではありません。
一度つくったものを壊し、そのなかに残った確かなものを手掛かりに、
さらに大きな表現へつくり直す。その繰り返しによって、
他人にはない自分の声と歌が生まれます。
はじめに
歌を学ぶとき、多くの人はまず曲をうまく歌おうとします。音程を合わせ、リズムを覚え、歌詞を覚え、楽譜どおりに歌えるようにする。しかし、それだけではヴォーカリストとしての力にはなりません。
一曲のなかで、一つのことに気づく人より、十のことに気づく人の方が多くを学んでいます。同じ曲を聞いても、声の質、息づかい、身体の使い方、ことばの置き方、リズム、間、フレージング、感情、音楽的な流れなど、いくつものものを同時に捉える必要があります。
そのためには基本が必要です。
自分の得意な音域、自分の持ち味、自分の歌いやすい曲だけで力を発揮できても、それだけでは応用力とはいえません。ど真ん中に球が来たときだけホームランを打てるのではなく、少し外れたところへ来た球にも対応できる力をつける。歌も同じです。
『ばら色の人生』や『枯葉』のような一見異なる曲に取り組むのは、そのためです。曲を覚えることが目的なのではありません。異なる曲のなかから、自分の声の問題、日本語の問題、メロディの問題、表現の問題を発見していきます。
特に日本語で歌うと、楽譜に言葉を一音ずつ当てはめるだけでは、ことばが死んでしまうことがあります。
『アンジェリータ』なら、音符どおりに均一に歌えばよいのではありません。そこには呼びかけがあります。『アンジェリータ』という名前を、なぜ何度も呼ぶのでしょうか。なぜ歌にしなければならないのでしょうか。その意味を考える必要があります。
歌は、ことばをメロディに乗せるだけのものではありません。
ことばが身体から出て、そこにメロディが加わり、その二つを自分のセンスによって一つにしていくものです。
そしてステージでは、内側に凝縮してきたものを開放します。二十人しか客がいなくても、一人でも相手がいるなら、そこにはコミュニケーションの空間があります。
大勢の客を前にしたから力を出すのではありません。一人に対しても、自分の歌によって何かを変えることができるかどうかです。
本当のライブは外にあるのではなく、自分の内側にあります。
自分のなかで問題を見つめ、凝縮し、それをステージで開放する。何度も歌い、できたものをまた壊し、そこから残った確かなものを手掛かりにして、さらに大きなものをつくる。
五十できたなら、その五十を守るのではなく、五だけ残して壊してみる。その五が本物なら、そこから次の百をつくることができます。
歌を学ぶとは、完成品を保存することではありません。
壊しても残るものを探し、それを自分の核として育てていくことです。
その積み重ねによって、声にも歌にも、その人だけの人間観や世界観が表れてきます。
[1] 基本の上に応用力をつくる
1 得意な曲だけでは足りない
プロのアーティストの歌を、よいものも悪いものも含めて、できるだけ多く聞くことです。
同じ曲を聞いて、自分ならどう歌うのかを考える。さらに、別の曲が来たときにも、自分なりの歌にできるかを考える。
ヴォーカリストに必要なのは、一つの型をうまく再現する力だけではありません。
自分の持ち味が生きる曲だけを選んでいると、自分の得意な範囲から出られなくなります。
ど真ん中に来た球だけを打つのではなく、少し外れたところに来たものにも対応する。そのためには、基本を広く身につける必要があります。
2 基本は応用の土台
基本ができていないと、応用力は出てきません。
発声、呼吸、音程、リズム、ことば、身体の使い方など、一つひとつを身につけることは、自由になるための準備です。
基本を固めると自由がなくなると思う人もいますが、実際には逆です。
身体が声を支えられないと、高音へ行った瞬間に苦しくなります。ことばを身体から出せなければ、メロディに乗ったときに口先だけになります。
自由に歌うためにこそ、自由に使える身体と声が必要です。
3 一曲から十を学ぶ
一曲を聞いて、一つしか気づかなければ、その一つを持ち帰ればよいでしょう。
しかし、十のことに気づける人は、同じ一曲から十倍のものを持ち帰ることができます。
声の厚み、息の流れ、ことばの処理、音の入り方、フレーズの終わり方、間、リズム、音色、身体、感情。
聞くときに、歌がうまいかどうかだけを判断してはいけません。
何が自分に使えるのかを探すことです。
聞く力が育てば、歌う力も変わります。
4 生身の身体で捉える
息を思い切り身体から吐けば、それだけ反動で息が入ってきます。
身体を使えば、身体から反応が返ってきます。
これは理論だけで理解するものではありません。実際に身体を使い、声を出し、その反応を感じる必要があります。
歌は、頭のなかだけで完成するものではありません。
身体が動き、息が動き、声が動き、その結果として歌が生まれます。
身体を使っていない歌は、どこか薄くなります。声を大きくするという意味ではなく、声の背景に身体が感じられることが重要です。
5 感情を着飾らない
感情表現でも、着飾りすぎると動けなくなります。
声をきれいに聞かせよう、悲しく聞かせよう、上手に聞かせようとするほど、本当に伝えたいものが隠れてしまうことがあります。
今は、裸になったものが勝ちです。
自分の感情を加工しすぎず、身体から出してみる。そこから、必要なものだけを整理していけばよいのです。
最初から完成された表現をつくろうとするのではなく、自分のなかにあるものを外へ出すことから始めます。
6 人間を感じさせる
よい歌には、人間が存在します。
息づかいが聞こえる。声が聞こえる。身体が見える。そして、聞いている人の身体まで動かされる。
それが表現です。
なかには、人間を超えたような存在感を持つ人もいます。しかし、その前提には、人間としての生々しさがあります。
技術だけを前面に出すのではなく、声の奥に一人の人間がいることを感じさせる。
時代が変わっても、この部分は失ってはいけません。
どれほど有名なヴォーカリストを目標にしても、その人のコピーになるのではなく、まず自分という一人の人間の価値から出発することです。
[2] ステージで時空を変える
1 ステージでは変わる
ステージに立ったら、普段と同じではいけません。
客席から、待ってましたという感覚が生まれるくらいの変化が必要です。
それは派手な動作をするという意味ではありません。声、目線、表情、身体、存在感によって、空間の空気を変えるということです。
その積み重ねが実績になります。
練習で一度できたことではなく、ステージで何度も空間を変えてきた経験が、ヴォーカリストをつくります。
2 一人でも客は客
二十人程度の客席でも、一人でも相手がいればコミュニケーションの空間になります。
大勢の客がいるから頑張るのではありません。
一人に対して、自分の歌が何を起こすのかを考えることです。
一人の相手の表情が変わる。一人の身体がこちらへ向く。一人の人間が歌を聞こうとする。
そこまで働きかけられるかどうかが重要です。
人数に頼るのではなく、一人の人間と向き合うことから、ステージの本質を学びます。
3 本当のライブは内側にある
外のステージだけを目標にする必要はありません。
自分のなかで問題を見つめ、それを凝縮する。そしてステージで開放する。
この内側の作業ができていれば、どこで歌っても、自分のライブをつくることができます。
場所が変われば自分も変わるのではなく、自分が変わることで場所が変わる。
その感覚を身につけることです。
4 客を賞賛者にしない
ライブでは、客が必ずしも歌を真剣に聞いてくれるとは限りません。
演奏者が頑張ったことを評価して、それで終わることもあります。
それではヴォーカリストとしては充分ではありません。
歌を聞かせるというのは、頑張ったことを認めてもらうことではありません。自分の歌によって、相手のなかに何かを起こすことです。
客の反応を待つのではなく、自分から働きかけます。
5 客もアーティストも学び合う
レッスンの場では、皆が客であり、アーティストでもあります。
他人の歌を聞いたら、感心して終わるのではなく、自分のなかへ取り入れるものを探します。
この人の声のここがよい。このフレーズのここがよい。この間の取り方がよい。
そして、自分ならどう変えるかを考えます。
他人のよいものを認めることは、自分の個性を失うことではありません。むしろ、多くを取り入れたうえで、自分に必要なものを選ぶ力が個性をつくります。
6 与えた人が一番得をする
ここへ宝探しに来ても、宝はありません。
宝は自分のなかにあります。
そして、それを磨くには、他人に与えてみることです。
歌う。教える。聞かせる。意見を言う。誰かの歌について考える。
自分が与えることで、自分が一番学ぶことになります。
ヴォーカリストとは、自分のなかにあるものを歌によって他人へ与える人です。
与えたものは失われません。
むしろ、人に与えるほど、自分のなかで確かなものになっていきます。
[3] 歌でことばを生かす
1 外国語の名前を日本語として扱う
『アンジェリータ』という名前は外国語だから発音が難しいのではありません。
問題は、その名前を一つの流れとして歌えているかどうかです。
特にリータの部分など、音のつながりを意識する必要があります。
『アンジェリータ 今も呼ぶよ』というフレーズを、一つの流れとして捉える。
音符を一つずつ処理していくのではなく、ことばとして聞いたときに何が伝わるかを確認します。
外国語の名前であっても、歌う人の身体を通して出てくる以上、自分のことばとして扱う必要があります。
2 ことばそのものを感情にする
『アンジェリータ』という名前を発音するだけで、感情が伝わるところまで持っていくことが基本です。
この曲は戦争を背景とした反戦の歌です。
大げさに反戦を演じる必要はありません。しかし、その背景を知らずに、音符だけを追って歌ってはいけません。
なぜこの名前を呼ぶのか。なぜ何度も呼びかけるのか。
ことばそのものに感情が宿れば、歌として伸ばしたときにも、その感情が残ります。
3 音楽にすることでパワーを増す
『アンジェリータ』と言うだけなら、ことばの長さで終わります。
しかし歌では、アンジェリータを伸ばします。
アーンジェリータ、と音楽にすることで時間が生まれます。その時間のなかには、当然、ことば以上のパワーが必要になります。
身体がついていて、感情が伝わる。
そこまでできて、ようやく基本的な歌として成立します。
そのうえで、同じ『アンジェリータ』でも、呼び方を変えたり、間を変えたり、音色を変えたりして、自分なりの音楽的なセンスを加えていきます。
4 発声より先にことばを立てる
ことばが生きて聞こえない状態で、いきなり歌へ進んではいけません。
まず『アンジェリータ』と言ってみる。
次に『アンジェリータ 今も呼ぶよ』と言ってみる。
それが身体から出ているかを確認します。
口先だけで歌らしくつくろうとすると、発声の形だけが聞こえます。
発声はできているのに、何も伝わらない歌になる。
ことばが生きて聞こえることを先に確認し、その後でメロディへ進みます。
5 朗読から歌へ
『今も呼ぶよ』を朗読するとき、いま、も、よぶ、よと均一に切ることはありません。
歌になった途端に、それを全部同じ長さで並べてしまうと、ことばの自然な流れが失われます。
『いまも、呼ぶよ』という日本語の感覚を残したまま、メロディを扱います。
特に、ぶ、よ、もなど、口のなかにこもりやすい音には注意します。
歌うために日本語を壊すのではなく、日本語を生かしたまま音楽へつなげることが必要です。
6 日本語の助詞を生かす
日本語では、助詞の扱いが難しいものです。
『今も呼ぶよ』の、も、や、よなどを均一に伸ばすと、日本語としての意味が薄れます。
演歌など、日本語のことばを生かしている歌を聞くことも参考になります。
同時に、ゴスペル、ブルース、ヘヴィメタルなど、さまざまな音楽を聞き、フレージングや音声の感覚を広げます。
『いまもお呼ぶうよお』ではなく、『いまも、呼ぶよ』。
この違いを身体でつかむことです。
[4] フレーズを立体的にする
1 イ行を練習する
『アンジェリータ いずこ行きし』では、イ行の処理が一つの課題になります。
母音によって声が細くなったり、口先へ逃げたりする人は少なくありません。
一つの母音だけを部分的に直すのではなく、フレーズ全体のなかで、その音がどう動くかを考えます。
いくつかのバウンドを持った流れのなかに、ことばを生かしていきます。
音一つではなく、フレーズとして声を捉えることが大切です。
2 音色を統一する
『アンジェリータ 今も呼ぶよ アンジェリータ』では、フレーズが続いていきます。
そのとき、音域によって声の質を変えすぎないことです。
統一した音色を保ちながら、流れを失わない。
そのうえで、どこを大きくするか、どこを聞かせるかを考えます。
全部を均等に歌うのではなく、フレーズのなかに立体的な構造をつくります。
3 区切りすぎない
一つひとつの言葉を明確にしようとして、全部を細かく区切ると、歌は小さくなります。
『アンジェリータ 今も呼ぶよ アンジェリータ』を四つの小さな塊に分けてしまうのではなく、全体の流れとして捉えます。
必要なところでことばを区切り、必要なところでは大きくつなぐ。
どこで聞かせるかを先に決めて、そのためにことばを配置します。
4 情景をイメージする
『月だけが輝く』ということばを歌うなら、実際に月が出てきて、夜の大地が見えるようでなくてはなりません。
音程を合わせただけでは、月は見えてきません。
ことばが身体から出て、その声に具体的なイメージが乗ることで、聞く人のなかにも景色が生まれます。
歌詞を説明するのではなく、歌う人のなかにその景色を持つことです。
5 低音を身体で支える
『オーオー』のような音は、口先で軽く歌うと簡単に薄くなります。
低音部だからこそ、どこまで太い声で言えるかが問われます。
音符に乗ることばかり考えず、まず身体から声を出す。
そのうえで、日本語としてのことばの感覚を加えていきます。
外国語の歌を聞いて、そのまま口先だけを真似してはいけません。外国人ヴォーカリストの声の厚みを聞き、その背景にある身体の使い方を考えることです。
6 声の質感を保つ
声の質感が途中で変わると、歌全体が不安定になります。
高くなったときに上へ逃げる、低くなったときに声が薄くなる、母音によって声が変わる。
こうした問題を一つずつ確認します。
声を音符に合わせるのではなく、音符のなかに自分の声を入れていく。
そのためには、まず自分の声を身体のなかで安定させる必要があります。
[5] スタンダード曲を日本語を歌う
1 歌詞を語る
『あなたゆえのわたしよ』を、そのまま音符へ当てはめると、わたーし、ゆえーの、あなーたよおーという歌い方になりやすくなります。
しかし、それでは日本語の自然な流れが失われます。
まず、ことばとして『あなたゆえ』と言ってみる。
その次にメロディを加える。
ことば、メロディ、センス。
この三つを順番に扱っていくことで、単に楽譜を歌う状態から離れていきます。
2 四つに切らない
『あなたゆえのわたしよ わたしゆえのあなたよ』を、四つの部分にぶつ切りにすると単調になります。
一つの流れに入れて、統一感を出します。
少し切る。少し伸ばす。どこかを強くする。どこかを軽くする。
そうした変化を自分でつくっていくことです。
楽譜に書かれていない部分を、自分のセンスでつくることが、歌い手の仕事になります。
3 ことばを先に歌う
メロディをつける前に、ことばだけで歌ってみることです。
『あなたゆえ』という日本語が、どういう感情で出てくるのかを確認します。
そのあとでメロディをつけます。
最初はメロディを少し切り気味にしてみる。次には少し伸ばしてみる。
聞いている人は、あなたの、の、たが言えているか、ことばが一つのフレーズに入っているかを聞きます。
歌い手自身も、録音して確認することです。
4 身体の見える声
歌っているときに、身体が見えるかどうかも大切です。
声だけが上へ逃げて、身体が置き去りになっていると、声に厚みがなくなります。
身体から出せる声を使い、その感覚を一度つかんでおく。
言葉は、ババボビブでも、ララレリリでも構いません。同じ太さで音声を統一してみます。
一つのことばを何度も繰り返し、身体で引っ張る感覚をつくります。
5 最初で使い切らない
『ばら色の人生』では、最初のラララで息も身体も使い切ってしまい、その後を上の響きだけで逃がしてしまうことがあります。
これでは、歌全体を支えられません。
最初の部分から身体を使い、最後まで声を保つ必要があります。
たかだか三度程度の音域であっても、声を十分に扱えなければ、音域が広がったときにはさらに口先へ逃げてしまいます。
小さな音域のなかで声をつくることが、広い音域を扱うための基礎になります。
6 外国人ヴォーカリストから学ぶ
自分の声の厚みが分からないときは、外国人ヴォーカリストを聞いて、一緒に歌ってみることも一つの方法です。
音量感、厚み、音質、声の太さなどを比較すると、自分の声との違いが見えてきます。
これは外国人の声をそのまま真似するということではありません。
日本語を歌うときにも、身体を充分に使って声を出せることを知るためです。
外国人の日本語歌唱と日本人の歌唱を比べることでも、日本語の処理と発声の違いが見えてきます。
[6] 壊して、残して、つくり直す
1 歌いこなす前に声をつくる
ヴォイストレーニングとステージ上の表現は同じではありません。
ステージでは、声にさまざまな響きや脚色、感情表現が加わります。
しかし、その前に、声と息を充分に使い、それを一つのものとしてまとめる基礎があります。
歌いこなす前の歌をつくる。
プロとしての表現へ進む前に、プロになるための声をつくる。
この順序を忘れてはいけません。
2 完成したと思ったら壊す
一度できたものを、そのまま守っているだけでは、成長が止まります。
できたものを、もう一度壊してみる。
それは怖いことです。せっかく身につけたものを失う可能性があるからです。
しかし、壊しても残るものがあります。
その残ったものこそ、自分の本当に確かな部分です。
3 五十から五を残す
五十できたなら、その五十を全部保存しようとするのではなく、五だけ残して、あとは壊してみる。
その五が確かなものなら、そこから次は百をつくる。
そして、また壊す。
こうした作業を繰り返すことで、自分の表現の核が強くなります。
残る一割の部分が、確実なものになっていく。
創造とは、積み上げるだけではなく、壊すことでもあります。
4 ジャンルを全体で捉える
ジャズやゴスペルを、単なるジャンルとして分類して避けないことです。
その音楽を通して、歌い手が何を見ているのかを考えます。
一人の歌い手を聞くときも、その人の声だけでなく、その背後にある歌の世界、人間の世界を見る。
印象派の絵を単なる風景画として見るのではなく、そこに凝縮されているものを見るように、音楽も全体から捉えます。
ジャンル名を覚えることより、その音楽のなかで人間が何を表現しているのかを見ることです。
5 日本人として何を伝えるか
どこで歌っても、日本人には日本人としてのルーツがあります。
外国の音楽を学ぶことは、日本人でなくなることではありません。
むしろ、外の音楽を深く学ぶことで、自分が何者なのかが見えてきます。
何を伝えたいのか。
自分は何を経験してきたのか。
何を大切にしているのか。
歌のなかに、その人の人間観や世界観が見えてくることが必要です。
6 アーティストの活動拠点をつくる
ここは、どこの誰よりも一所懸命にやっている人が集まる場所。
一人のアーティストがすべてを変える。
そのような人が何人か出てくれば、日本のヴォーカル界も変わります。
そのためには、互いの価値観を認めながら、互いに妥協しないことです。
ここで認められれば世界に通じる、少なくともどこのライブハウスを超える、というくらいの基準を持つ。
考え方、思想、精神において、本物のアーティストと同じところまで自分を高める。
そのために、ここを実験場として使うことです。
一度歌えたら終わりではありません。
何度でも歌えるようにする。
できたものを壊す。
残ったものを磨く。
また新しい歌をつくる。
その繰り返しのなかで、自分の声、自分のことば、自分の音楽が生まれてきます。
さいごに
ヴォーカリストのトレーニングでは、うまく歌えることだけを目標にしてはいけません。
うまく歌うという言葉には、いろいろな意味があります。音程が正確であること、リズムが合っていること、歌詞を間違えないこと、声がきれいであること。それらは必要です。
しかし、それだけでは歌になりません。
一声を出したときに、その声から人間が感じられること。
その人が何を伝えようとしているのかが感じられること。
その声を聞くことで、聞いている人の身体や心に何かが起こること。
そこまでいって、初めてヴォーカルの表現になります。
そのためには、基本が必要です。
身体を使う。
息を使う。
声を使う。
ことばを身体から出す。
音程とリズムを身につける。
音色をそろえる。
フレーズをつなぐ。
これらを繰り返すことです。
そして、基本ができたら、そこから応用していきます。
自分の得意な曲だけではなく、苦手な曲にも取り組む。自分とは違うタイプの歌い手を聞く。ジャズを聞き、ゴスペルを聞き、ブルースを聞き、ヘヴィメタルを聞く。外国人ヴォーカリストも聞く。
一つの音楽に閉じこもらないことです。
多くを聞けば、自分のなかに比較する基準ができます。
そして、聞いたものをそのままコピーするのではなく、自分に必要なものを選びます。
『アンジェリータ』なら、外国語の名前だからと構えるのではなく、まずことばとして言ってみる。
『アンジェリータ 今も呼ぶよ』ということばが、自分の身体から出ているか確認する。
そのあとにメロディをつける。
メロディをつけたときに、ことばが死んでいないかを確認する。
そして、最後に自分のセンスを加える。
ことば、メロディ、センス。
この三つを一つにすることが、歌をつくるということです。
『ばら色の人生』でも同じです。
楽譜に日本語をそのまま当てはめてはいけません。
『あなたゆえのわたしよ』ということばを、まず自分のことばとして言う。
その後でメロディをつける。
そして、身体から出る声を保ちながら、どこを伸ばし、どこを切り、どこを聞かせるかを考える。
この作業を繰り返すことで、楽譜を歌う人から、歌をつくる人へ変わっていきます。
ステージでは、内側に凝縮してきたものを開放します。
一人でも客がいれば、その一人に働きかける。
大勢だから力を出すのではなく、一人の人間に対して、自分の歌で何かを変える。
その経験を積み重ねていくことです。
そして、ステージでできたことを、そのまま完成品として保存しないことです。
また壊してみる。
五十できたなら五だけ残す。
その五が確かなものなら、そこから百をつくる。
また壊す。
そうして残っていくものが、自分の本当の核になります。
創造には耐え難い苦しさもあります。
せっかくつくったものを壊すのは怖いことです。しかし、壊さなければ、新しいものは生まれません。
歌い手として成長するとは、昨日よりうまく歌えるようになることだけではありません。
昨日の自分が正しいと思っていたものを疑えるようになることです。
一度つくった声を壊し、もっと自由な声を探す。
一度つくったフレーズを壊し、もっと自然なことばを探す。
一度つくった表現を壊し、もっと深い人間の感情を探す。
それを恐れないことです。
そして最後には、自分のなかに残ったものを信じる。
外に宝を探しに行く必要はありません。
宝は、自分のなかにあります。
それを自分で磨き、人に与える。
歌にして与える。
そのとき、自分が一番学んでいるのです。
ヴォーカリストとは、自分の声を持っている人ではありません。
自分の声を通して、自分のことばと、自分の生きてきたものを、人に与えられる人です。
一人の人間として何を感じ、何を考え、何を経験してきたのか。
そのすべてを声に凝縮する。
そして、ステージで開放する。
その繰り返しのなかから、他人には代えられない一人のヴォーカリストが生まれます。
本物のアーティストとは、完成した人ではありません。
つくり、壊し、残し、またつくる人です。
その創造を続けられる人です。
そのために、声を鍛える。
ことばを磨く。
音楽を聞く。
身体をつくる。
そして、自分自身を深く生きる。
そこから生まれる歌こそが、どこへ行っても通じる、自分だけの歌になっていくのです。