声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

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○声の表現力をつける

 

ことばのトレーニングは、声をことばにするためのものでした。

その強化が「シャウト」です。

 

私は、あまり高い低いということばを使わないようにしています。

高い声や低い声が出るのにこしたことはないのですが、それは、中低音を確立した上で出てくるもので、無理にトレーニングで出そうとしないことが望ましいからです。

多くの人のヴォイストレーニングが、不毛になるほとんどの原因が、無理な高音だからです。

 

発声のトレーニングというと、高い声を出そうとしか考えていない人ばかりです。高い声に届くことですべてがうまくいく人ならば、それは正しいアプローチです。しかし、結果的に上達の妨げになっていることが多いのです。

 

高い声に届くと、上達しているようにみえます。しかし、器は少しも大きくならず、一本調子のカラオケ歌唱の域を出られなくなってしまうのです。

器とは声域のことでなく、1フレーズであっても、どれだけのヴォリュームで表現できるかということです。

 

*二、三ヵ月で二、三音、伸びる発声もなければ、半年休んだからといって、その二、三音が出なくなるなどという発声はありません。それは癖にすぎないのです。

声が高いというだけで評価されるとしたら、それは日本のレベルの低さを表すものでしょう。表現に耐える声をめざすなら、しぜんに発声し、語るように、その延長線でシャウトできることをめざすべきです。いえ、ヴォイストレーニングであればこそ、そういう意識しないとできないことへのアプローチに意味を見いだすことです。☆

 

ヴォーカリストの力は、歌唱力です。だから、表現力を中心に考えるべきです。高いということが気になるのは、聞いているほうがそのようなことに気がいくぐらいにしか歌の表現が成り立っていないからです。

たとえば、低―高―低と音が移動したとき、そのような音の高さの移動のほうが目立って聞こえたとしたら、おかしいでしょう。たとえ音がそのように動いても、私たちの耳には、表現が伝わらなくてはいけないのです。

 

 

○五十音のトレーニング

五十音のトレーニングの例文をあげておきます。

滑舌に使われることが多いのですが、ゆっくりと大きな声で読みましょう。

☆は、滑舌が難しい例文です。

 

 

早口ことば

<ア>あら、また、あかいはたがあがった、かった、かった、あかがかった。

<イ>いちり、にり、しちり、いちにちに、ぎりぎり、しちり、いった。

☆<ウ>歌うたいが歌うたいに来て歌うたえというが、歌うたいが歌うたうだけうたえ切れば、歌うたうけれども、歌うたいだけうたい切れないから歌うたわぬ。

<エ>蝦夷(えぞ)で暮すも一生、江戸で暮すも一生。

<オ>老いては負(お)うた子に教(おしえ)られ。

☆<カ>神田鍛冶町(ちょう)の角の乾物屋の勝栗(かちぐり)買ったが、固くて噛めない、返しに行ったら、勘兵衛のかみさんが帰ってきて、かんしゃく起して、かりかりかんだら、かりかり噛めた。

☆<キ>菊桐菊桐三菊桐(みきくきり)、合わせて菊桐六菊桐(むきくきり)

<ク>くりくり坊主が栗食って、くりくり舞をくりかえし、くるりと庫裡(くり)へくり込んだ。

<ケ>怪我負け、怪我勝ち、大怪我、小怪我。

<コ>小卵大卵(こたまごおおたまご)、大卵小卵。

<サ>笹原さん、佐々木さん、佐々三郎さん、三人早速あさって誘ってさしあげましょう。

<シ>信州信濃渋井村、新家(しんけ)の重(しげ)さんの尻にしらみが四匹(しひき)しがみついて死んだ。

<ス>住吉(すみよし)のすみにすずめが巣をくって、巣早すずめの巣立ちするらん。

<セ>浅草寺(せんそうじ)の千手観音(せんじゅかんのん)、専念千日千遍(せんじつせんべん)拝んで、千束町(せんぞくちょう)で煎餅(せんべい)買って千食べた。

<ソ>そんじょそこらのそばかす小僧が、そちをそしって逃げたとしても、そちはそれほど、そっとこらえてそしらぬ顔とは感心だ。

☆<タ>この竹垣に竹立てかけたのは、竹たてかけたかったから、竹立てかけたのです。

<チ>茶たばこのんでたばこ茶のむ、茶たばこたばこ茶々たばこ、のむ。

<ツ>つるてんつるてんはぎわらてん、破れた前だれあててんてん、夏は寒天心太(ところてん)、島島弁天(とうとうべんてん)手をうちゃ合点、一天合中六天(いってんがっちゅうろくてん)、それで私のもとでこてん。

<テ>テレピン油(ゆ)を掌(てのひら)にたらして手と手でもんでおてんてんへつけて見ろ。

<ト>とてちてた、とてちて、とてちて、とてちてた、おっと踊った。とんつつ、とんつつ、ととんつつ、どんたく踊りをおどろうぞ。

☆<ナ>長持(ながもち)の上に、生米、生麦、生卵。なた豆七つぶ生米七つぶ、七つぶなた豆。七つぶ生米。

<ニ>二条の西の洞院(とういん)、西入人形屋(にしいるにんぎょうや)の二階で、鶏(にわとり)が二羽、西向いて逃げた。

<ヌ>盗人と濡衣担(ぬれぎぬにな)い、悩みぬぐえず、七日七晩(なぬかななばん)泣きぬれる。

<ネ>年々ふえる年祖捻出(ねんそねんしゅつ)、なんとかならぬか泣言(なきごと)ならべた。

<ノ>農商務(のうしょうむ)省特許局日本銀行国庫局。

<ハ>パイプの火の不始末から火花ふいて、本家分家を灰にした。

<ヒ>かえるひょこひょこ三(み)ひょこひょこ、四(よ)ひょこひょこ、五(ご)ひょこひょこ、六(む)ひょこひょこ、七ひょこひょこ、八ひょこひょこ、九ひょこひょこ、十ひょこひょこ。

☆<フ>武具馬具(ぶぐばぐ)、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具。

<ヘ>家(うち)の牛(べ)こはよい牛こ、隣の牛こもよい牛こ、向こうの牛こもよい牛こ、三つ合わせて三よい三牛こ。

<ホ>坊主の貧乏、非常にふびんと坊主と坊主の父母が、奉仕と募金。

☆<マ>青巻紙赤巻紙黄巻紙(あおまきがみあかまきがみきまきがみ)、黄巻紙赤巻紙青巻紙、長巻紙に赤巻紙。

<ミ>猫が拝(おが)みゃがる、犬が拝みゃがる、馬が拝みゃがる。

☆<ム>麦ごみ麦ごみ三麦ごみ、合わせて麦ごみ六麦ごみ。

<メ>ちょっと流し目したら、目くじら立てて怒られて、ひどい目に会った。

<モ>すももも桃ももう熟れたから、もう売れよう。

<ヤ>おやおや、八百屋さん、お綾(あや)は親とお湯屋(ゆや)よ。

<ユ>湯河原に遊びに行って夕月を眺めたら、愉快になった。

<ヨ>居合(いあい)の用意はよいな。用意はいいよ。よいよい、やあやあ、いよいよ居合をやるぞ。

<ラ>雷鳥は寒かろラリルレロ。

<リ>瓜(うり)売りが瓜売りに出て瓜売れず売り売り帰る瓜売りの声。

<ル>虎をとるなら、虎をとるより鳥をとり、鳥をおとりに虎をとれ。

<レ>冷蔵庫から、冷凍料理を出してこいと言ったら、冷蔵庫から冷凍料理を出さないで、冷蔵庫からビール出してラッパのみした。

<ロ>とろろ芋をとる苦労より、とろろ芋からとろっとするとろろ汁をとる苦労。

<ワ>わらわば笑え、わらわは、笑われるいわれはないわえ。

 

○外国語を使う

 

日本語そのものが、強い息を使わずに口先で出せることばであるために、

外国語の発音から入るトレーニングは効果的です。

音大などでも、イタリア歌曲、ドイツ歌曲などを優先して、日本の歌を後にしています。

西欧音楽の勉強だからですが、それだけ日本語でそのまま歌うことが難しいのです。

 

今まで馴れ親しんできた日本語のまえに、インターナショナルに通じる声の習得を優先することと考えてみましょう。

イタリア語などのAEIOUで、日本語の「アエイオウ」を置き換えるようにするのもよいでしょう。

 

たとえば、日本語の「甘い」の「ア」は、とても浅いです。「あまい」ということばは、「Amai」と置き換えるだけで出しやすくなります。

その上で、もう一度、日本語の「甘い」に置き換えるのです。

 

イタリア人など外国人が、日本語の歌詞で歌った曲を聞いてみてください。

とても美しく日本語が響いています。これを見習った方が浅くならないという点で、歌としての音楽的な完成度は高くなるのです。

 

日本人の外国語は、日本人の浅い発声ゆえ、外国語に聞こえないことは触れました。

ことばの練習も、外国語できるのでしたら、取り入れるとよいでしょう。

 

 

○発音からの解放

 

浅い発声では、フレージングで息の流れの上にことばが乗りにくくなるのです。

たとえば「イ」と「ウ」で声の出にくい人は、このことが問題です。

 

考えるまでもなく、世界にはいろいろな言語があるのです。

それを、音楽とはかけ離れた、浅い日本語の五音の発声に限定するのは望ましいこととはいえません。

 

後々も、「イ」「ウ」が、いつまでも「ア」「オ」「エ」と異なる点で捉えてしまうと、一つの線になりにくいのです。「ア」と「エ」の間の音も、「ウ」と「イ」の間の音も無数に存在するのです。

 

発音でなく発声を優先に、できるだけ自由度をもたせておくことが、トレーニングとしては大切です。声やことばの根っこを捉えることを、できるだけ優先するのです。

 

今、使っている日本語と一時、お別れしましょう。

50音に関してのトレーニングは、体からの声で行なってみてください。

読むなかで、発音よりも先に音色、リズムやメロディを感じていくようにしてください。

○母音と子音の発音

 

声の出る人は、口先などほとんど動かさなくても、クリアに言うことができます。

実際、口をあまり動かさなくてもはっきりと話せる人、歌える人はたくさんいます。

口元というのは、表現の視覚的効果やことばを明瞭にするために大切です。

そこは利用すべきです。

 

しかし、トレーニングの順番としては、発声からです。仮に発音から入ったとしても、基礎は発声です。

口元を変えたり力を入れるのではなく、体から声を出すことを徹底しましょう。

母音は、声が発されるとき、舌の位置で決まります。

すでに声ありきなのです。

 

※私のレッスンでは、「腹話術のように」ということもあります。

明るく浅い母音よりも暗く深い母音をよしとしています。

口を大きく開けたり、横に引っ張ったりしなくても、区別のつく発音はできます。あごの開閉、口形は補助です。発音にならないのでなく、調音で発音をよりクリアに整えているのにすぎないのです。

 

子音は、唇や舌をしっかりと使わなくてはいけない音もありますが、それも最小限に抑えます。声がしっかりと安定して出るようになれば、おのずとクリアになってくるからです。

外国語の場合は、口や舌の使い方に加えて、息の強さが必要なことも多いのです。