濃ゆい人生 | ミー

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2021年9月ALSの疑いが
あると診断されました。
2020年冬頃転ぶようになり、左足が動かしにくくなっていきました。
そんな主人についての
備忘録です。

こんばんは



日々備忘録として

書き留めておきたい

そんなふうに思ってます



今日もまるで

スヤスヤ寝てるみたいに

穏やかな顔をしてました



面会に行ったら反対を向いてて

奥さんの方向きましょうねー

と看護師さんが反対向きに

してくださいました



ダンナさんて

やっぱり幸せだなー

と思います



最初から最後まで

孤独な思いは一度もしてません

常に誰かそばにいてくれました



一部ヘルパーさん問題は

あったとはいえど

スムーズに変更もできて

いいメンバーになったところで

安心してましたし



辛さももちろんあったけど

ケアマネを始め、

看護師さん、リハ、福祉用具さん

とみんなダンナさんのために 

ダンナさんが快適に過ごせるよう

ダンナさんの願いは

叶えてくれてましたキラキラ



サービス精神旺盛で

お喋りなダンナさんにとって

みんなと触れ合う時間は

楽しい時間で



家の中はいつも  

明るく賑やかでした



それに

ALSとわかった頃から

チェックしていたペルモビール



車好きのダンナさんは

ペルモビールに乗りたいびっくりマーク

ずっと密かに思ってました



でも当時はレンタルはなくて

諦めてたのに

レンタルできるようになって

その願いも叶ったし



もうそれはそれは嬉しくて

友達にも乗って見せて

自慢してました👨‍🦽



そしてダンナさんにとって

一番幸せだったこと



それは主治医との出会いです



本当に偶然にも

同じ高校の後輩で

さらには大学病院の主治医も

同じ高校で二人は顔見知り

だったんです



お二人のお力添えが

ダンナさんにとって

どれほど心強かったことか



病気にならなかったら

出会えなかった

運命的な出会い

 


この主治医が

本当に本当に素敵で

男気あって私もファンでした



先生については

また今度詳しく書けたらな

なんて思ってます



俺は持ってるな!

と興奮して言ってたことを

よく憶えてます



まだまだ現実を受け止める

とはいかないけれど



人生は長さよりも

濃ゆさ



少なくとも

ダンナさんの人生は

濃ゆい人生だったと思います



そしてその濃ゆい人生に

巻き込まれてきた私も

同じく濃ゆい人生だと感じてます



生きてることは

当たり前じゃない



今日一日を大切に

丁寧に生きることを

ダンナさんを通して 

学ばせてもらいました



悲しい結果となったとしても

たくさん泣くけど

それでもまた笑顔でいたい



ダンナさんに叱られるので

必ず笑顔を取り戻します照れ