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NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Elton Johnエルトン・ジョンの1973年のアルバムで邦題を“黄昏のレンガ路”という。
このアルバムは、シングル“Your Song”や前作“Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player”の大ヒットにより商業的にも成功し、彼の実力が大きく評価された後にリリースされたアルバム。2枚組というボリュームで、4曲のシングルヒットの他にもレゲエやR&Bなど新たなサウンドへの試みもされており、バラエティに富んだ実験性のあるアルバムとなっている。
このアルバムに収録の“Candle In The Wind”はもともとトーピンのハリウッドに対する情景が表れた曲で、マリリン・モンローの追悼として書かれた名曲。最近ではダイアナ元皇太子妃の追悼歌として歌われていたのが印象深い。
エルトン・ジョンの曲はほとんどが、作詞家バニートーピンとの共作で、彼のつくる文学的な詩作の世界はエルトン・ジョンの音楽を語る上では非常に重要な要素となっている。デビュー当時のエルトン・ジョンの音楽のほうが、彼の独特な歌唱にあったサウンドであったことは否めないが、彼の代名詞的な大ヒット曲である“Your Song”が生まれた1970年あたりから二人の相性も良くなり、バランスの取れた上質なポップスを作るようになる。
このアルバムは、エルトンの美しいメロディーとダイナミックな構成、トーピンの書く文学的な詩の世界が解け合った集大成ともいえる内容。2枚組のためセールスこそ振るわなかったようだが、文句なしにエルトン・ジョンとバニートーピンの最高傑作であるといえよう。
Sean Paulショーン・ポールの新譜で爆発的に売れた“Duty Rock”に続く3枚目のアルバム。
ショーン・ポールは“Get Busy”でレゲエアーティストのジャマイカ録音曲では初の全米ヒットを記録し、ビヨンセとの共演、メジャー移籍後の第1弾アルバム“Dutty Rock”では日本だけでも40万枚を売り上げると言う驚異的なセールスを記録。現在のダンスホールレゲエの第一人者といっても過言ではないだろう。
この新作は、リリース前から既にラジオ等で先行シングルの“We Be Burnin”ほか何曲かがヘビーローテーションで放送されており、アルバム発売が決まる前からかなりの期待と注目が集まっていた話題作。前回でもNeptunesやBusta Rhymesらアメリカの旬なアーティストらを起用してたが、今回もゲスト陣は豪華なラインナップで今年大ブレイクが確実視されているフィメール・シンガーTami Chinや、Looga Man、“Dutty Cliche”で共演したKid Kurupらダンスホール・シーンの新しい実力派新人を揃えている。
もともと第3世界の音楽でしかなかったダンスホールレゲエという音楽を世界に波及し、ヒップホップやR&Bにも多大な影響を与えた彼の功績は大きい。彼は、今後さらに人種の壁が薄くなり、あらゆる音楽がミックスされていく中で自らのアイデンティティを守るためにダンスホールレゲエを守って生きたいと語っている。このアルバムはそんな彼の音楽に対する真摯でプリミティブな意思が100%反映されており、前作以上にベーシックでストレートなダンスホールレゲエのアルバムとなっている。彼の勢いは留まるところを知らず、この新作でふたたび世界を熱く躍らせる。
Monk&Coltrane先月末に突如発表されたセロニアス・モンクとジョン・コルトレーンの1957年のライブ盤。タイトルが最後まで入らなかったが、タイトルは“Live At Carnegie Hall 1957”という。
この年の11月にニューヨークのカーネギー・ホールで行われたライブで、モンクのカルテットにコルトレーンが加わるという編成で、メンバーはThelonious Monk(p),John Coltrane(ts),Armed Abdul-Malik(b),Shadow Wilson(ds)というメンツ。
当時マイルスのバンドをヘロインと過度の飲酒癖により首になったコルトレーンを同郷のモンクが自分のバンドに誘うことで、このコラボレーションは実現している。このバンドは5spotでのライブを繰り返し、好評を博するのだが、公式な録音が一切なくモダンジャズ史上の伝説となっていたバンドである。このカーネギーホールでのコンサートは5spotでのライブの後の総決算的なライブ。このコルトレーンを擁するモンクのカルテットの他に5バンド出演しているが、やはりコルトレーンのソロは郡を抜くほど素晴らしい。ジャンキーではあったが、この57年にソロでも“Soultrane”“Bluetrain”という2作の名盤を生み出している通り、非常に音楽的には冴えている。なおコルトレーンは後年この57年が人生の転機だったと語っていたそうである。
演奏のほうは熱いソロを繰り広げながらも非常に整合性の取れたバランスの良いライブで、モンクのピアノも実に上品でバンドアンサンブルを重視した演奏。特に名曲“Blue Monk”で聴ける各人の短いインプロヴィゼーションの説得力ある構成は特筆に価する。
そして今回発掘された音源は信じられないほど音が良い。いままで陽の目を見なかった蔵だし音源とは思えないサウンドで、録音状態は極めて良好。それぞれの楽器の音のバランスも非常に良く、最近録音された新譜のようでもある。
今回のCDの帯には“世紀の大発見、驚愕の高音質、ジャズ界の奇跡”と宣伝文句がうたってある。こういった企画もの的な発掘盤の場合、たいていは大袈裟なセールスコピーと比べて内容がともなわないものが多い。だが今回のこのアルバムはセロニアス・モンクとジョン・コルトレーンというジャズ界2大巨頭の邂逅の最も良い場面を刻銘に捉えた歴史的音源といえる。
Duke EllingtonDuke Ellingtonの1962年のトリオ編成のアルバム。
Duke Ellington(p),Max Roach(ds),Charles Mingus(b)という構成で、エリントンと他の二人とは20歳以上の歳の差がある。エリントンの書く美しい曲に対して、ミンガスとマックス・ローチの叩き出す荒々しいリズムの対比が面白く、さらにエリントンの革新的なピアノスタイルがストレートに聴ける内容となっている。ビッグバンドでも整合性の取れた曲に対して、過激で個性的なピアノはエリントンのビッグバンドでも大きな売りの一つではあった。時には美しく、時には荒々しく突飛なフレーズを弾きだす彼のスタイルはモンクやその後のフリージャズにも大きな影響を与えたという。ミンガスとマックス・ローチはその後、エリントン直系の後継者となりアフロポリリズムやブラジル音楽などをジャズに取り入れ独自のサウンドを形成していくのである。
デューク・エリントンは最も著名なジャズの作曲家/編曲家かつビッグバンドのリーダーとして広く認知されている。作品数も多く、どれもクオリティーが高く名盤と呼ばれるものも数多い。このアルバムは数多いエリントンの作品の中でも、エリントンの音楽がトリオという最小単位で表現された作品で、彼の音楽の本質が見えやすい。“Take The A-Train”のようなポピュラリティーはないが、彼の芸術的なピアノスタイルが堪能できる名盤と言える。
Joe Jacksonジョー・ジャクソンの1982年リリースの5枚目のアルバム。
ジョー・ジャクソンがデビューしたのは1978年で、コステロと同様に当時のパンクムーブメントの影響を直に受けたサウンドとシニカルな詩作でパンクのアーティストとして認知されていたが、このアルバムくらいになるとやはりコステロと同様に自身の持つ音楽性の幅広さを発揮するようになってきている。ジョー・ジャクソンの場合は、もともとクラシック音楽の素養があり、そのクラシックのルーツとパンク的なメッセージ、独特のへそ曲がりっぷりを当時のレゲエやエレクトロニックな最新の音楽を取り入れることにより独特で斬新なサウンドスタイルを作り出すことに成功した。
このアルバムは、ニューヨークをテーマにした作品で、タイトル通りニューヨークの“Night and Day”つまりいろんな角度から彼なりのニューヨーク感をテーマにしている。文化のるつぼであったニューヨークで流れている、ロック、ジャズ、サルサ、ラテンビート、ヒップホップといった米国音楽の他にも東洋風な旋律を持つ“Chaina Town”、当時のエレクトロなサウンドを前面に押し出したヒット曲“Steppin'Out”など多岐に渡る音楽性で表現されている。まさにそれは当時のいくつもの表情を持っていたニューヨークそのものと言える。
なお、このアルバムは現在Deluxe Editionとして2枚組の完全版がCD化されている。彼の中でも特に完成度の高い代表作である。
Elvis Costelloエルビス・コステロの1978年の2ndアルバム。
70年代中期にロンドンで始まったパンクムーブメントを背景に、大胆にも当時なくなったばかりのエルビスの名前を語りコステロはデビューした。バディーホリーのようなメガネをかけ、インテリジェンスな雰囲気を醸し出しながら熱いパンキッシュな歌をうたい、デビュー盤はイギリスでベストアルバム賞を受賞するほどの評価を受けていた。
コステロのこの時期のサウンドは、表面上は明らかにセックス・ピストルズのような社会に対する反抗を歌ったパンクサウンドではあるが、もともとThe Bandなどのルーツロックが好きだったというコステロのパンクは当時の他のどのパンクとも違い、一線を画すものであった。
このアルバムでも前作に引き続き、パンクサウンドを基調としたものであるが、そのエッセンスはエルビス風の50年代ロックやロカビリー、南部ロックなど幅広い。また当時注目されていたレゲエの影響を感じさせる曲などもある。そういった最新の音楽をさっそく自分の音楽に取り込んで消化しているところもコステロの音楽の懐の広さを証明している。またこのアルバムからアトラクションズが加わり、デビュー盤と比べるとシングル単位での認知度は劣るが、バンド感は増している。
最近では売れっ子のJazzシンガーであるダイアナ・クラールと結婚し、ジャズのアルバムを作ったり、バートバカラックとの共演、映画の主題歌などと非常に多岐に渡る活動を行っている。どんなジャンルの音楽を作ってもコステロらしさが発揮された内容で、クオリティーの高い充実作となっているのはさすがである。
このアルバムは、まだ20代だったコステロの社会に対して妥協を許さない若い怒りと、自己の音楽に対する一切の妥協を排除したアーティストとしての側面がバランス良く表現された名盤である。
Chet Baker今日、会社の友人の通夜に行ってきた。
彼は会社の先輩であり、異業種から転職した先輩でもあり、年下にも関わらず私にとってはとても大きな存在だった。先輩でありながら、決して偉ぶることもなく年上の私には最大限の敬意を払ってくれた。(敬意を払ってもらうものなんて、持ち合わせていないにも関わらず)
先週末に幼少の頃から既往歴として持っていたものが、急性的突発的に発症してしまい、週明けにはもう帰らぬ人となってしまった。極めて明朗快活な人物であったので、その訃報は私を含め多くの人に衝撃とやり場のない悲しみを与えた。
こうやって文章にすることでもちろん彼が帰ってくることもないし、私や残された者の感傷的な気持ちが癒され昇華されるわけでもない。そして、死んだ者へのテキストを残すことで死者のために何かをしようと考えることは、音楽で世界が救えると信じ込むのと同じくらいoptimisticなことだとすら思う。

現在時刻は午前2時13分、スピーカーからは小さな音量でChet Bakerの歌う“Angel Eyes”が流れている。58歳でホテルの窓から転落死するまで、死の香りを漂わせ続けながらも死ぬことすら出来なかった男の切ない歌を聴きながら彼のことを考えると、悲しみより虚しさのほうが増してくる。
このアルバムはそのChet Baker後期のライブ盤。1978年フランスの“Chateauvallon Concert”での演奏を収録した作品である。WestCoastJazz全盛期はマイルスを凌ぐほどの人気があり、彼の中性的な歌声はジョアン・ジルベルトを刺激し彼のJazzをBossaNovaへと向かわせた。だがこのアルバムを含め、麻薬から立ち直ったChetの音楽には拭いきれない死の匂いが染み付いてしまった。かつてJames Deanに似ていると評された頃の、青春の匂いはもう存在しない。

復帰後のChet Bakerの音楽からはかつての洗練されたクールなプレイスタイルを聴くことはできない。だが死者を送るのと類似したやりきれなさとそんな気持ちを超越した心を揺さぶる何かがある。
Wynton Marsalisウイントン・マルサリスの新譜。正式なアルバムタイトルはAmongst The People: Live At The House Of Tribesという。
ここ数年、前作のジャックジョンソンをテーマにした“Unforgivable Blackness”などコンセプチュアルな大作が多かったウイントンではあるが、今回の新作は2002年にマンハッタンのクラブで行われたライブパフォーマンスを収録したライブアルバムである。
メンバーはWynton Marsalis (tp) Wessell Anderson (as) Eric Lewis (p) 中村健吾 Kengo Nakamura (b) Joe Farnsworth (ds) というクインテットで、近年のパートナーであるWessell Andersonや日本人ベーシストの中村健吾も健闘している。曲目は伝統的なハードバップ調のストレートアヘッドな4ビートばかりでウイントンのソロ他聴き所は多い。全体的なサウンドやライブ構成もうまくまとまっていて、長いソロも決して冗長的になっていないのはさすがである。そしてそのバンドに対するオーディエンスの熱い雰囲気もよく伝わってくる。
技巧派として知られるウイントンではあるが、実は初期のスタンダード作品からグループとしての演奏力に力を入れてきた。頑固なまでにブラック・ナショナリズムとしてのジャズを追及する姿勢はいまだに変わらない。その頑固な姿勢がはなにつく場面も多いが、ポストモダン・ジャズやロックやファンクミュージシャンの解釈によるジャズが流行する中で、あえて伝統音楽的なジャズを守ろうとする孤高な彼の存在は貴重なのかもしれない。モダンジャズが生んだ最後のジャズ・ジャイアントと言える。
Otis ReddingOtis Reddingの1965年のアルバム。
今や神格化されたソウルシンガーであるオーティス・レディングではあるが、彼の活動期間は極めて短い。1962年にデビューして1967年に飛行機事故によって亡くなるまで活動期間はわずか6年たらずである。その間素晴らしいライブを行いライブ盤を残したが、スタジオアルバムのベストはこのアルバムだという声が多い。このアルバムには彼の持ってる歌のパワー、バイタリティーがすべて込められている。ソウルの名曲の他に当時のロックの大ヒット曲であったストーンズの“Satisfaction”をカバー。その他テンプスの“”圧倒的な歌唱力で実力を見せ付けた。
オーティスはこのアルバム当時わずか26歳、アップテンポのノリの良さやバラードの説得力、黒人にしか出せない独特のこぶしなどその実力は神がかってさえいる。彼はこのアルバムのストーンズのカバー他ビートルズなどロックのカバーも何曲か挑戦しているが、すべて完全に自分のものにしてしまっている。彼のボーカルスタイルはその後、ソウルはもちろんロック系シンガーにも影響を与えた。今日聴かれるバンドで彼の影響を受けていないボーカリストを探すほうが困難ですらある。
彼の歌の前ではこれ以上の言葉は必要ない。その後オーティスのスタイルを継承するボーカリストはたくさん星の数ほど現れたが、決してオーティスのようには歌えなかった。彼のようなボーカリストはこれからも決して現れないだろう。
TemptationsTemptationsの1975年のアルバム。
70年代に入りニューソウルが盛り上がってくる中で、テンプテーションズのような歴史の古い古典伝統的なコーラスグループもサウンドを大きく変化させることになる。“Papa Was A Rolling Stone”というヒットを生み出し、当時のブラックミュージックの最先端とも言える斬新なサウンドを作るようになったのである。それはノーマンウィットフィールドがプロデュースを行った73年の大作アルバム“Masterpiece”で完成する。コーラスグループのアルバムでありながら長いインストメンタルを導入し、それほどドラマチックでダイナミックな音作りをしているわけではないが、細部にまで拘ったサウンドメイクをしている。
そして75年の本作では、ノーマンウィットフィールドのもとを離れ、プロデューサーにJefferey Bowenを迎えて製作、もう一度原点回帰するかのように、彼らなりのブラックミュージックを模索している。タイトル曲の“Song For You”はレオンラッセルのカバー、その他特筆すべきはP-Funkのオリジナルギタリストであるエディ・ヘイゼルが作曲と演奏で参加した“Happy People”と“Shakey Ground”である。 テンプスたちのコーラスワークも素晴らしいが、エディをはじめとするバックの真っ黒なファンキーな演奏もバランスが取れていて見事。テンプスのリリースしたアルバムの中でも最もファンキーなアルバムである。ここにはもはや“My Girl”をヒットさせた頃の面影は残っていない。
モータウンの看板バンドであったテンプスの変貌は、ノーザンソウルだけでなくロックミュージシャンにも大きな影響を与えた。古典的なグループでありながらブラックミュージックが多様化していく中で、常に時代の先を行き先鋭的なサウンドを追い求めた姿勢は評価に値する。