ドアパンチで傷ついたボディが気になって立ち寄ったイエローハットです

ふと見ると古墳の香りのする山が目の前にあります

そういう訳で車で左回りに登り口を探しましょう

 

ありました神社

古墳の側に神社あり

 

 

『四所神社本殿』の解説版

古墳については触れていません

しかしここの町名が朝倉という事が判明

九州に縁が強いということは期待が膨らみます

 

裏に回ると日露戦役記念碑がありました

過去にも、戦没者の記念碑の側に古墳がありました

 

本殿の裏は岩が露出しています

石室の気配…は、ないか

 

なんとなく、膨らんでいるように思いますが…違うかな

 

墳頂ですと言いたくなる空間

更に探索です

 

この藪を進めばもしかしたらという気持ちもありますが、私は苦手です

 

見つけたのは基準点

 

諦めて帰ろうとしたらイエローハットの右斜め前に解説版を発見

足利市重要文化財(史跡)明神山古墳群

現存する古墳は全て円墳(径10〜20m高さ3m前後)

横穴式石室 葺石 埴輪 須恵器

前方後円墳1基 円墳33基以上 後期古墳群

足利市教育委員会

 

なかなか渡良瀬橋には到着しませんね

今度は栃木県です

藤本観音山古墳です

観音様が祀られているのかな、参道の様な階段があります

 

国指定史跡 藤本観音山古墳

下野国と上野石の境の矢場川右岸高さ30mの平地

前方後円墳 全長117.8m 

周溝は浅く広い長方形を基調とするも周辺部は不整形

南西部は極端に細まる

竪穴建物跡21軒と土坑3基確認 飯場や古墳祭祀跡か

4世紀中頃築造

公益財団法人 足利市民文化財団

足利市教育委員会

 

何通行止めか?

石段が危険と言うことですかね

 

という訳で注意しながら墳頂へ

いたって平穏な感じ

平です

 

前方部方向は藪です

 

見通しは最高

あちらの方向に塚廻古墳がありました

そこは群馬県

 

先程墳頂から見ていた部分

多分、くびれ部

 

この部分は、前方部が削平された所と思われます

 

この藪は前方部

 

前方部側から後円部

初期の前方後円墳らしい低い前方部ですね

 

この道は、広く浅い周溝部の中になります

 

前方部の先にきました

今立っている所も多分周溝内

この右手に飯場の跡があったのですね

それを含めて復元して欲しい古墳です

 

こちらは後円部に戻ってきました

左奥が前方部

ここの立ち位置も周溝内

 

後円部の後方はこんな感じ

 

片側からしか写真を撮りませんでしたが、反対側はあまりにも可哀想なお姿でした

土俵際ギリギリで残っている古墳ですね

公園とかにならないですかね

して欲しい

この辺は県境沿いでしてまた、群馬県です

『群馬県指定史跡塚廻り古墳群第4号古墳

 群馬県教育委員会 太田市教育委員会』

4号墳ではなくて4号古墳という所に力が入っています

 

田んぼのど真ん中みたいな所に古墳です

隣に人家もなければ藪もない

まして、塚と言える程の高まりもない

よくぞ、発掘保存されました

 

塚廻り古墳群第四号古墳

土地改良事業の際水田のしたから発見された7基の古墳

帆立貝式古墳

全長 22.5m 円丘部 直径17.7m 

造り出し部 幅8.7m 長さ4.8m

周溝 幅4.5m

主体部は、円丘部中央と北側裾部の2ヶ所

北側部は埴輪列を壊して造られる

出土品 円筒、朝顔形円筒、家形、器材、人物、馬の   計304点の埴輪が出土

優れた造形と埴輪祭式の様子をリアルに再現することが可能

で国の重要文化財

築造6世紀前半

 

国指定重要文化財

「上野塚廻り古墳群出土埴輪」(模造)

埴輪類を忠実に復元製作し、出土状態からその配置を復元したもの

墳丘部には、円筒埴輪、盾形埴輪、家形埴輪、大刀など配置

造り出し部円筒埴輪の他、人物埴輪や馬形埴輪が配置

西域4体の女子像が配置され、その東部には椅子に座った男子、跪く男子など7体の男子像

椅子を座った男子を中心人物として、首長権が継承される儀式を再現したのか

 

国指定重要文化財の埴輪列、

埴輪祭式ですね

 

座っている人達がいなければこちらに向かってくる、迫る感じがしますね

 

こちらは大刀と盾でしょうか

奥に見えるのは筑波山ですね

 

大刀と円筒埴輪(3段突帯)

いつも見ている古墳とは様相が違います

 

引いてみると綺麗な帆立です

墳丘ないと環状列石にも見えてきます

 

奥に赤城山ですね

この角度から見ることないから新鮮です

埴輪列は西に進んでいる様に見えてしまいます

西に沈まる感じでしょうか

 

浅間山や榛名山が見えていたのかなと思いましたがこの時は望めませんでした

当時は噴煙とか上がっていたのでしょから山の神に対して鎮護的な意味とか感じます

 

よく、本に出てくる塚廻り古墳にこれてよかったです