宮崎(日向)の古いお話し神代三陵 | 山の上一番のブログ

山の上一番のブログ

ヤフーから移行しました「山の上一番」です。九州宮崎の山を中心としてその自然をお伝え出来ればと思います。どうぞ宜しくお願いします。

宮崎県には宮内庁が管轄する陵墓(参考地)が三か所あります。

一つには延岡市北川町の可愛岳麓にある可愛(えの)山陵です。それは日本書紀にも書かれています。

ニニギノミコトは筑紫(九州)の国の日向国の可愛の御陵に葬った。正式には漢字二文字で可愛(え)と呼ぶようです。ここは西郷隆盛が最後の宿陣地です。その背後に山陵があります。もっと言えば背後に山陵があるからここを宿陣地に選んだのです。政府軍は天皇家の直系の墓に大砲は打ち込まないだろうとの考えです。ここから彼は鹿児島の城山へ九州山地を敗走されたと言われています。話を戻します。

 

二つには西都市の西都原古墳群にある男狭穂塚、女狭穂塚でニニギノミコト、コナハナサクヤヒメを

葬ったとこれも日本書紀に書かれています。日向国の高屋の山に葬ったとあります。

 

三つには日南市の鵜戸神宮の山にある吾平山にある山陵でウガヤフキアズノミコト葬ったと。

一書に曰く(笑)これも日本書紀に書かれています。日向国の吾平山に葬ったとあります。

 

三箇所を地図から見ましょう。北から話を進めます。

 

先ずは可愛の山陵からです。可愛岳と右に西郷隆盛宿陣地と上が御陵です。  過年撮影

 

小さな円墳です。

 

裏側は囲いがありません。

 

次は西都原古墳群にある山陵、男狭穂塚と女狭穂塚古墳です。      過年撮影

 

女狭穂塚古墳は前方後円墳ですが男狭穂塚は帆立貝式古墳で大変珍しく日本最大級です。

今は杉に覆われ山容は見えません。下の写真の通り両塚の頂上は南北の関係です。

男狭穂塚古墳は見た感じ作りかけで止めたのではとの説もあるようです。

 

杉林に覆われ普段は出入り出来ませんが凛とした感じは漂います。

 

最後が吾平山上陵です。最初の可愛と西都原は複数回訪れていますが、今回ここにどうしても

来たくて10月11日初めて歩きました。鵜戸神宮の手前を左に曲がり頂上を目指し歩きます。

 

鵜戸神宮の御主祭神の墓になります。

 

頂上までへこたれる程歩きます。そして頂きはまさに地形を利用した小さな円墳です。

外周を回っていると道を15分位でしょうか道を見失いました。柵内には入っていませんが焦りました。

来てはいけない所に来たのでしょうか?不思議な感覚に襲われでミステリアスな経験をしました。

 

焦っていたので写真はこれ以上ありません。

 

さてここからがお話です。宮崎(日向)の山陵はあくまで神代陵墓参考地なんです。

一書に曰く、筑紫(九州)の国の日向国の可愛、高屋、吾平に葬ったとあるのに参考地なんです。

それは何故かと言われれば宮内庁が認めた神代三陵が別な場所にあるからです。

薩摩川内市の可愛山陵、霧島市溝辺町の高屋山上陵と鹿屋市の吾平山上陵で神代三陵と呼ばれ

宮内庁陵墓に神代として最初に並びます。初代神武天皇から124代昭和天皇まで欠史八代と言われる天皇も並びますが、その前神武天皇の前の並びが神代で神代三陵と呼ばれます。

 

天孫降臨の地は日向高千穂です。そこから日向に三代お過ごしされ初代神武天皇のお生まれも

日向と言われています。そんな宮崎(日向)が大好きな山の上一番です。宮崎(日向)が再び脚光を

浴びる日が来ると嬉しいです。いつも見て頂いてありがとうございます。

 

吾平山上陵の帰りに波切神社にも立ち寄って見ました。

山幸彦(彦火火出見尊)兄(海幸彦)の元社かと思わせるような神秘が漂います。