李氏朝鮮による仏教弾圧:高麗の仏教文化を女真族王朝が破壊 | Fugenのブログ

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 朝鮮半島の歴史には、英雄譚がありません。

 朝鮮半島の王朝は常に弱小で、中国大陸に覇をなした、あるいは覇権をなしそうな勢力に、そして、古代に倭と呼ばれた時代から日本に対しても昔から、右顧左眄を繰り返し、朝鮮半島は何度も蹂躙され踏みつけられ、略奪・虐殺を繰り返され、あるときは大量の民が拉致され、あるときには雑多な民族が流入した結果、民族としてのアイデンティティーすら確立するのが難しいまま今日に至るという悲喜劇にみまわれているからです。


 本ブログの『高麗王のモンゴル人化(後編):モンゴル名と血統の純化 』で記したように、平安時代から室町時代までの400年以上の長期政権の高麗王朝も、王侯貴族をモンゴル人化された後に滅びました。


朝鮮半島では、高麗王朝を滅亡させて李氏朝鮮王朝が建国されます。ただし、高麗人とは異民族の、女真族がたてた王朝ですので、ここには決定的な歴史の断絶があります。


 歴史が断絶されると、頻繁に起こるのが文化破壊です。


 李氏朝鮮をおこし、朝鮮半島を統一した女真族にとっては、異民族の高麗の文化を尊重する理由などかけらもありません。そこで、起きたのが、明に朝貢し、儒教を国教にした、李氏朝鮮の仏教弾圧、『崇儒廃仏(すうじゅはいぶつ)』です。


 wikiを調べると、『李氏朝鮮時代の仏教弾圧 』では、

<< 僧は都の漢陽に入ることを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。また、全国に1万以上もあった寺院は、国家的に保護を受けるべきものが242寺に限定され、その他の寺院は所有地と奴卑を没収され、また多くが破壊された。さらに、第3代太宗の時代の1407年(太宗7年)には、12宗が7宗88寺院(曹渓宗・天台宗・摠南宗・華厳宗・慈恩宗・中神宗・始興宗)に、次の世宗の治世(世宗6年・1424年)にはその7宗派も曹渓宗・天台宗・摠南宗を統合して禅宗、華厳宗・慈恩宗・中神宗・始興宗を統合して教宗と、2宗派にまとめられた。88の寺院は、禅宗18寺院・教宗18寺院の計36寺院を残し廃寺となり、この時期に朝鮮半島の仏教は著しく衰退した。 >>

と記されています。
なお、wikiの記事には、朝鮮王朝実録の原文が参考資料としてあげられているので、きわめて信憑性が高いと思います。

 年代に注意してみると、李氏朝鮮の仏教弾圧は、世宗6年・1424年には完了しています。
 
 韓国人の歴史捏造で、あたかも、豊臣秀吉の朝鮮征伐、文禄・慶長の役(1592年~1598年)により仏教寺院が破壊されたかのような妄言が吹聴されていることには要注意です。


 朝鮮半島の仏教破壊の惨状を、チャンネル桜が、YouTubeに『3/3【呉善花】日韓比較文化レポート・仏教文化と麗水[桜H24/4/14] 』で公開しています。
呉善花先生と仏像の専門家が、韓国の修徳寺で対談し、朝鮮仏教について論じています。
なお、修徳寺の大雄殿は、韓国最古の木造建物の一つとして国宝(第49号)に指定されているそうです。


その大雄殿を前にして、辛辣な評価が下ります。


「朝鮮時代に技術は低下した。大雄殿の仏像は、専門家の視点から言えばおもちゃに過ぎない」


これぞ、高麗から断絶した、朝鮮文化に対する、正当な評価だと思います。


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