中国史の勘所:司馬遷すらも歴史捏造?(春秋の筆法と海の都の物語) | Fugenのブログ

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 中華人民共和国の独裁政府の歴史捏造に、

日本人の私は怒り心頭です ヾ(。`Д´。)ノ


 中国は、日本の多額のODAによる、経済援助・技術援助で、世界第二位の経済大国にさせてもらった恩義を忘れています。それどころか、歴史捏造により反日教育を行い、あげくの果ての尖閣諸島の侵略画策・政府の扇動による反日暴動です。

そもそも、大東亜戦争で、日本軍が戦ったのは、蒋介石の国民党軍です。一方で、蒋介石の国民党軍は、人民解放軍と戦いましたので、人民解放軍にとって、敵(国民党軍)の敵(日本軍)は味方なのです。本来、人民解放軍の『抗日戦』などと言うこと自体が、笑止千万な歴史の捏造です。


 しかし、ちょっと落ち着いて考えてみます ( ̄Д ̄;;


 中国史を振り返ると、歴史捏造は、今の中華人民共和国の独裁政府だけがやっていたのでしょうか?

 中国のいわゆる正史とは、前の王朝を倒した、新王朝が編纂した歴史書です。

内容は、全部同じで、次の内容につきます。


「前の王朝の建国時代は立派だった。しかし、それが腐敗・堕落して悪政がはびこり、民が苦しむようになった。そこで、正義の味方の、新しい建国の英雄が現れて、作ったのが今の王朝である。従って、今の王朝は正義の味方だ。正しいのだ」


異民族を、武力制覇しただけでは都合が悪いので、統治をうまくやるために作り出したファンタジーが中国の歴史の「正史」なのです。このため「中国人にとって、歴史とは政治である」のが真実なのです。


そして、このような書き方を『春秋の筆法』といいます。

wikiで『春秋の筆法』を検索すると


「《「春秋」の文章には、孔子の正邪の判断が加えられているところから》事実を述べるのに、価値判断を入れて書く書き方。特に、間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判する仕方。」


と記されていますが、この通りだと思います。


中国の正史の嚆矢は、司馬遷の『史記』です。人類史に残る歴史書ですが、基本姿勢は変わりません。

確かに、様々な人物伝、人生訓に溢れた「中国史」は面白いです。大人の楽しみとして読むのはいいですが、歴史事実そのままを伝えていると勘違いするのは禁物です。


 さらに、問題があります。中国の歴史書が漢字で書かれていることです。

 つまり、漢字で書かれているということは、漢字でコミュニケーションする漢人に都合良く描かれており、支配者となった遊牧帝国(元・清など)の独自の文字で記された歴史が隠されていることです。

このため、


「野蛮な遊牧民が漢人を支配すると、優れた中華文化に取り込まれて漢民族化する」などという捏造


を、漢字文化圏の日本人である私は、簡単に信じる危険があるので、要注意だと思っています。このブログの『チャイナ・ドレスの切れ込みとキョンシーの話 』で記しましたが、大清帝国では、漢民族の憧れが、満州貴族だったように、支配者の文化はつねに、その時代の下層民の憧れになるのです。チャイナドレスは、支配層の文化・風俗が漢人に浸透した実例です。


それでは有用な歴史観を作るのには、どうすれば良いかと言えば、自分で考えるしかない、というのが私の結論です。

でもヒントはあります。私の場合は、歴史観を形成する上で、塩野七生が、ヴェネツィア共和国の歴史を描いた『海の都の物語』という作品を著した動機について面白いことを述べているのが参考になりました。


《 国家であろうと民族であろうと、いずれもそれぞれ固有の魂(スピリット)を持っている。そして、国家ないし民族の盛衰は、根本的にはこの魂に起因している。盛期には、このスピリットがポジティーブに働らき、衰退期には、同じものなのにネガティーブに作用することによって。これが私の仮説である。》
(塩野七生(著)『サイレント・マイノリティ』中の「私の衰亡論」)


結局、「正義は勝つから、自分は正しい」などというのは、幼稚な政治的なプロパガンダに過ぎず、自分なりの歴史観を確立するには、『それぞれ固有の魂(スピリット)』の理解から始めるべきだと思います。