わたしは人に旨いものを食わすのが好きだ。
私の父も、また祖父もそうであった。
身内ならいざしらず、
師や先輩にもごちそうになった。
わたしも、先師先賢に習い
後輩にごちそうすることがあった。
しかし、なぜ身銭を切って
そのようなこをするのか、
考えたことはなかった。
だた、先師先賢がしていたらか、
自分もしているのである。
しかも、先師先賢も、
なぜそうするのかは語らなかった。
いま改めて思うに、
言うことを聞かせるための「鼻薬」だったのか、
一人でひっそりと旨いもものを食うのは
気が引けるので、道連れがほしかったのか、
うまく説明できないが、喜びを分かち合いたい
気持ちがあったのかもしれない。
歳をとるにつれて、
与えられる喜びよりも、
与える喜びのほうが
数倍、嬉しい気持ちがつのることを覚えた。
「ありがとう」という言葉を言うのは、
少し気恥ずかしいが。
「ありがとう」と言われると、
とても嬉しい。
ただ、「ありがとう」という言葉を聞きたくて、
旨いものを「ご馳走している」のかもしれない。
だから、先師先哲は、
なにも説明しなかったのかもしれない。



























