億劫でしたくない

「億劫(おっくう)で、今日はなにもしたくない」と思ったことはありますか?

億劫と言うときは、怠いとか、面倒くさいなどの時に使います。しかし、この億劫という言葉には、壮大な意味があるのです。「億」は、数字の単位である、一億、二億の「億」のことで、「劫」この字は「こう」と読みます。「劫」という言葉は、仏教の時間の単位のことです。

 

宇宙の一生の長さ

一説には、宇宙の始まりから終わりまでの時間が「一劫」(いっこう)だといわれます。また別の説では、一里四方(一里は約4キロ)の巨大な岩山があるとします。この岩山の上に100年に一度、天女が降り立ち、その羽衣で岩山を一回なでるとします。羽衣は、そよ風のように柔らかな布ですので、一回なでられたとしても岩山はびくともしません。そのような事が繰り返され、一里四方の岩山がすべて砂になるまでの時間が「一劫」の単位だとも言われます。

 

牛は一日にどのくらい歩

ちなみに、一里と言いましたが正確には、1ヨージャナというインドの単位で、この1ヨージャナとは牛が一日に歩く距離だと言われています。牛が一日にどのくらい歩くのか知りませんが、真っ直ぐに歩き続ければ相当な距離を歩くことが出来るでしょう。その距離の四方八方の岩山ですから、相当な大きさの岩山であることは間違いないと思います。

 

そして、その岩山が「一億個」も無くなる時間が、「億劫」なんです。そんなに長い間ダルくて動けなかったら、逆に岩山になってしまうかも知れませんね。これからは、「億劫だ」と言う人に、「岩山かっ!」と突っ込んでみてはどうでしょうか。

 

ついでに、数量の単位に「摩訶不思議」(まかふしぎ)という単位があることを、以前にお話しました。まさに「億劫な人」とは、理解できない不思議な人なのかもしれませんネ。

 

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annca、 Angelo Giordano、 Lumina ObscuraによるPixabayからの画像


雨だれは 三途の川の 思案橋

軒先から滴り落ちる雨だれが、三途の川(さんずのかわ)のように見えるということわざです。

 

私たちは、外にでるときに注意を怠ると、三途の川を渡るようなことに遭遇するかもしれない。とのいさめのことわざだと言われます。

 

賽の河原の話し

夕暮れ間近、その男は河原にたたずんで向こう岸を眺めていました。

 

河原を見渡すと、子どもたちが、歌いながら一生懸命に小石を積んでいます。「一つ積んでは父恋し~、二つ積んでは母恋し~、三つ積んではふるさとの 兄弟姉妹を偲ぶなり~」

 

遠くから陰鬱に鳴り響く、鐘の音が聞こえてきます「ゴ~ン、ゴ~ン」上流から賑やかな声が聞こえてきました。振り向くと、赤鬼や青鬼が鉄の棒を持ちやって来ます。鬼たちは、せっかく積み上げた小石を鉄の棒で壊したり、蹴散らしはじめました。

 

子どもたちは抵抗するすべもなく、泣きながらまた小石を積み始めました。その光景を見て驚いた男は、しばらくなにが起きているのか理解できないまま眺めていました。

 

少し正気を取り戻すと、鬼たちの中で腕組みをして指示をあたえている鬼がいるのに気づき、男は近づいて行きました。巻毛の筋肉隆々たる鬼に、「ここはどこでしょうか?」鬼は、ほかの鬼と目を合わせたと思った瞬間、大笑いしながら言った、「おまえは、この場所がどこかわからないのか?」、「ええ、気づいたらこの河原に立ったいたので」

 

鬼は真顔になり、「おまえが立ってる場所は、賽(サイ)の河原だよ」、鬼はあごをしゃくりながら川の方を指しました。「それとな新入り、あの川は三途の川さ」男は始めて自分が死んだことに気づき、「三途の川・・・」と独り言をつぶきました。

 

しばらく呆然とし、三途の川を眺めていたが、「ゴーゴーと音をたてて流れている」場所、「サラサラ流れている」場所、その中間の流れがある場所の違いに気づきました。

 

大樹のもとの分かれ道

子どもたちの石の塔をあらかた壊した鬼は、男に声をかけて来た。「あの向こうに大きな木が見えるだろ、あの木の下にじいさんとばあさんがいるから、おまえの行くべき道を聞いてこい」と教えてくれた。

 

男は、とぼとぼと大きな木に向かって歩きだた。しばらくすると、木の下の方に人の行列が見えてきた。行列の先頭には、そまつな着物姿で、えりがはだけ、あばら骨が浮き出ている爺さんが大きな声を張り上げて話をしていた。

 

「おれは懸衣翁(けんねおう)、そこにいる婆さんは、奪衣婆(だつえば)だ」

「おれたちは、そこの金銀財宝で飾られた橋の番人で、橋の渡り賃を徴収している」

列にいた年増の女が爺さんに聞いた。「渡し賃はいくらですか?」

 

「六文だ、六文銭を持っているやつは手に出して待っていろ」と爺さんが言った。次に小さな声で、「ただし、渡れるのは善人のみだ」と爺さんは口の中でつぶやくように言った。列の先頭のほうにいた男が爺さんに、「六文銭を、おれは持ってないなけど、どうすれば」

 


 

試練を超えて彼岸に渡る

今度は、そばにいた婆さんが、イヤな笑みを浮かべながら、しわがれ声で答えた。「持ってないやつは、ここで身ぐるみはがされて、川に放り込まれるのさ」と言いながら、大樹の根元に座っている鬼達のほうを指さした。

 

奪衣婆(だつえば)とは、着ている衣を身ぐるみ剥奪するのが仕事で、懸衣翁(けんねおう)とは、取り上げた着物を木にかける役人の名称である。あとから来た新入りも最後尾に並んで、あたりを見渡した。橋の入り口付近に立て札があり、向こう岸を示した札には「彼岸」(ひがん)とあり、来た方角には「此岸」(しがん)と書いてあるのに気づいた。橋の入り口には、太鼓腹の鬼達が立ちふさがっていた。

 

列の人々が次々と六文銭を渡し、ゆうゆうと橋を渡っていく人。身ぐるみはがされ、ゴーゴー流れている川に投げ込まれる人。次々にその作業が無情に繰り返され、新入りの順番が近づいた。

 

 

三途の川の話し

「三途」とは、「三つの道」という意味で、川の流れに三種あることから名付けられています。一つは、深く激しい流れの部分で地獄道(じごくどう)を、浅くサラサラ流れている部分は畜生道(ちくしょうどう)、その中間が餓鬼道(がきどう)と、三悪道をあらわしています。この川を渡る人は、浅い川といっても溺死する人が多く、一度死んでもまたすぐに生まれかわり、同じ苦しみを繰り返すといわれています。

 

 

六文銭の話し

橋の渡り賃の「六文銭」は真田幸村の馬印(旗の絵柄)にもなったもので、真田は戦(いくさ)の中でいつ死んでもよいように、この馬印を掲げていました。いまの価値に換算すると200~300円くらいと言われます。現在はもちろん六文銭はありませんが、葬儀者によっては印刷された六文銭を棺(ひつぎ)に入れる地域もあるようです。

 

水子地蔵の話し

賽の河原で、一生懸命に石の塔を作っている子どもたちには、様々な罪があると言われます。死に別れて悲しんでいる父母への罪もその一つだと言われます。水子という言葉もここから由来しています。子供たちは、石の塔を積み、自分の罪をなくす努力をしています。夕暮れの鐘がなると、赤鬼青鬼がやって来て石の塔を崩してしまいます。

 

その後、地蔵菩薩があらわれ、子供たちを救済してくれるそうです。野辺の地蔵に赤いゆだれかけが付いている姿を見たことがありますか?子をうしなって悲嘆にくれる母親が、亡き子どもの冥福を祈って地蔵菩薩にすがり、ゆだれかけを付けたと言われます。

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「娑婆」この字はシャバと読みます

大昔の映画などで「シャバの空気はうまいな~」というセリフを耳にしたことがありました。

 

軍隊の映画だったか、刑務所から出所してきた受刑者のセリフだったか定かではありませんが、シャバとは世間の事だと思って観てました。

 

私たちは、毎日シャバの空気を吸っているので、旨いのか?旨くないか?わかりません。毎日美味しいものを食べていると、その味覚が麻痺するようなものなのかもしれませんね。

 

中国を経由して日本に伝来

 

娑婆(シャバ)の語源は仏教の発祥地であるインドの言葉で、「サーハー」という言葉を、中国の高僧が「サーハー」の音を漢字に当てはめて「娑婆」となりました。

 

漢字としては音を写しただけで、意味がありません。サーハーを日本語に訳しますと、「忍土」(にんど)となります。

 

「忍土」とは「堪え忍ぶ世界」という意味で、私たちの世間は諸々の苦しみから堪え忍んで生きていかなければならないのが、この世だといわれます。

 

諸々とは、「四苦八苦」のことで、これは以前にも書きましたので、説明は省きますが、苦しみの世界の空気が「うまい」と思うのは、やはり麻痺しているのかも知れません。

 

本当にうまい空気はどこにあるの?

日蓮聖人は、「釈迦仏の本土は実には沙婆世界なり」とおっしゃっています。(下山御消息)

また、「浄土というも穢土(忍土)というも土に二つの隔てなし」とあります。(一生成仏抄)

 

つまり私たちの世間は、私たちの心の持ちようで、浄土にもなり、堪え忍んで生きていかなければならない、忍土にもなるのです。

 

刑務所から出てきた人にとって、シャバは浄土だったということが、あながち間違えではないのかもしれませんね。

 

 

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流通は仏教から

流通は「りゅうつう」と読み、金や物の流れをあらわす言葉ですが、仏教から来ている用語です。仏教的には「るつう」とか「るづう」と読み、お釈迦さまの教えを広く伝えるという意味でです。

 

流通する人は功徳がある

この流通には、とても深い意味があり、流通する人には計り知れない功徳があると言われています。お釈迦さまの教えである法華経の随喜功徳品には、教えを広める人の功徳が説明されています。

 

少し難しくなりますが、お経の文には「亦随喜転教 如是展転 至第五十」とあり、法華経を聞いて、随喜(喜んだ)した人が、次々と他人に語り伝え、50人目の人が聞いた時でも、その功徳や喜びは変わりないと書かれています。
 

五十番目の人の功徳

その功徳とはどのようなものなのでしょうか。日蓮聖人は「持妙法華経問答鈔」のなかで、「五十展転の随喜(功徳)は80年の布施に勝れたり」と述べられています。

 

もう少し具体的にいいますと、欲しいものをなんでも与えてくださる人がいたとします。その人が80年間いつでもどこでも好きな物をくれるのと同じ程の功徳があるということです。

 

なんと豪毅な功徳でしょうか!!そのような物を求めて、お釈迦さまの教えを広めるとは少し不敬なような気もしますが...

 

これは、人を救済することがいかに素晴らしいことかを喩(たと)えた

話しで、見返りを求めて人を救う話しではありません。

 

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ダンナ様はありがたい存在

この字は「檀那」(だんな)と書きます。言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、漢字は初めてという方もいるのではないでしょうか。
 
私たちの生活の中には、多くの仏教用語が入り込み本来の意味はわからなくても上手に使いなないしているケースを多く見かけます。
 
仏教はインドがで起こり、6,000㎞も離れたところから日本にやってきました。シルクロードの国々を通過し、中国や韓国を経由して伝わりました。途中の国々の影響を受けた割にはそれほど変化せずに伝わったのは奇跡的です。
 
檀那のことをインドでは「ダーナ」と言い、中国で音をそのまま漢字に当てはめとことを音写といいます。意味は「布施をする人」のことです。
 

ダンナ同士が布施する素敵な家庭

せっかく布施をする人が給料を運んで来ても、休日は邪魔者扱いでは少しかわいそうですね。
 
昔は、給料袋を持って帰ってくる人のことをダンナと呼びましたが、最近では、給料も振り込みとなり、また共働きも多くなり夫婦ともダンナ様です。
 

金品を施すだけが布施ではありません

ところで布施という言葉には、「広く施す」という意味があります。布施というとお寺さんだけにするものと思われがちですが、仏教では、多くの人々に布施することをすすめています。
 
布施には金品を施す「財施」や、お坊さんがお経を読んだり、説教をすることを「法施」といいます。悩みや恐怖におののいている人から心の不安を取り除いてあげることを「無畏施」といいこれも布施の一つです。
 
また、他人に優しい言葉をかけてあげることは、愛語(あいご)といい、優しく微笑んであげることを愛顔といいます。
 
なにも金品を与えるだけが布施ではありません。喜んで広く施す人々が多くなれば、それは仏教が求めている浄土といえるでしょう。
 

 

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あの人は義理堅くて律儀者

「りちぎ」と読まれますが、本来は「りつぎ」という仏教用語です。
玄奘(げんじょう)は、天竺に経典を取りに行く「西遊記」で有名です。皇帝より三蔵(さんぞう)の称号をもらい、三蔵法師と呼ばれています。この「三蔵」とは、経典、戒律、論書の三つをあわせて三蔵といい、この三蔵に精通している人のことを三蔵法師と呼びます。
 
ですので、玄奘だけでが三蔵ではなく、三蔵法師と呼ばれる高僧は何人もおります。この三蔵の中に戒律(かいりつ)があり、お坊さんが実践しなければならない事や、してはいけないルールが戒律です。戒律は律儀(りつぎ)とも言われます。約束を守る人、身を正す人のことを律儀者(りちぎもの)と言います。
 
戦国武将の徳川家康は、豊臣秀吉在世中は律儀者として、名を広めました。しかし、秀吉没後は手のひらを返したように、天下取りに奔走しましたので、秀吉側の武将たちからは、不律儀者として本性をあらわしたと言われました。
 
豊臣から徳川の時代が変わりますと、家康以後は300年の天下太平の礎を築いた人物となりました。大律儀者として返り咲いたとも言えます。しかし、一方では不義理者と呼ばれ、もう一方では律儀者と言われるのは、仏教本来の「律儀者」とは呼べません。律儀には一貫性がなくてはならないのです。

 

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あなたの家に玄関はありますか?

どこの家にも玄関はあると思いますが、昔は玄関のある家が限られていました。昔の家は、入り口が縁側にあったそうです。
 
戦国時代になると武士の家に玄関が作られるようになりました。玄関の「玄」という字は、仏教用語の「玄妙」から来ている言葉です、暗く奥深いという意味で、「関」はその関門という意味です。
 
仏教でも「玄関」とは、入り口のことを指しますが、深淵で得がたいといった意味があります。
 
そう言われると、とても敷居の高い入り口のように感じますが、そんなことはありませんのでご安心ください。お釈迦さまの教えは、深淵で難解に聞こえますが、そんなに難しく考える必要はありません。
 
悟りはあなたの背中にあるようなものです。肉眼で見ようとして遠すぎも見られません。なんせ地球一周したところに自分の背中があるからです。
 
でも鏡を使えば簡単に見ることができます。鏡はお釈迦さまの教えのことです。悟りも遠くにあると思えば、とても遠くですが、考えようによっては意外と近くにあるのかもしれません。

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「嘘」を方便とは言いません

嘘も方便」と言いますが、仏教では「うそ」は悪いことで、「妄語」(もうご)といい「方便」とは言いません。方便は真実に近づくための「巧(たく)みな手だて」です。
 
お釈迦さまは、多くの人が幸福になるための教えを説きました。多くの人の中にはお魚屋さんや、お肉屋さんもいたでしょう。そのためお魚屋さんには、お魚にたとえて教えを説き、肉屋さんには、お肉にたとえて説きました。
 

百人百色・対機説法

人それぞれ、身近なものごとで説明されると、「あーあのことか」と理解が深まります。しかし、人それぞれが理解しやすい喩(たと)えで話すことは、容易なことではありません。
 
相手の立場で話すことは、相手のことをよく理解していないとできないことです。知識や教養、洞察力などを持ち合わせていないと難しいです。
 
お釈迦さまはシャーロックホームズのような人だったのかもしれませんネ。そのような能力のことを仏教では、神通力といいます。相手の立場に立ってわかりやすく説明することが、「巧みな手だて」であり、「方便」というのです。
 
世の中には、さまざまな立場の人々がおります。少しでも、多くの人の気持ちを理解し巧みな方便をもちいて、仲良く接したいものです。
 

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未曾有なことってどんなこと

この未曾有は「みぞう」と読みます。
この言葉は仏教用語ですが、日本で読まれているお経は漢字で書かれていますが、漢音ではなく呉音で読むことがあります。
 
呉音は同じ漢字に見えますが、三国時代の呉の国から来た発音が由来しているそうです。たとえば、「衆生」という字は「しゅじょう」と読む人が多いと思いますが、これは呉音で、漢音で読みます「しゅうせい」となり、この発音だと少し違和感がありますよね。
 
このように、仏教用語は呉音が混ざっているため「衆生」のように、見慣れている文字はよいのですが、慣れていない用語は読み間違えてしまうのです。
 
話しを戻しますが、未曾有の意味は「未(いま)だ曾(かつ)て有ることなし」ということで、「今までなかった事が起こった」という意味です。
 
最近の言いかただと「想定外」と、なるのでしょうか。お釈迦さまの悟りや、神通力の凄さを褒め讃える奇瑞(良い兆候)の事として、「未曾有」と言います。
 
災害や病気などに「未曾有」を使用するのではなく、良い出来事に使いたいものです。

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無理な仕事を頼まれて四苦八苦した

「四苦八苦」(しくはっく)したと言う言葉を聞いたことがありますか?四苦八苦とは仏教用語です。
 
「人生全体に関連する四つの苦しみ」と、
「言われればそうだな~と言える四つの苦しみ」のあわせて八つの苦しみのことをいいます。四苦+八苦=十二苦ではありません。
 
はじめの四つの苦は、生老病死(しょうろうびょうし)です。
 

生苦

生とは、「生まれる」とか、「生きる」についての苦しみです。
 
あなたは、お母さんの産道を通ったときの痛さを覚えていますか?
 
まさか!覚えている人はいないと思います。もし覚えていたら痛くて痛くて耐えられないでしょうね。
 
わたしは、男なので残念ながら(?)出産の苦しみは知りません。相当苦しいそうで、男が出産を体験すると気絶してしうとも言われます。
 
母はその痛さに耐えて生んでくれたのですから、その恩は計り知れません。
 
お母さんが痛いのと同じくらい、生まれる子も苦しいはずです。また生きることは様々な苦しみに満ちています。楽しみもありますが、苦しみもまたつきものなのです。

老苦

人は年をとり老います。気は若くても体の衰えが進むことはいたしかたないことです。目が悪くなり、足が弱り、あっちこっちが痛くなる、老いるこは避けて通れません。
 

病苦

だれでも一度は大なり、小なり病気になったことはあるのではないでしょうか。生まれてから一度も病気をしたことがない人もいるかもしれませんが、そのような方はまれです。病は苦しいことです。
 

死苦

私たちは生まれれば、死に向かって歩みます。この世に対する未練や、死後の世界への不安など多くの苦しみがつきまといます。
 
これら生老病死がはじめの四苦です。
 
つぎの四つの苦しみは、怨憎会苦(おんぞうえく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)、求不得苦(ぐふとくく)、愛別離苦(あいべつりく)です。
 

怨憎会苦

これは嫌なものに出会う苦しみです。
 
今日は仕事をしなくないな~と思っても、しなければならない仕事もあるでしょう。嫌な人とも我慢して付き合わなければならない時もあります。そのように嫌なものごとと出会うことです。
 

五蘊盛苦

これは身体のことをいいます。少し難しくなりますが、仏教では五の要素で身体が構成されていると考えます。この構成要素の盛衰に対して苦しみがあるといいます。
 
たとえば、皆さんは自分の身体をコントロールできていますか?
 
心拍数が早くなったので少なくするとか、血圧が高くなったので下げるとか、薬でコントロールすることはできますが、自分の意思で身体をコントロールすることは難しいはずです。
 
このように自分の身体なのに、自分でコントロールできない苦しみがあると言うことです。
 

求不得苦

これは、欲しくても手に入らない苦しみです。仮に欲しいものが手に入ったとしても、次に新しく欲しいものが次々と湧いて出てくる苦しみのことです。
 
愛別離苦
これは、愛する人ともいつかは別れなければならない苦しみです。大切な両親、愛する妻や夫、可愛いわが子など、いつまでも一緒にいられないのが苦しみです。
 
世の中は、四苦八苦に満ちた世界だと言えます。しかい、自分の考え方を変えることにより素晴らしい世界に変えることが出来るのがお釈迦さまの教えである、仏教なのです。

 

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