続・彦根。

今回は井伊家所縁の寺巡り。

 

まずはこちら、井伊家菩提寺・清凉寺。

ここは佐和山の麓でして…

寺の後ろに見える山が佐和山城址なんです。

 

井伊大老参禅道場の碑

大老・井伊直弼がここで禅の修行をしていたという。


井伊家菩提寺の碑

創建には諸説あり、

直政による慶長七年(1602年)の創建。

同・慶長七年、直孝によって父・直政の菩提を弔う為に創建。

寛永(1624~1644)期に直孝によって創建。

…等。

しかし、どれも間違いで直継創建だと思うんだよなぁ…

直政は佐和山へ転封の際に郷里の遠江龍潭寺から五世昊天宗建禅師を招き、

分寺して近江龍潭寺(こちらは後ほど)を創建しているので、

直政的には龍潭寺を井伊家の菩提寺にするつもりだったのでは?と思っている。

更には慶長七年に亡くなっているので直政創建説は無理があるんじゃね?

 

慶長七年の直孝創建説も直孝が家督を継ぐのは慶長二十年(1615年)なので

藩主である兄を差し置いて創建も無理があるんじゃね?

 

寛永期創建説も直政の没後22年も経っているので無理があるし(改葬ならばわかるけど)

もう一つの菩提寺である豪徳寺の創建も寛永期なので、これと混同している気がする…

 

という事で直政没後に家督を継いだ直継による慶長七年~創建説が有力だと思うんですがねぇ…

彦根城の築城主が直継なわけですし。

 

正面に本堂

境内は島左近の屋敷だったと伝わっていますが、正確な区割りまではわからんそうです。

 

講堂

右手前の木は左近の屋敷時代からあったとされる樹齢500年の椨の木。

 

客殿

瓦には井伊家の彦根橘紋。

立派なのでこれが本堂かと思ったりw

 

 

一瞬、この石垣は佐和山城の物か!?と思ったが

城の材は文字通り残らず全て彦根城へ持って行かれてるので違うね。

石垣も打込接と切込接なので時代が合わないし。

 

彦根藩主井伊家墓所

 

その脇に

大久保忠隣(忠世の嫡子)慰霊塔

二代小田原藩主で後に老中へ就任するも改易・配流。

彦根藩へ御預けの身となり、75歳で病没します。

因みに父・忠世も江戸幕府成立前に亡くなっているが、

忠世もまた、初代小田原藩主として数えられています。

 

ここから歴代藩主墓所。

しかし、直政以外の並び順がわからなくてですね…

歴代藩主のどなたか

 

歴代藩主のどなたか

 

歴代藩主のどなたか

 

こちらが初代藩主 井伊直政

 

歴代藩主のどなたか

 

歴代藩主のどなたか

 

歴代藩主のどなたか

初代・直政の他は…

三代・直澄、五代・直通、七代・直惟、八代・直定、十一代・直中、十二代直亮。

…の歴代七藩主。

 

途中抜けてんじゃね?と思いますが、

井伊家の菩提寺は清凉寺、豪徳寺、永源寺の三箇所でして

 

豪徳寺に

二代・直孝、六代・直恒、九代・直禔、十代・直幸、十三代・直弼、十四代・直憲

…の歴代六藩主。

 

永源寺に

4代藩主・直興。

となっています。

 

続いてお隣へ。

こちらは前述した龍潭寺。

直政によって慶長5年(1600年)創建。

先程の井伊家お預けの身となった大久保忠隣はこの龍潭寺で暮らしていたそうな。

 

石田三成群霊供養の碑

佐和山城の麓ですので、井伊家所縁の寺ではあるものの三成の供養も兼ねてます。

 

佐和山観音像

 

石田三成像

 

しかし、二度に渡る関ケ原で治部少輔殿にはすっかり嫌われてしまったからなぁ…w

 

 

 

総門

 

 

 

 

山門

こちらは享保二十年(1735年)の再建。

佐和山城の門を移築した説もあるそうだが、オリジナルは消失してますからね…

 

瓦塀

 

 

 

方丈(客殿)

元和三年(1617年)建立ですが外観の写真撮ってませんでしたw

 

山門棟瓦龍

 

こちらが佐和山城から移設されたと伝わる襖。

 

一枚目がボケてしまった…

 

 

 

 

こちらは詳細不明の襖

年季の入り方といい、佐和山城の移設と思われるが…

 

こちらは質感からもう少し時代が下ると思われる

左はおばけの絵w

 

 

獅子の間

襖絵12枚

彦根藩士・森川許六が描いたとされ、「方丈襖絵」全56枚・104面が市の指定文化財になってます。

許六は俳人・近江蕉門の弟子「蕉門十哲」の一人であり、

「六芸に秀でたる才人」と師が評したとか。

 

西湖の間(内陣)

この奥に本尊の釈迦如来が安置されてるそう。

こちらも方丈襖絵12枚

 

鶴の間

方丈襖絵12枚

 

ふだらくの庭

開山・五世昊天宗建禅師が作庭した枯山水庭園

 

彦根龍潭寺の別名が「庭の寺」

境内に併設された禅宗の大学寮に造園を学ぶ園頭科があり、

これが後に造園専門学校の始まりになったんだとか。

この廊下橋も入るように反対側から撮れば良かったな…

 

襖絵

入口側の襖へと同時代と思われる。

 

展示室入口には巨大だるま

彦根龍潭寺またの別名を「だるま寺」といい、これがだるまの大ボスですw

写真じゃわかり難いが凄まじいデカさですw

因みに毎年春のだるま祭りでは大小5000体のだるまが並ぶとかw

傳大士像と…

だるま達w

 

井伊八幡宮(謂伊八幡宮とも)

井伊発祥の地である井伊谷の渭伊神社からの勧請された渭伊大神が祀られているそうです。

井伊とか謂伊とか渭伊とか…

 

藻獅子韋威胴丸と和時計

胴丸と書いてるけど具足だよなぁ…

赤備えにヒン曲がった珍しい天衝前立。

彦根藩では藩主が天衝脇立、家臣団は天衝前立。

家臣団所用の具足と思われる。

 

群仙の間

方丈襖絵12枚

 

 

七賢人の間

輿がデカすぎるのか突き出てますw

方丈襖絵12枚

 

群馬群禽の間

方丈襖絵12枚

はい。これで計64枚。

全56枚・104面だが、数が合わんぞ…

 

 

襖絵

 

 

 

書院

 

 

奥に襖が何枚か重なっている…

四枚くらい重なってる様に見えるが…

もしかして西湖の間は方丈襖絵ではないんじゃないのかね?

そうすると64+4-12=56で数が合う。

まあ、↑が本当に4枚だったらの話だけどw

 

書院東庭鶴亀蓬莱庭園

こちらも五世昊天宗建禅師が作庭した池泉鑑賞式庭園。

 

 

 

達磨大師の画

にらめっこしましょ

この絵は有名だと思うけど達磨大師という事を知らない人は多いと思う。

達磨大師はだるまのモデルになったと言われるインドの僧で禅宗の開祖。

 

五つのこころ

おこるな

いばるな

あせるな

くよくよするな

まけるな

いばらないし、あせらなしい、くよくよしないけど

おこってごめんなさいw

そして、負けたと思わなければ負けていないのだ!!(負け惜しみ)

以上、彦根龍潭寺でした。

 

続く