滋賀県彦根市を後にやって参りました。

ここは岐阜県不破郡

関ケ原町。

今回の旅、最大の目的地である関ケ原古戦場。

因みにここは役場の前です。

役場から大名家ののぼりだらけなんですw

 

そのすぐ側には

東首塚

そして、早くも右上にオーブの様なものがッ・・・!!

近場にあったので、たまたま立ち寄ったわけですが

松平忠吉・井伊直政の陣跡でした。

なんという偶然w

さっきまで彦根城に居たお導きかw

 

右上に鎮座するものの微妙に位置が変わっている玉響さま・・・

因みにこのカメラ、レンズに傷が入ってまして

快晴の時なんかはよく反射して傷の位置に玉響現象の様なものが写り込むことがあるのですが

傷があるのはレンズの真ん中で、いつもと位置が違うんですよね。

真相は・・・

 

 

 

関ケ原合戦の直後に首塚が作られ、

敵対した相手であっても戦死者には最大限の敬意も持って接する

徳川家の精神は本当に素晴らしい。

 

明治維新の勝てば官軍クソゴミ虫どもに少しは見習えと言いたいね。

逆賊の供養をしてはならないとか畜生以下のする事だ。

 

 

 

 

 

 

 

境内の中央から反対側へ足を踏み入れると玉響さま消えていたのだった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自転車に乗る石田三成らしき人物

シュールな・・・

 

 

両軍総大将の陣(毛利輝元とかいうヤツは知らん)

最終的にこれだけの距離しかなかったんですね。

本当、目と鼻の先でした。

 

関ケ原町歴史民俗資料館

館内は撮影禁止だったのでとりあえず外観だけ

残念ながら今回はハメコミ芸人がいないのでなw

 

館内は武将の甲冑のレプリカが展示してあり、当然ながら井伊直政の赤備えもある。

だが・・・直政所用ではないが彦根城で本物の井伊の赤備えを見てきた直後なので・・・

 

ここでようやく昼食です。

正午前くらいに滋賀を発ち、すでに二時間は経過しているw

石田三成の兜風カレー

店内には戦国無双のイケメン三成の巨大パネルとタペストリーが展示してありました。

店主は三成推しだなw

 

関ケ原町は飯を食うところが少ない。

・・・とういうか、店が少ない。

 

腹が満たされたかどうかは知らんが一先ず空腹は凌いだ。

店を出たすぐ側には

 

 

関ヶ原合戦決戦地

この場所が合戦最大の激戦地だったとか

 

 

ここから僅かに山側へ移動し

 

島左近陣跡

 

 

先ほどまで雲行きがちょっと怪しい程度でしたが、ここで雨が。

 

そして、この真上には

 

石田三成の陣跡が。

階段を上り始めると急激に雨足が強く。

 

 

 

写真ではわかりませんが、突然かなり降ってきました。

 

 

 

 

 

 

登りきるころには土砂降りに変わっていました。

パネルについた水滴と、木の床を見ておわかりいただけるだろうか。

 

 

傘をさしていなかった約二名は大雨の洗礼をくらっていましたw

 

左からの眺め。

目の前に決戦地。

その奥には家康の最終陣地。

 

右からの眺め。

正面からやや左の森林に島津。

正面やや右の平地に小西。そして、開戦地。

右の山に宇喜多。

更に背後の山には毛利。

 

ここに登って、東軍は完全に包囲されていたという事がよくわかりました。

ホント、布陣だけを見れば西軍の勝利を疑わなかったでしょうよ。

それが徐々に追い詰められ、本陣の真下が激戦区となり、東軍が肉薄。

ふてくされた島津は動かないしw

三成の絶望感が伝わってきました。

正直なところ石田三成は嫌いな武将でした。

理由は秀長亡き後の暴走した秀吉を諫めることもなく共に悪事を行っていたから。

ですが、この陣跡へ来てひしひしと絶望感が伝わり、

石田三成の事をちょっとだけ好きになったかなとw

考えてみれば私の大好きな真田信之、大谷吉継といった良識人たちと仲が良かったという事は

それだけ人間的魅力に溢れる人物だったのではないかとも考えれますね。

不思議な事にあれだけの大雨が降っていたのに

石田陣跡を後にし、麓の階段を下りた頃には綺麗さっぱり雨が止んでいました。

 

あれは石田三成の涙だったのかもしれない・・・

 

・・・我ら一行には家康公の子孫いますし。

 

 

続いては・・・

抜け道が見つからず町内グルグル回って結構探しましたw

石田陣跡の右側から見下ろしたここ。

 

島津義弘陣跡

 

 

 

島津の陣跡だけやたらと立派な石碑が並んでいるのはあれか?

明治維新後に依怙贔屓しやがった?

 

そこから僅か数百メートル

 

 

関ヶ原合戦開戦地

 

井伊直政と松平忠吉が十数人の部下で抜け駆け。

この先に陣取っていた宇喜多秀家隊へ発砲。

それに気づいた福島正則隊は続けとばかりに

ここに陣取っていた小西行長隊へ攻撃を開始。

開戦となったそうな。

何とも直政らしいというかw

開戦地からの眺め。

正面からやや右の山に小早川秀秋の陣。

拡大

うーん、わからんw

鉄塔が立っているあたりです。

 

開戦地のすぐ奥には

 

小西行長陣跡

しかし、こんな目と鼻の先で福島隊と小西隊が激突しているにも関わらず

まったく動かない島津・・・

因みに、右に見えてる森林に島津の陣があります。

すっげー近い・・・

陣からの眺め。

正面やや左に石田。

右側すぐそこの森林に島津。

左の森林を進むと宇喜多。

確かにこの距離ならば三成が直接島津の陣へ出向くことが可能だったのがわかる。

 

続く