おかげさまで。草刈まさです。
来年2月19日の事業プレゼン大会にエントリーし、自分が実現したい世界が見えてきて、それを起こしたい記憶が蘇ってきてます。
引き続き、今日は東日本大震災で、選んだ生き方。こちらを振り返っていきます。
地球がくれたメッセージこれからどう生きるか?
「僕らは不安でいるために今を生きてるわけじゃない。」
「不安があるなら、それを希望や楽しさに変えてしまおう。」
「"ない"不安があるなら、"ある"安心を作ってしまおう。」
そうして、震災後に、千葉の市川市につくるんだ村という農業体験施設を作りました。
ある素敵な社長に100万円出資してもらい、700坪の空き農地を持ってる福祉機関から農地を借り、無農薬で畑作りを教えてくれる先生を見つけ、
『つくるんだ村』はスタートしました。
自分達で食べ物を作ることができれば、食べ物の不安はなく、きっと新しい喜びや安心が生まれる。
実際やってみると、予想以上の幸せがそこにありました。
共につくる楽しさと喜び。
そして、自分たちで作った恵をその場で美味しくみんなで調理して食べる喜び。
僕らは『つくる』を手放した結果、便利な世の中になったけど、
僕らは『つくる』から離れれば離れるほど、本当の幸せを失っているかもしれない。
そう感じました。
『食べ物をつくる体験で安心と幸せとつながりをその地域に作る』
つくるんだ村はあれから8年たった今でも、毎年村長が変わり、継続しています。
僕がやっていた当時描いたのは、地域の子連れの家族がそこに来てくれたらうれしい。
そう思っていました。
今では、告知せずとも、小さい子連れの家族がわんさかやってくるようになったそうです。
『共につくる』は人の安心と幸せをつくりつなげる。
本当にそう思います。
興味ある人は千葉の市川のつくるんだ村に行って、それを体感してみてください。
つくるを取り戻す生き方
そして、この活動を1年やって、僕に次なる野望が見えてきました。
「コレ、全部自分で作れるようになったら、この世から不安なくなるんじゃないか!?」
そんなタイミングで、自給自足、半農半Xというキーワードを拾い、のびのびした子育ても考え、ご縁のあった京都府綾部市の限界集落の志賀郷という地域に移住しました。
知り合いは書の仕事で使わせてもらっていた和紙の職人さんしかいなく、当然関西に仕事はゼロ。
でも、思い立ったらやりとげる。それを妻の意見を押し切って実行しました。
当然移住しても仕事がありません。
今までのお客さんを頼りに、僕は1才の子供と妻を置いて、1週間東京に出稼ぎに行くということをしていました。
今でもよく言われます。
「あれは一生忘れない!」
今では笑い話になってますが、その後、離婚危機寸前まで当然いき、そこで僕は生き方を変えました(笑)
その後、仕事はインターネットの発信で、京都でも仕事ができるようになりました。
そして、それと同時に、様々なつくる体験をしていきました。
お米づくり
毎年恒例の味噌作り。
そして、大工さんにお願いし、木を切り出すところから家を作るワークショップを企画し、2年で家も作りました。
他にも様々なものを作る体験をしていきました。
そして、作れば作るほど、幸せが増えていく、、
かのように思っていたのですが、
僕の心は相反して、充実感が薄れ、心が虚しさを感じるようになりました。
今やっていること
それは命を守るためにやっているのか?
それは命を活かすためにやっているのか?
ポイントはそこにありました。
次回は、『『やりたい』から『ありたい』へ』というお話をします。
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