おかげさまで。草刈まさです。
『やりとげて生きていく自分でありたい』
今の僕の魂が、今の僕にそう言ってくる。
2020年2月19日。
事業プレゼン大会への出場が決まりました。
今日から何回かに分けて、プレゼン内容と、これから目指す方向と、そしてそおの想いが生まれた背景を伝えていけたらと思います。
僕は今まで、何回か事業プレゼン大会の裏方として運営してきた経験があります。
そしてそこで、
「まさは出て見ないの?」
と何度か聞かれたことがありました。
そして僕は答えてました。
「いやいや、僕は出ないよ。夢なんてないし。」
あれから、10年近くたちました。
「今度、事業プレゼン大会を企画したんだけど出ない?いや、出て欲しい。」
僕が大好きな実業家の友人が声をかけてくれた。
この言葉を聞いた時、グラッとした。
今までの僕なら、なかったかのように、スルーしていた情報。
でも、
時とタイミングが、僕をグラッとさせた。
「逃げるな」
その時、身体の中から低く、落ち着きがあり、やさしさの中に厳しさがこもった声が聞こえてきた。
「逃げるんじゃない。」
追い打ちをかけるように、その言葉は連呼された。
そして、僕はそこから数分間、本当の記憶を取り戻すことを体験した。
やりたいことが見つからない中学生へ
「『ない』と言って、お前は本当は今まで逃げていただけだろ。」
そう言葉が聞こえて、様々な記憶がフラッシュバックしていきました。
そして、8年前の3.11の時の記憶が蘇ったのです。
あの日、僕はとある東京の中学校で講演をしていました。
テーマは『夢がないからいい』。
あの時、僕が中学生達に話をさせてもらう出番をもらい、何を伝えられるか?を考えて出たものでした。
僕は中学校の時に、夢、やりたこと、なりたいことを聞かれるのが苦手でした。
言われても、聞かれても、出てこなかったんです。
そして周りをみると、『野球選手』『学校の先生』『お店屋さん』など、自分がなりたいものを持っている人がいました。
そしてそれを見て、今思えば劣等感を感じてました。
夢、やりたいこと、なりたいことがない自分はダメだと。
そして当時の僕は、中学生達にこんなメッセージを届けていました。
(最後に朗読した詩のデータ残ってました)
当日は路上詩人として起業して1年目の時。
こんな気持ちを持っていたようです。
そして、中学生からこんなメッセージをもらっていました。
僕と同じように、中学生という時代を生きながら、夢、やりたいこと、
なりたいものに戸惑い、不安や未来に光を持てない子供達はやっぱりいたんです。
すごく印象的だった話があります。
講演中、とあるクラスで、頭が金髪で、ところどころに赤の色が入った髪で、トサカ頭みたいにあまたがツンツン立ってる男の子がいました。
まぁ、クラスに1人くらいはいるいわゆるヤンキー。
僕が話始めると、足を投げ出し、踏ん反りかえって、ダルそうに話を聞いていました。
僕はその子をめがけて話しました。
きっとこの子に届くはず。世の中には希望だらけなんだって。そのありあまる力を使う道や場所はあるって。
すると、
時間がたつにつれ、ヤンキーは椅子にもたれていたのに、どんどん前のめりになってきて、最後は顔が膝につくくらい前のめりになって聞いてくれてました。
講演が終わったら、僕の目の前にヤンキーがいたので、
「どうだった?」って聞いたら、
「よ、よ、よ、、よかったっス!」
と目を合わせず、首を前に出して、照れくさそうに言ってくれました。
周りの生徒に、茶化されてました。
そして少し間があったその時間、
なぜかそのヤンキーは僕の近くから離れようとしません。
他の子供達と話していたけど、僕はそれがきになりました。
後でコイツとゆっくり話そう。
僕も、中学校の時、夢ややりたことがなくて、
そして誰からも肯定されず、安心の場がなかったら、
ほんとこうやって、自分を強がって見せて、自分を守るしかなかったと思うから。
でも、
その会話の時間は永遠になくなりました。
14時46分18秒。
東日本大震災が起こりました。
生徒はみんなパニック。
机の下で震えが止まらない女の子。
でもそんな中で、先生1人は建物にしがみつきながら、
「お前ら大丈夫だ!落ち着くまでしっかり机の下にいろ!」
って、1人どこにも隠れずに指揮を取ってた。
先生ってカッコいい。本当に思う。
もっと先生が大事にされる世の中にならないといけない。
この震災は、多くの犠牲を日本にもたらし、そして、日本全体の精神性、生き方にも影響を起こしました。
すべての交通機関が止まり、
お店から食べ物など、ありとあらゆるものがなくなり、関東は完全にマヒしました。
東北はもっとひどい状況だったと思います。
結局僕は家に帰れず。
その時、7月出産予定の第1子がお腹にいた妻は、1人マンションで怖い想いをしながら一晩を明かしました。
大事な人と離ればなれになり、そして、食べ物がないという恐怖。
なんか僕らはこの生き方でいいのかな?深く考えさせられました。
そして僕は生き方を変える決断をしました。
『つくる』を取り戻す生き方へ。
そしてそのストーリーが、僕に光と闇を見せてくれ、人生の大事なものを教えてくれました。
次回は『"ない"不安があるなら、"ある"安心を作ってしまおう』という話を伝えさせてもらいます。
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