おかげさまで。草刈まさです。
来年2月19日の事業プレゼン大会にエントリーし、そこへの想いをつづっています。
前回は、『"ない"不安があるなら、"ある"安心を作ってしまおう』という話をしました。
引き続き、今日は東日本大震災で、選んだ生き方。そしてそこから感じた次へのステージと想い。
こちらを話してみます。
安心感の反面、充実感が消えていく
東日本大震災を受け、『つくる暮らしを取り戻す』というテーマで生きてきました。
『つくる』ことは楽しく、自給率100%まではいきませんでしたが、食べ物がある安心感、自分で暮らすものは作れる安心感が増えていきました。
しかし、
安心感が増えれば増えるほど、充実感がなくなっていく感がありました。
そして、はじめは近くの仲間で教えあい、助け合って、暮していたのですが、自給力がつくと、どんどん機械を使い、1人作業が増え、ただ自分や家族のためだけに『つくる』暮らしとなっていき、幸せを感じなくなっていきました。
そう。
人は、ただ自分達の命を守るために生きていると、生きがいがなくなるという体験をしました。
時同じくして、仕事の方でもそれは出始めました。
全国で個性筆教室を開催し、個性筆文字協会を立ち上げ、全国に約100人近くのインストラクターを育成してきました。
しかし、協会をはじめて2年した時、急にやりがいがなくなってきたのです。
口コミで人に広がるし、お金も今までで一番稼げてました。しかし、やればやるほど、疲れるし、充実感がないのです。入ってきたたくさんのお金を見てため息がでる始末。
「何かを変えなくてはいけない。」
当時の僕はもがきにもがいてました。
そして、「何をやったらいいんだろう?」「何をしたいんだろう?」と、『やりたいこと』を必死に考えて探していました。
『やりたい』から『ありたい』へ
鏡の法則とはよくいったものです。
自分の課題は自分の目の前に投影されます。そして自分が苦しんだことは、誰かの力になるため使命やお役目なんです。
その後、自分の方向性に苦しみますが、ある時、「今度市議会議員選挙に立候補しました。この挑戦をやり遂げたいです。コーチをしてください。」という依頼が突然来ます。
そして、次々とそのような方から、セッションの依頼をもらうことになりました。
そして、そこで気づいたのが、どの人も僕と同じように『何をやりたのか?」というDOを探そうとしていました。
そこでセッションをして、無意識に僕が聞いていたのは、
「どうありたいから、それをやりたんですか?」
という質問でした。
振返れば、学校で将来の夢や目標などの進路授業や相談があった時、
『何になりたいか?という職業』と
『何をやりたいか?という技術』を問われ続けていたなと思いました。
そして僕は、小学校、中学校、高校でも、これに答えることができなかったのです。
そしてそれを、大人になった今でもひいている。
そしてさらに、そんな大人が結構いることを知りました。
でも、
「どうなりたいの?」
「どうしたいの?」
という質問では答えられないものが、
「どうありたいの?」
という質問には答えられることを知ったのです。
「私はもっと、表現者でありたい。」
「私はもっと、自分のおもむくままに生きたい。」
「私はもっと、喜び溢れる自分でありたい。」
「私はもっと、人の可能性を信じれる自分でありたい。」
「私はもっと、注目を受ける人でありたい。」
『やりたいこと』はでてこなくても、『ありたいこと』はみんな出てくるのです。
そして、ありたい自分であるために、ありたい自分だとしたら、今何がしたい?と聞くと、次々と自分がやりたいことが出てくるのです。
僕はこれを『タオリセット(自分の道の再定義・再設定)』と名づけ、今約40人にセッションをしてきました。
そして、それを受けたすべての人に、必ず『ありたい』自分はあり、それを取り戻した直後、すべての人に『やりたいこと』が自然と生まれる現象が起こっています。
でもここで思ったんです。
何で大人が次々と、『やりたいこと』がわからないということになっているのか?
そして、僕は9年前の記憶を思い出したんです。
次回につづく。
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