名鉄河和線:半田口駅は、新見南吉の作品が描かれた絵が掲げられて
います。
新見南吉の説明パネルも掲げられています。
現在の岩滑小学校で代用教員をしていた頃の新見南吉。
1931年・サインの正八は本名。
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新見南吉とふるさと岩滑 ( やなべ )
ここ半田市岩滑地区は、童話 「 ごんぎつね 」 の作者として知られる
児童文学者、新見南吉 ( 1913~1943 ) にふるさとです。
岩滑の畳屋に生まれた南吉は、旧制半田中学校 ( 現在の半田高等学校 )
在学中から童謡や童話を創り始めました。
その作品の多くは、岩滑の寺社や学校、里山が舞台となっています。
また、作品に絵がかれる祭や芸能、子供の遊び、方言などからも、南吉が
ふるさとを愛した作家であることがわかります。
生家や養家 ( 岩滑新田 ) も保存されており、「 ごんぎつね 」 の舞台の
中山にある新見南吉記念館とあわせて、南吉が29年の生涯を生き、
作品に描いた世界に触れることができます。
新見南吉記念館
( 説明文 )
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祭 新見南吉
月の夜ごろは いっそう小さく 村は見え 祭はすると 近づいて来る
大だい鼓がどろどろと とどろき 小鼓がばんこばんこ はじくようにつづく
月夜もかいどう沿いの あきない店が あかりを道に ぽつぽつとなげ
そのあかりに 脚てらされてゆく旅人が かぼそに流れる笛の音を
どんなに侘しくきくか ( 後略 )
( 説明文 )
出口にもごんぎつね。
半田口駅は、普通だけが停まる小さな駅です。
新見南吉の清家は、半田口駅から北西へ200mのところにあります。
住所:愛知県半田市岩滑中町1丁目83
平屋に見えますが、道より上にあるのは2階で、低い所に1階があります。
2階。
たぶん下駄屋。
居間。
畳を作る作業の部屋。
1階には階段で降ります。
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新見南吉の生家
童話作家、新見南吉 ( 本名・新見正八 ) は、大正二年七月三十日、
父渡辺多蔵、母りえの次男として、この家で生まれました。
戸籍上の出生地は、岩滑新田の多蔵の本籍地ですが、多蔵は既に
明治四十一年に此処に●●入しており、当時、第一子は妻の実家で、
第二子以降は住んでいる家で産むのが一般的でしたので、南吉も
ここで生まれたと考えられています。
知多半島を縦断する街道と横断する街道が交差する場所に位置し、
付近には常夜灯や石の道標も残っています。
小説 「 音ちゃんは豆を煮ていた 」 には、家から往来を眺めることが
好きな主人公が登場しますが、幼いころの南吉もまた、道行く人々を
よく「眺めていました。
それが彼の人間観察の原点になったと考えられます。
家屋は傾斜地に建てられ、表から見ると一階建てですが、裏へ廻ると
二階建てになっています。
向かって右側が多蔵の営む畳屋で、左側は大正六年にりえが亡くなった
後、後妻としてやってきた志んの下駄屋でした。
下駄屋の土間から階段を降りると勝手場があり、家族は左手の小間で
食事をしていました。
また、この家は童話 「 狐 」 や小説 「 雀 」 「 帰郷 」 に描かれ、
南吉が亡くなる二カ月前に喉の傷みをこらえながら、「 狐 」
「 小さい太郎の悲しみ 」 など最期の作品を書いたところでもあります。
戦後、人手に渡ってしまいましたが、半田市が購入し、当時のままに
復元して昭和六十二年から公開しています。
「 午後五時半書きあぐ。店の火鉢のわきで。のどがいたい。」
( 「 狐 」 原稿に記されたメモ )
( 説明文 )
新見南吉の童話は、小学校の低学年の時によく読みました。
青空文庫には、122作品のファイルが掲載されています。
新見南吉作品リスト ( 青空文庫 )
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html#sakuhin_list_1
新見南吉作といえば、「 牛をつないだ椿の木 」 「 手袋を買いに 」 なども
在りますが、やっぱり 「 ごんぎつね 」 ですね。
ごんぎつね ( 新見南吉記念館 HP )
ごんぎつね本文をクリックすると、絵本頁に接続します。
https://www.handa-c.ed.jp/monoshiri/
ごんぎつね ( 青空文庫 )
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
以上。