鎮座地:大阪府和泉市福瀬町191
昭和五十五年十月に奉納された狛犬。
他には見ない個性的なデザインです。
向かって左の狛犬の後方に御神木が聳えています。
割り拝殿。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
福瀬戎神社の由来
当戎神社は、その祭神大国主の御子事代主命併せ八王子神にして、
八王子神社と称せられ、慶応四年辰六月八王子神社帳によれば、その社殿
縦三十六間、横十六間三尺、平地境内五百九十四坪にして神社御供田と
して字東作に下田八畝歩御高一石四斗とあり、この社殿境内御供田に
ついては、度々の検地の際、何れも徐地として特別の扱いがなされている事
からみて、神社創建は今から凡そ一千二百数十年前、霊亀年間祭祀料
として和泉を献じたと云うから、その当時この神を祀ったのだとも伝えられて
いる。
現存の古記録によれば、今の社殿後陽成天皇の慶長十六年豊臣秀吉公
の命により、片桐氏正且元が検地総奉行として検地をなしたる時、御朱印地
となし、神社を崇拝なさしめ、神事として毎年宮の月の行事として神子湯浴び
の行事を行い、村中の祭典として参拝せしめたとの事である。
その後、延宝七年三月八日、徳川幕府の銘により、岡部内膳正の検地
総奉行として宮崎清兵衛佐々木甚佐衛門兵衛以下四名がこれに当たり、
この折にも前回同様徐地として一反九畝二十四歩等が記録に残されている。
この様に徐地並に御供田としての特別の扱いをうけ来ったのであるが、前記
の如く慶応四年六月御地頭様よりの御改めによって以来、神主を相定め、
その祭典を福瀬村中に於いてするとの定書が座講中及小堂寺住持実盛庄屋
との間に取り交わされている。
その後更に明治八年御一新の際の宮改めにより戎神社となり、毎年一月
十日を祭典日と定め、一年中の幸福と一家繁栄の祈願を行い来ったので
あるが、創建当時より福の神としてあまねく崇拝せられ、年中の福を
授からんものと遠近の人々数多く押し寄せて瀬をなしたるため、福瀬と
名付けたのが現在の町名となったともいわれている。
ついで明治四十一年一月西園寺内閣当時の神社合併の際、下之宮八坂神社
境内に遷宮せられたのであるが、戎社の祭典は福瀬部落担当して取り行い、
福の餅行列もなし来ったのであった。
昭和二十一年旧横山村東西の氏神八坂・男乃宇刀の二社合併、
八坂神社廃社となるに際し、境内に合祀されいたる戎神社の祭神は、当時の
部落永山抱清一郎副部落長藤原良平等に捧持せられて現在の地に復帰した
のである。
かくの如く幾星霜の年月の間多武重なる変遷をみたのであるが、今や最も
由緒のある当福瀬の地にあって、年々盛大なる祭典を続け執り行いつつ
ある事は、まことに意義深きものである。
茲に後代のためにその由来を記しおくものである。
尚、この文は山抱清一郎・小路山丒松両氏の調査で作成したものである。
昭和四十一年一月十日 福瀬戎神社 当時町開帳 中林恒明
(境内説明文)
大国主命の御子神である事代主命と、素戔嗚尊の御子息である八王子神
を祀る神社としてスタート
明治の一村一社の合祀令によって八坂神社の境内社として遷宮され、
八坂神社が男乃宇刀神社の合祀となって廃社となった際に、福瀬戎神社は
現在地に遷座された、という内容です。
拝殿からの眺め。
以上。
















































































































































































































































