二足のワラジ2
この頃 毎日 毎日が戦争のように、働いて 働いて 色々な夢を持ち始めた時期でもあった。
しかし、体は ひとつしかない。。。。
毎日の疲労は、若い私でも限界を感じるほどだった。。
美容室で、お客様のシャンプーをしている 最中に居眠りしちゃって
何分くらい シャンプーしていたか 分からなくなるほどだった。。。
ヘアードライ(髪の毛をドライヤーで乾かすこと)を
先輩から頼まれると
ドライヤーの温かい温風で、フアフアと眠りの世界へ引き込まれて
ドライヤーを、お客様の頭に『がっん』
そんなこともあった。。。
それでも、夜のバイトは続けた。。。
それは、この頃 海外の有名な美容学校に留学するのが
流行っていた。
私の知っている人も行っていた。。
私も、希望に胸を膨らませて貯金して行こう。
特殊メイクも教わりたい。
そう考えていた。。。
早く、お金を貯めるには、夜の仕事をメインにすることだった。
美容室の上司に、お店を辞めたい事を伝えたが
2ヶ月以上 説得され、なかなか退職できなかった。
そこで、私はある日 自分の荷物をまとめ
いつも、気にしていてくれた 先輩のお店に行き
「明日から、もう お店には行かない」って話に行った。
先輩も、私を説得してくれたけど、私は考えない。
自分が思ったことを直進してしまうタイプ。
ここからが、本当に自分を見失い、誘惑の夜の女
自分の体を道具として思ってなかった。
転落。。。。。。
借金。。。。。。
逃亡。。。。。。。。
蛾になった私が始まる。
家系の事情
親族で、誰かが亡くなると骨肉の争いになるって話は良く聞くが
まさに、私の身近で起こっていること。
もう、祖父が亡くなって、21年が経ついまでも
母方の兄弟は、仲がよくない。
20年も前の話でも、未だにネチネチと話す。
私は、この話が出るたびに精神的に気持ちがおかしくなる。
なぜ、このようなことになるのか?
やはり、遺産だろうか?
私の家系は、母 おじA おばB おじC おばD
この4人は互いに、色々と言ってる。
おじAは、もう70歳を超えている。
おじAとは、血縁関係はない。
祖父の前妻の連れ子。
まだ、小さかった母やおばやおじの為に、一生懸命に働いて
学校にも行かせてもらず、働いたお給料は、全部 祖父が受け取り 生活費なったてたそうだ。
そんなおじAを、この兄弟は、家をやったんだからとか、
みんなで、お金を出し合って買ったお墓を自分の物とか言ってるとか
おじAが、どれだけ苦労してたか?ってこと 気づいてないのかな?
今 おじAの奥さんが入院してる。
私にだけ教えてくれた おじA。
私は、母に伝えたが、母はおじAの奥さんが嫌いだ。
何もしてもらってないから
何もする必要がないっと言った。
私は、絶句した。
母は、以前 おじAの家に、少しの間だけどお世話になっていたのに。。。。。
どれだけ、おじA夫婦と血縁関係がなくても、おじAをお兄さんとして
生活していた事は事実。
奥さんが嫌いだからと言って、何もしてもらってないからといって
それはないだろうって思った。
ココロが痛い。。。。。。
せめて、私だけは、出来ることから始めようって思って
先日 海外の固形石鹸を買ったので、2個送った。
せめて、いい香りのパジャマや下着を着て
気分が良くなるといいなって思ったから。。
奥さんは、喜んでくれたと、おじAから電話がきて教えてくれた。
少しでも喜んでくれると嬉しかった。
今、おじCに電話をした。
おじAの奥さんが入院してることを伝えたが。。。。
なぜか、自分の話しかしない。
今の時代 誰でも 本当に厳しい生活をしていると思う。
それと、この奥さんの入院の話は別だ。
誰もおじCの仕事が無くなるって話は聞いてない。
みんな 自分の事でいっぱいだけど
今まで、おじAがしてくれたことを忘れてる。
おじCの奥さんは、嫁だけど嫁じゃない。
自分の親族の事は、はいはいってやるけど
おじCの身内に不幸があっても、付き合いがないからって何もしない。
これって普通なこと????
私は、違うと思う。
私が、病気になって仕事が出来なくなり、家に居るようになってしまって
病気のことなんか 知らないから、会う度に仕事決まった?って
何度も言ってくる おじCの奥さん。
こんな 愚痴みたいなの書いちゃったけど
いいのかな??
自分の心の中に留めて置けなくなっちゃって。。。。。。。
二足のワラジ1
美容室がお休みの日は、朝から風俗のお店に行っていた。
この風俗の面接と仕事の内容を教えてくれるのが
ここのお店の店長
もちろん、男です。
凄く嫌だったのを思い出すね。
俗に、講習というものなんだけど
講習は、お金がもらえません。
なのに。。。。。。
はぁーーーーって感じ。
水曜から月曜までは、美容室の仕事が、
朝8時から夜11時くらいまであって
毎日 フラフラだったよ。
火曜は、バイトだし。。。
9時開店なのに、なぜかいつも8時出勤
お得意様が居たからなんだけどね。
お客さんが居ないときは、自由だから
いつも 寝ていたよ。
こんな時間が、何ヶ月か続いた。。。。。
ある日。。。。。。。
バイト先から留守番電話が入っていた。
その内容は、帰ったら折り返し電話をして欲しいと。。。。
かけてみると、これから出勤してくれないか?っという話だ。
時間は、もう夜の9時を過ぎていた。
お金が、欲しかったから出勤をした。
このころ 9時間 働いて5~6万円くらいにはなってた。
3時間くらいでも 最低でも3万円くらいになってた。
貯金をするのが、楽しみになってきてた。
けど
身体は。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ひめいをあげてた。。。。。。。。。
寂しかったのかな??
電話代が、いつも5万くらいきてた。
そこで、知り合った人が私の家に入りびたり
何か、溜まり場みたいになっちゃたんだよね。
思い出したくないけど、思い出しちゃうね。
何で、あんなことになったんだろうか?
私が仕事に行ってる間に、電話を使いまくって
凄い金額の請求書がきた。
その時に仲良くしてた同じ歳の子 Mちゃんに相談して
どうにか、入りびたりがおさまった。
本当に、どうなるのかと思った。
新しい職場にも恵まれてたのに。。。。。。。。
原付で、事故を起こし怪我をし、仕事を休んでたときに
また、ダイヤルQ2にハマッてしまった。
膨大な請求書とのにらめっこ。。。。。。。。。。。。。。
サラ金に手を出してしまった。。。。。。。。
電話代の為に。。。。。。。。。。。。。。
そして、私は知り合いの紹介で風俗の世界に足を踏み入れた。
美容室が休みの時だけ行くことにした。
一人暮らし
やっと、親が居ない空間が出来た瞬間
けど、自分の働いた給料では生活が苦しかった。
朝 8時から夕方4時までバイト そして、5時から10時まで専門学校。。。。。。。。
遊ぶお金なんて無かった。
けど、月に一回だけ友達とファミレスで、食事をするのが唯一の贅沢。
そんなのが、1年6ヶ月続いた。 凄く 楽しい生活だった。。。。
学校は・・・・美容学校です。
夜間は、中卒以上の人が入学でき、年齢もさまざまだった。
中には、昼は高校に行ってる子もいた。。
年齢が、さまざまだったからこそ、みんな仲が良かったのかもしれない。
勉強は、本当に苦手な私。。。。
テストは、いつもギリギリ 最悪だったけど。。。。
先生とは、仲良しだったよ。
本当は、タバコを吸っちゃダメだったんだけど 休み時間に、外にでて吸ってた。。。
もちろん、臭いでバレバレwwwww
クラスのほとんどが、美容室でバイトをしてて 私は、凄く焦ってた所があった。
知り合いの紹介で、美容室でのバイトが始まり 学校も遠くなったから、原付の免許も取って 本当は、禁止されてるけど、原付で学校に行ってた。
これも、バレバレwwwww
美容室では、先輩(男の人)に、厳しく教育された。
お店が、暇でも椅子に座ってはいけない。
先輩が、仕事をしている時は、仕事を見て覚えろ。
昼ごはんは、5分で食え!!!
ある日、私は先輩に言われた。 このデブ使えない。。。。。。。。。。。 やる気あんのか?
キレた!!!!!!!!!!!!!!
一生 このお店で、働くつもりはない。 次の日 社長と話をして、辞めることにした。
丁度、専門学校を無事に卒業したころだった。
高校時代
本当は、行きたくなかったんだよね。
女子高だっ!!!!
今、思えば、天国だったwwwww
ってか、親と同じ空間に居ることが苦痛だった。
思春期に多いのかな??
何か・・・・・親の部屋から、男の人が。。。。。。
出てきたんだよ!!!!!!!!!!!
エーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!って感じ。。。
母ではなく、女だったんだって思っちゃったんだよね。
もう、反抗しまくりだよwww
でも、こんな私でも、バイトをしてたのね。。。
そこは、母が昔働いていた所の息子がやってるお店。
当時は、結構 繁盛してたんだよ。
土曜と日曜だけ、開いているお肉屋さん。
まぁ 土曜は、学校が終わってからだけどね。
はじめは、売り子だったんだけど。。。。。
私には、合ってない感じで。。。。
バックヤードに。。。。。。。。
そこでは、お肉にたれを混ぜてバッドに入れるって感じの仕事。
多分、バイトでは私しかやってなかったよ。
何でだろう??????
その頃、時給420円は当たり前だったのに。。。。
私は、380円スタートだったよ。
今 思うと安いよねーーーー。
何時代だって感じwwww
学校に行ってるより、バイトに行ってる方が楽しかったね。
カッイイ人も居たしねwwwww
誰かと比べられることも無かったからかな??
高校には、ひとつ上の親戚の子Nちゃんが居たから
何かと、比べられてた。
このNちゃんとは、社会人になってからも比べられる運命だったりするのだ。
高校でも、本当に色々あったんだよね。
修学旅行の積み立てしてなくて、行けないって思ってたら
友達のお父さんが払ってくれた事もあった。
卒業する時に、母とお礼と返済しに行ったんだけど
卒業と進学祝いだと言い、私に渡してくれた。
本当に、ありがたかった。
そう!!!
私は、専門学校に進学したのね。
今では、宝の持ち腐れだけど・・・・・。
一応、国家試験を受ける資格なのーーーー。
昼は、バイト。
夜は、学校だったのね。。。。
1年6ヶ月。。。。。。。。。。
長かったね。
子供頃
記憶を辿ってみようwww
私は、子供頃からわがままで、頑固な所のある子供であった。
そして、嘘もよくついていた。。。
母子家庭で育ちました。
よく、母子家庭って『大変だったのね。とか、不憫だね。とか、苦労してるんだね。』って
言われることがあるけど。。。。
私は、そんな自覚はない。
それは、母が一生懸命に働いて、私を育ててくれたからだと思う。
こんな風に思えるのは、色々な病気になってから気がついた。
小学・中学と『イジメ』にあった事もあった。
悔しくて、泣いた時もあった。
『何で、お前の家は、母親しか居ないんだ』とか
『何で、親と名前が違うんだ』とか
色々言われたね。
子供って、直球だよね?
今は、そう思える。
『臭いとか、デブとか・・・・・・・』平気で言っちゃうよね??
大人になったら、そうは言えないよ。。。。
イジメられてても、私は友達が居たから、
それは、救いだったと思う。
中学でも、色々 言われて登校拒否?みたいな時もあった。
その反面、俗に不良と呼ばれる中に居たこともあった。
その中に居ても、私は薬物には手を出した事はなかった。
夜な夜な、友達の家に行ってタバコを吸ったくらいかな???
あっ!!!
家出のつもりはなかったけど、行方をくらましたことがあった!!!
はははっ。
すぐに、捕まっちゃったけどwwwww
中学1年の秋くらいから2年間くらい
早朝の新聞配達もしたことがあったよ。
真冬に、耳あてを忘れてそのまま配達したら
耳が。。。。。。。。。。。。
凍傷になっちまったwwww
そんなんも、いい思い出だよねーーー。
ちなみに、子供頃 住んでた家はね。
6畳2間で、風呂なしだったよwwwwww
今は、もうその家は無くなってた。
よく行ってた、銭湯も無くなってた。