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めろんの日々

家づくりのこと、自分の股関節疾患のこと、家族のことなど気ままに綴っています♪

今日は昨日の疲れもあるし、娘にも夜遅くまで頑張ってもらったから、特に予定もないし、家でのんびり音譜

こういう時間も好きだなぁラブラブ

こうしていると、足の痛みなんてなくて、本当に手術をした方がいいのだろーか、なんて考えてしまうシラー

…学習能力のないワタシダウン

それを何回か繰り返して今に至るんだけどねDASH!

あまりに穏やかでのんびりで、
そんな事を考えてしまう休日だなぁ得意げ

夫は音楽が好き。


音楽は夫にとって無くてはならないものだと思う。


今日(昨日)は、夫がLIVEに出るため娘と一緒に聴きに行った。


とても楽しい夜だった音譜



まだ結婚する前は、バンドを組んで音楽ばかりの彼氏(夫)にヤキモキむかっ

「もっとかまってDASH!


って思っていた。でも今は違う。


夫は何か嫌なことがあっても、音楽があって音楽に救われている気がする。


LIVEに出ているということは、自分だけが満足していてはいけないと思うし、

大変な事もあると思うけれど、それでも夫はいつも音楽にはちゃんと向き合っていると思う。


そんな夫が羨ましいし、尊敬もしている。


私は特にこれといった趣味もない。

それでも、生きていてそれなりに楽しいけれどニコニコ



夫は知り合いによく言われるらしい。


「足に障害のある人とよく結婚出来たね」


って。私自身、そんなに気にしていなかったけど。

そっか。健常の人からしたらそういう目で見る人もいるんだよね。


でも、夫には感謝してますよ。

いつも私の体の事を気にかけてくれてる。


ちょっぴり寂しがり屋の夫の為にも、早く普通に歩けるようになりたいなニコニコ

東京に戻ってきてからの通院は半年に一度。


たまに痛みはあるものの、薬を飲めば痛みは治まったし普通に生活していた。


痛みが出たのは先月末。


丁度仕事が休みで、家で家事をしていたら・・・

それは急に・・・本当に突然というか・・

左足に激痛が走りしばらく動けなかった・・・あせる

その場で泣きそうになった・・しょぼん


その後、仕事の休みをもらいすぐにかかりつけの某大学病院へ。

その日は担当医はお休みで、別の整形外科医の先生に診てもらいました。


その先生いわく


左足は骨頭の変形も激しく軟骨もほぼ残っていない。末期に近い症状だと思う。自骨での手術は難しいのではないか?」


と言ってたガーンしかし、担当医は股関節専門医でまた手術法が変わるかもしれないから、もう一度担当医とよく相談するように言われ、この日は痛み止めを服用し安静にするように言われる。


毎日のトイレやお風呂の低い椅子に座るとき、車を運転して席から立ち上がるとき・・・

痛くて痛くて・・・精神的にもかなり滅入っていた。


そして翌週、担当医の診察を受ける。

結果、比較的回復も早いとされる


「臼蓋形成術 

 ~臼蓋の大腿骨がはみ出している部分に、自分の骨を移植して深い臼蓋にする

 


という手術をしようと言われる。


手術は10月30日


手術が決まった当日、早速血液検査、尿検査に加え、入院手続きをした。

手術がきまってから、不安でたまらないけど・・・


担当医から


「今の痛みを取らなければどうにもならないよ。状態の良い右足にも負担がかかってしまう。今より悪くなることはない。頑張ろうね」


と言われたし、自分の股関節と向き合い治療に励もうと思う。

少しずつブログを書いていこうと思っていたのに、色々思い出していたらジャンジャンアップかきたくなってきちゃった音譜



私が地元の福島に戻ったのは2011年1月末。

すぐに就職も決まり、娘の幼稚園の入園手続きも済ませ、

私はフルタイムで働いて、娘は4月から年中クラスでの入園、延長保育の申し込みもして、

入園準備のバックやらポーチやらを作っているところだった。


忘れもしない2011年3月11日。東日本大震災。

私達は引っ越しをして1か月半で、家と全財産を失った。

その後は、家に戻ることも許されず、親戚の家を転々とする日々。


車は無事だったけれど、ガソリンも入れられなかったし、この時の移動手段は徒歩しかなかった。


たくさん歩いた。足も痛かったし薬もなかったけど、歩いて空いているお店を探すしかなかったから。

でも、気が張っていたせいか足の痛みもそんなに気にはならなかったような気がする。


親戚の家を転々として少し落ち着いた頃、福島に戻る前に住んでいた東京で被災者の受け入れを始めたとの情報を聞き、東北道が通行可能になったと同時に、当時避難していた仙台から上野までの高速バスの申し込みをした。


その後、無事に抽選に当選し被災者向けの住宅に入ることができた。


そして、また東京でお世話になっていた、某大学病院にお世話になることになるのです。


担当医もびっくりしてましたね(笑)


2010年12月


特に大きな変化もなく、3~4か月に1回のペースで某大学病院に通院していた。


この時期、私と夫の地元である福島に戻り、夫両親と同居する事が決まる。


その事を担当医へ伝え、もともと通っていた地元の市立病院へ紹介状を書いてほしいとお願いをした。

すると専門医から思いがけない一言。


「身体障害者手帳は持っている?持っていないなら今後手術をしていく事を考えると申請した方がいいよ。診断書書いてあげるよ」


そんな事を言われ、当時身体障害者手帳を持つ事になるなんて全く考えていなかった私は、


「私・・・障害者なの??」


と、なんだかものすごくショックで、午後から出勤した勤務先でボロボロ泣いてしまったしょぼん


今考えると、この担当医の言葉がどれだけありがたい事だったのか、後々わかってくる。

今こうなって調べると、私と同じ病気でも手帳の発行が難しいとされている方が結構いる汗

手帳がある事で、日常生活で助かることもたくさんあるので、担当医には本当に感謝しています。



その後、地元の市立病院を受診。

その病院で見てもらえると思ったら、今はあまり手術をしていないと言われ、家から車で2時間かかる、地元の大学病院へ行くように言われる。


遠いなぁ・・と思いながら、地元の大学病院を受診。

まぁ、同じ様な事を言われる。


「手術を視野に入れ様子を見ましょう」


ってね。

2007年7月


某大学病院への通院が始まる。


「状態はあまり良くないけれど、しばらく様子を見ましょう。

痛い時は薬を飲んでね。でも、40歳くらいまでには手術をしないとね」


・・・と、こんな感じで言われたかな。どこか他人事であまり覚えてませんあせる

その頃には、痛みも落ち着いていた様な気がする。


その時に言われたのは


入院・リハビリ含め6か月、リハビリは他県のリハビリ病院に入院


娘はまだ1歳だったし、絶対無理!ショック!って思った。

二人目も欲しかったし・・・。


でも、そのあとは特に強い痛みもなく数年を過ごす。

仕事を辞めたのは約2週間前。


ずっとフルタイムで仕事をしていたけど、自分の足の事とか娘の事とか考えて、

しばらくは短時間で働こうと思って、探して探して・・・やっと見つけた仕事だったしょぼん


事務職だったけれど、これが結構ハードであせる


障害者手帳を持っていたけれど、一般枠で応募し


「普通に働けますっ!」


って、張り切って面接して採用されて嬉しかったなぁ。


だって、家からも自転車で通える範囲、扶養内で土日祝日休み、しかも週4日勤務。

私の希望通りだった。


女性も多かったし、特有の雰囲気はあったけれど・・・むっ


それでも頑張って行こうと思った矢先、またあの時の・・激痛が走った6年前と同じ感じになってしまった・・。


色々悩んで、入社して間もなかった事もあり退職する事にした。


迷惑をかけてしまった事、短期間で辞めてしまう事、色々情けなくて・・・

夫の前でボロボロ泣いたなぁ…汗


短い期間だったけど、挨拶をした時に


「治ったらすぐに声かけて。いつでも戻っておいで」


と、声をかけてくれた専務。


「いつも話をして気持ちがかるくなっていた」


と、悲しんでくれた年の近いHさんの言葉で、心が少し軽くなった。


今日離職票も届いたし、恐らく戻ることはしないけれど・・。


短い間だったけどお世話になりました。

出産したのは2006年。里帰り出産。

地元では大きい市立病院で出産した。その病院は股関節の手術を受けた病院。
出産の時は、念の為股関節の事を話して、診察も受けて、結果、出産にも問題ないと言われる。


出産は足が痛くなることもなく、超安産。

心配していた娘の足も、7歳になる今も問題なし。


しかし、出産後1年半を経過した頃、左足に激痛が走り歩行ができなくなり、近所の整形外科へ。


結果


【臼蓋形成不全】


と診断される。もちろん両足、痛む左足が時に症状が良くないと。

ウチでは見れないからと言われ、股関節専門医が居るという某大学病院の紹介状を渡された。





現在34歳の私。

なんとなく避けてきた自分の股関節と向き合う時が来た。

10/30に臼蓋形成術を受ける-



生まれつき股関節が正常ではなくて、

記憶はないけれど、幼稚園入園前に3回の手術を受けている私。


残っているのは、両足に足の付け根から15センチほどの大きな傷ふたつと、

右内またの5センチほどの傷。


私が小学生だったころは体育着がブルマだったので、傷が丸見え・・!
それが恥ずかしくて手で必死に隠した事はよく覚えている。


股関節のせいなのかわからないけど、鈍痛みたいなのはしょっちゅうで慣れっこ。

どうすれば痛みが和らぐか、自然に自分でわかった。


通院は年に一回。小さい頃は母親と一緒に、成人してからは一人で病院に通院した。

言われることは毎回同じ。

 ・ 長時間歩かない

 ・ 重い物を持たない

 ・ 体重管理

ハイハイと聞きながら、就職してからは長時間の立ち仕事だったり、重い物を持ったり・・・。

先生には「座って出来る仕事にしなさい」といわれても、無視して働き続けた。


結婚を機に、地元から離れる事になり、新しい就職先を探すことになったので、さすがに座って出来る仕事に就く。その頃は足の痛みも気にならなくなり、かかりつけの病院にも通えなくなったことから、しばらく病院には見てもらわなかった。


その後、娘を出産。

妊娠中も体重が10キロ近く増えたにも関わらず痛みもなくて、自分の足の事なんてあまり考えなくなっていた。