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本当に偶然なのだが、今回の北海道の地震の直前に「美しい顔」を読んだ。

そのおかげか、連日の報道が胸くそ悪い。

「美しい顔」は「群像」の新人文学賞に選ばれた作品で、芥川賞の候補にもあがった小説である。
内容は東日本大震災の話。
被災した女子高生の「私」が、メディアの取材に応えながら避難生活をおくる様子を描いたものだ。

普段、小説などほとんど読まない自分としては、盗用騒動で知った作品だった。
だが、評論家の荻上チキ氏の「十分に読む価値のあるもの」との言葉に、自分も実際に読んでみたいと思っていた。

感想としては、読んで良かったと思っている。
主人公の「私」には、俺が普段から感じていたことが詰まっていた。


俺は被災の経験はない。
今回も、2日に満たない停電を体験しただけ。
とにかく冷蔵庫が困ったのだが、それもこの程度の時間なら乗りきれた。
食料も日用品も一切買わなかった。
寧ろ、冷蔵庫が切れて傷みやすい物を消費するのに必死だった。


報道に怒りを感じたのは、毎度わざわざ道外から来て取材合戦を繰り返していること。
地元の局に任せればいい。
何でこんな時にわざわざ外から来なければ行けないのか。
被災して不便な人たちを嬉々として眺めているよう。
邪魔なだけでろくに助けにならない。

台風の室戸岬に立つリポーターと言い、相変わらずバカばかり。
今行っては行けない場所に行って画を撮ることが何の役に立つのか。
固定カメラで十分だろう。


悲惨な現状を見たいと思うのは、安全地帯から高みの見物が出来る人間だけだと思う。
現実と向き合ってる人にそんな余裕はない。

俺も確かに他人事だった。
阪神大震災も、東日本も中越も広島の土砂災害も。

でも、俺は以前から「泣ける○○」とかいう触れ込みが嫌いで、いかにも「感動して下さい」という演出に違和感があった。
オリンピックの『感動速報』とかも。

どれも、見ている側の期待を画にしているだけで真実を伝えようとしていない。

犯罪者を正論で叩くのもそう。
気持ちいいだけで犯罪減少には役立たない。

だから、メディアが画にしたいことではなく、役立つ情報がほしいと思っていた。


美輪明宏さんも言っていた。
困難に直面して泣けるなら、まだ余裕があると。

実際そうだった。
どこの被害が酷いとか感傷になど浸っていられない。
次の地震に怯えてもいられない。
人助けなんて、それこそスキルが必要。

結局、2日弱停電の俺は、今、当たり前がいかに幸せかを噛みしめながら節電して過ごすことぐらいしか出来ない。
必要なものは準備し、不要なものは買い込まない。

停電していたらテレビも見られないし。
北海道はそれこそ半端なく広いので、厚真や安平の報道ばかりされても、ほとんどの人には関係ない。


今回、一番役に立ったのが携帯ラジオだった。
3台。電池も備えがあった。
北海道の放送局が、全道各地の停電解消状況や携帯の充電場所などを流してくれた。
それでも全道はカバーし切れなかったと思う。
さらに地方局を受信したりして、やっと情報を集めた。

改めて、中央の報道は他人事ゆえのバカ騒ぎなんだと思った。
くそも役に立たない。
スマホの節約術なんて、普段からやっていることばかりだし。
使えなくたって生きて行ける。


これまた「美しい顔」と前後するように読んだ本が家のない子どものノンフィクションだったので、俺の状況なんて何てことはない心境だった。
電気が止まったぐらいでぎゃーぎゃー言ってる輩がウザい。

赤ん坊や動けないジジババ、病人とか障害者なんかは大変だとしても、ピンピンしてる健常者が何言ってんの?
今の時代、1日2日で家から飯なんかなくならないでしょ。
慌てて買いだめしてる奴の気が知れないのは俺だけ?



【参考】
【音声配信】「ノンフィクションを告発するフィクションとしての文学的価値〜芥川賞候補作『美しい顔』をめぐる盗用騒動に荻上チキがコメント▼2018年7月3日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)

文字起こし
https://miyearnzzlabo.com/archives/51122


《最近読んだ本》

「彼女たちの売春(ワリキリ)」(新潮文庫) 荻上 チキ
「美しい顔」 北条 裕子 (群像18年6月号)
「家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生」 鈴木 大介
「家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル」 鈴木 大介

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いつからこんなことになったのか。

僕の記憶では、元々LGBTという言葉は「Sexual minority( セクシュアルマイノリティ=性的少数者)の集合体」 という意味ではなかった。


というのも、英語のSexual minorityは、単数形だと集合体というニュアンスになってしまうと聞いたことがあるから。
だから、Sexual minoritiesと複数形にすることで、集合体ではなくそれぞれのセクシュアリティを個別に認識しつつ、共通の問題などを語る時には性的少数者として一括するという使い方が勧められていた。

しかし、日本人の感覚として単数形と複数形の意味の違いは瞬時には理解しづらく、かつセクシュアルマイノリティーズと複数形で表現することに馴染みがない。
そのため必然的に単数のセクシュアルマイノリティが使われることが多く、結果、 同性愛も性同一性障害も性的少数者として共通のアイデンティティがあるものとみなされることが多くなって行った。



そこで、『LGBT』という言葉が使われ始めたと認識している。

一般的な男性・女性のような性的多数者ではないという共通項はあるものの、それぞれのセクシュアリティは全く異なり、それゆえ異なる認識があるという意味で頭文字を並べたのだ。

要するに、セクシュアルマイノリティと言われた時に、詳しくない人にはその中にどんな人が含まれるのかがわかりにくかった。
そのため、①『男性として男性が好き』だと言っただけなのに、「プライベートでは②『女性の格好をしている』の?」とか、「いつ③『手術する予定』なの?」とか、個々のセクシュアリティを混同した理解が見られた。

(ちなみに、知っている人には釈迦に説法だが、①はゲイなど。バイ、パンセクシュアルなどの可能性も。②は女装家など。③はトランスジェンダーの中の性同一性障害の人。トランスセクシュアル=TSなど。)




この状況を打開するべく、頭文字をとってそれぞれの存在を明確にしたはずだった。

それなのに、恐らくはセクシュアリティについて理解していない人たちが、キャッチーだと思ったのか、何でもかんでも『LGBT』という言葉で表現し始めた。

例えば、ゲイの男性がカムアウトしたいけれども怖くてできないという話も『LGBTの悩み』。
性同一性障害の医療に保険を利かせられないかというような話も『LGBTの訴え』などと記事にされた。

どちらもLGBTに共通する問題ではない。
一部のトランスジェンダーにとってはカムアウトしないことが理想の生き方だったりもするし、医療行為は、性同一性障害の一部などかなり限られた人の話である。


ところが、検索にひっかけるためかLGBTという言葉を乱発し、しかも意味を間違っている。

これにより、「LGB」と「T」は分けて考えるべきなどという批判が多くなってきたのだと思う。

しかし、個々のセクシュアリティの違いを無視してLGBTという言葉を広めてきたのは、無知なマジョリティだと思っている。


代表的な例が広辞苑だ。
改訂でLGBTを載せたはいいが「多数派とは異なる性的指向をもつ人々」と説明し、訂正が入った。
言うまでもなく、Tは体の性に一致しない『性自認』を持つ人のことである。
LGBTが辞書に載るというのは画期的なことではあるが、その辞書に間違われては無理解の後押し。
堪ったものではない。

それなのに、マイノリティ自身が間違った使い方をしている、つまり、LGBTという集合体として問題提起しているかのように思われるのは心外だ。

批判するなら、LGBTという言葉を理解しないまま乱用している人を叩くべきで、当事者を責めるのはお門違いではないだろうか。
この乱用によって何より混乱しているのは、まだ自分のセクシュアリティを探しあぐねているマイノリティ当事者だと思う。



「LGB」と「T」を分けるというのも僕は反対だ。

恐らく性指向と性自認で線引きしようとしているのだろうが、上記で説明した通りLGBTは複数のセクシュアリティの集合体という意味ではない。
LGBTはセクシュアリティというもの全般を取り上げる言葉で、ゲイだけの問題にも「LGBTの問題」などと記事にするから分かりにくくなっているだけだ。
だから、どうしてもLGBTを使いたいなら「LGBTの1つであるゲイ」などと断りを入れればいい。

また、LGBは性指向がポイントとなることは共通だが、具体的に解決したいポイントはさほど共通していないとも聞く。
ゲイはオカマやオネェで一緒くた、ビアンは存在が薄く、バイになるとさらに認知度が低かったりする。
この状況でLGBを1つにして語るのは、机上の理解だと思う。


それに、セクシュアリティというのは細分化すればきりがない。
その1つ1つを当事者以外の人がこれからすべて覚えて行こうというのは無理がある。
細かいところは本人が認識できればそれで十分だろう。

それよりも、個々のセクシュアリティを構成している『身体の性』『性自認』『性指向』について正しく理解することが優先されると思う。

性自認と性指向の違いなどを正しく理解しないまま、同性愛やトランスジェンダーを知ることはできない。
自分のセクシュアリティに迷っている当事者の中にも、性自認というものをジェンダー(求められる性役割)などと混同して理解している場合がある。

もっと基本に立ち返って、まずは『身体の性』『性自認』『性指向』という3つの要素を押さえて欲しい。



LGBTと似た言葉にSOGI(ソジ、ソギ)という言葉がある。
 SOは性指向、GIは性自認のことで、SO=Sexual Orientation=(セクシュアルオリエンテーション)とGI=Gender Identity(ジェンダーアイデンティティ)の頭文字を取ったものだ。

LGBTと違うのは、SOGIを理解出来ればその組み合わせでセクシュアリティが構成されていることがわかるということ。
これなら、同性愛や性同一性障害を単体で覚えるより応用が利く。

それにLGBTという言葉は、性的少数者と性的多数者を分けるという認識が強い。
そのため、LGBTと言われると性的少数者だけの悩みとか、性的少数者自身が解決すべき課題と認識されているように思う。

それに対しSOGIは、全ての人が持っているもの。
性的多数者の人も自分のセクシュアリティを整理し直すと同時に、自分にも関係のあるテーマとして考える機会としてくれたらと思う。



※余談だが、性同一性障害だけが公式のハッシュタグにあるのはなぜだ?
同性愛者の方が性同一性障害者の1000倍くらいいるのに……


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【音声配信】「“マジレス”の必要あり〜自民党・杉田水脈議員のLGBTに関する『新潮45』原稿に対し、荻上チキが渾身の応答」2018年7月23日(月)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)


人が怒っているのを聞いて、こんなに嬉しかったことはない。


やっぱり、間違いははっきり間違いだと言ってくれる人がいるのは心強い。
それも、番組の冒頭で20分以上。

いつもより長い時間、細かく丁寧に指摘してくれた。

心からありがとうと言いたい。



元となった新潮45の原稿は、本屋で立ち読みした。

全文読んでみたところで、感想は何も変わらなかった。

どこがというより、最初から最後まで全てが誤謬に満ちていた。

とは言え、こういう無知な人はそこら辺にいくらでもいるので、別段驚くこともない。


しかし、政治家が明確な誤りをさも真実であるかのように語り、その原稿が編集もされずに公表されることは許してはいけない。

基本的な用語を間違っていることから、編集者の責任も重い。

×性的嗜好→◯性的指向、×性転換手術→◯性別適合手術、×T=性同一性障害→◯T=トランスジェンダー、性同一性障害を含む


セクシュアリティ一覧



これは表現の自由などではない。


杉田議員の主張は「私はあの人が気に入らないので結婚させたくない」という趣旨のものと解釈した。

主張の理由を「生産性がない」というものを始めいくつも述べているのだか、そのどれもが根本から間違っている。

無論、彼女にとってその誤りは真実であり正義であり常識だと信じて疑わないものなのだろう。



怖いのは、こういう発言を放っておくと、支持しない人までこの考えに慣れてしまうことだ。

日本人の悪い癖なのか、よくあることに対しては「仕方ない」と言い出すようになる。


ちょっと考えてみればすぐわかることなのに。

実は犯罪だとしても、とてつもない人権侵害だとしても、見慣れたこと、聞きなれたことは軽く受け流す。

一方で、珍しいことは当事者の気持ちも考えずに無神経に追求してしまったり。


正直、これまでにどれだけ悔しい思い、悲しい思いをしてきたか。

感じのいい、何の悪気もない友人が、この慣れのために、差別行為を平気で行う。

どこかで聞いた言葉だからか、どこかで見た対応だからか、定番になってしまっていることの何と多いことか。

笑顔で差別する人に、ただただショックで立ち尽くすばかりだった。


知らずに差別してしまう人を責めたいのではない。

その程度の教育しか受けられない社会に生きていることが、歯がゆくてたまらないのだ。



「最近はバラエティにオネェの人もよく出てるし、理解されるようになってきてるよね」

そんなセリフを聞いた時には愕然とした。

自分の性を笑いの種にしてイジられることが、理解なのだろうか。


例えば、乳がんで乳房を亡くした女性が「私、おっぱいないんです」というのをネタにしたら、笑えるだろうか。

この女性のことを「痛々しい」「そこまでやる必要ないのに」と思うのなら、MTF(体が男性、性自認が女性)に対する「お前はおっぱいないだろうよ」というツッコミにも笑えないはずだ。

乳がんの女性は笑えないのに、MTFは笑えるとしたら、MTFを女性以外として扱うことに慣れてしまっているということだと思う。


またそれ以前に、ゲイもMTFも女装家もゴッチャにしてオネェと言っているところに、個々のセクシャルを尊重する姿勢が見られない。




杉田議員にもこのバラエティと同じ臭いがする。

当事者を知ることなく自分勝手に解釈し、イジリ倒しているのだから。

いや寧ろ、政治家という立場で一見真面目に否定しているところがより質が悪い。



彼女は生産性がないということを盛んに叫んでいるが、これではLGBTよりも不妊に悩む人たちを攻撃していることになる。

LGBTは生殖機能だけなら問題ないという人も多いのだから。


しかし、人には子どもを生まない自由もあるし、現に子どもを生めない人もいる。

杉田議員は、こういう人達は税金に支えられて生きる権利はないと言っているのだ。

ひいては、子どもを生む人間が偉く、国のために子どもを作る人こそが価値があると言っている。


果たしてそれでいいのか。

子どもを生めない人間は、そんなに排除されるべきなのだろうか。

そんな訳がない。

たまたま異性愛者に生まれ、たまたま生殖能力を持ち、運良く子どもを授かれたことがそんなに偉いわけがない。


杉田議員は、自分の理想に反する人間の存在を否定することで、その人達やその人達を肯定する人達の心までも殺した。

彼女がこの罪に気づくことは一生ないと思うが、明確な間違いであり許されざる行為だということをここに記しておく。


よい子が真似しないように。




LGBTへの日本の行政支援は「度が過ぎる」のか


自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である


生産(しょうさん)とは「出産」のこと/新潮45を読まない人の杉田水脈たたきの意味不明