━━━━━━━━━━━━━━━━
人が怒っているのを聞いて、こんなに嬉しかったことはない。
やっぱり、間違いははっきり間違いだと言ってくれる人がいるのは心強い。
それも、番組の冒頭で20分以上。
いつもより長い時間、細かく丁寧に指摘してくれた。
心からありがとうと言いたい。
元となった新潮45の原稿は、本屋で立ち読みした。
全文読んでみたところで、感想は何も変わらなかった。
どこがというより、最初から最後まで全てが誤謬に満ちていた。とは言え、こういう無知な人はそこら辺にいくらでもいるので、別段驚くこともない。
しかし、政治家が明確な誤りをさも真実であるかのように語り、その原稿が編集もされずに公表されることは許してはいけない。
基本的な用語を間違っていることから、編集者の責任も重い。
×性的嗜好→◯性的指向、×性転換手術→◯性別適合手術、×T=性同一性障害→◯T=トランスジェンダー、性同一性障害を含む
これは表現の自由などではない。
杉田議員の主張は「私はあの人が気に入らないので結婚させたくない」という趣旨のものと解釈した。
主張の理由を「生産性がない」というものを始めいくつも述べているのだか、そのどれもが根本から間違っている。
無論、彼女にとってその誤りは真実であり正義であり常識だと信じて疑わないものなのだろう。
怖いのは、こういう発言を放っておくと、支持しない人までこの考えに慣れてしまうことだ。
日本人の悪い癖なのか、よくあることに対しては「仕方ない」と言い出すようになる。
ちょっと考えてみればすぐわかることなのに。
実は犯罪だとしても、とてつもない人権侵害だとしても、見慣れたこと、聞きなれたことは軽く受け流す。
一方で、珍しいことは当事者の気持ちも考えずに無神経に追求してしまったり。
正直、これまでにどれだけ悔しい思い、悲しい思いをしてきたか。
感じのいい、何の悪気もない友人が、この慣れのために、差別行為を平気で行う。
どこかで聞いた言葉だからか、どこかで見た対応だからか、定番になってしまっていることの何と多いことか。
笑顔で差別する人に、ただただショックで立ち尽くすばかりだった。
知らずに差別してしまう人を責めたいのではない。
その程度の教育しか受けられない社会に生きていることが、歯がゆくてたまらないのだ。
「最近はバラエティにオネェの人もよく出てるし、理解されるようになってきてるよね」
そんなセリフを聞いた時には愕然とした。
自分の性を笑いの種にしてイジられることが、理解なのだろうか。
例えば、乳がんで乳房を亡くした女性が「私、おっぱいないんです」というのをネタにしたら、笑えるだろうか。
この女性のことを「痛々しい」「そこまでやる必要ないのに」と思うのなら、MTF(体が男性、性自認が女性)に対する「お前はおっぱいないだろうよ」というツッコミにも笑えないはずだ。
乳がんの女性は笑えないのに、MTFは笑えるとしたら、MTFを女性以外として扱うことに慣れてしまっているということだと思う。
またそれ以前に、ゲイもMTFも女装家もゴッチャにしてオネェと言っているところに、個々のセクシャルを尊重する姿勢が見られない。
杉田議員にもこのバラエティと同じ臭いがする。
当事者を知ることなく自分勝手に解釈し、イジリ倒しているのだから。
いや寧ろ、政治家という立場で一見真面目に否定しているところがより質が悪い。
彼女は生産性がないということを盛んに叫んでいるが、これではLGBTよりも不妊に悩む人たちを攻撃していることになる。
LGBTは生殖機能だけなら問題ないという人も多いのだから。
しかし、人には子どもを生まない自由もあるし、現に子どもを生めない人もいる。
杉田議員は、こういう人達は税金に支えられて生きる権利はないと言っているのだ。
ひいては、子どもを生む人間が偉く、国のために子どもを作る人こそが価値があると言っている。
果たしてそれでいいのか。
子どもを生めない人間は、そんなに排除されるべきなのだろうか。
そんな訳がない。
たまたま異性愛者に生まれ、たまたま生殖能力を持ち、運良く子どもを授かれたことがそんなに偉いわけがない。
杉田議員は、自分の理想に反する人間の存在を否定することで、その人達やその人達を肯定する人達の心までも殺した。
彼女がこの罪に気づくことは一生ないと思うが、明確な間違いであり許されざる行為だということをここに記しておく。
よい子が真似しないように。
自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である
生産(しょうさん)とは「出産」のこと/新潮45を読まない人の杉田水脈たたきの意味不明