初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
━━━━━━━━━━━━
先日、維新の会が「発達障害は愛情不足が引き起こす」なんて条例案を出していたが、まだまだ誤解も多いのがこの分野だろう。
それにしてもお粗末だが…
俺も誤解がないとも言えないが、少なくとも発達障害は育て方でなるものではないと言いたい。
育て方の問題とされてきたことで、当事者もその親や子も適切なサポートを受けられなかったことが問題だと思う。
うちの親も、サポートを受けられていたら、俺の育て方をこんなに間違いはしなかっただろう。
誤解ではないが、よく、空気が読めないのがアスペルガーと言われる。
それを逆手にとってタイトルにしている書籍もあったりするくらい。
じゃあ、空気を読むことはいつも正しいのか。
7日に行われた小樽商大アメフト部の飲み会では、急性アル中で9人が病院に運ばれた。
上級生は「酒の強要はしていない」と言っていたが、断れない空気があったことが推測される。
1年生が4年生に焼肉を運び、その際に一気飲みするのが伝統だったらしい。
こういう飲む、飲ませるための儀式は、大学以外にも体育会系のノリにはつきものだったりする。
駆け付け3杯とか、粗相で一気、コールの一つくらいは、誰でも聞いたことがあるだろう。
ノリ自体は楽しいが、酒量や飲むペースが上がるのでかなり危険な飲み方なのは間違いない。
そして、ここで空気を読むとなると、「下戸でも頑張って飲む」「具合が悪いのに知らせない」ということになりがちだ。
もちろん、酒を断るのも言い方一つで白けるのは確かだが、だからと言って無理をして飲めばどうなるかは自明の理だ。
例えば、お酒の場で飲めないことを正直に言うことが「空気を読まない」とされるなら、むしろ空気を読まない方がいいだろう。
自分の体を犠牲にしてまで守らなければいけない「空気」があるとすれば、それの方が問題だ。
特に、新歓コンパと呼ばれる新入りの歓迎会では、未だに急性アル中の話が絶えないので、悪しき伝統はなくすべきだと思う。
やっと本題に入ると…
アスペルガーが「空気が読めない」と言われるのは、表現の仕方に気をつけないからだと思う。
アスペルガーの性質として、規則やルールに忠実、覚えたことはどこでもやり通すというのがある。
だから、「飲み過ぎは良くない」とか「未成年者の飲酒は犯罪」と言えば、空気は凍りついても暴走を止められることもあるように思う。
定型は「場の雰囲気を壊したくなくて…」とか、「先輩に意見するのは気が引けて…」という理由で、言うべきことを言えないことも多い。
だが、行き過ぎた悪ノリの空気まで読むのは、褒められたものではない。
では、なぜアスペルガーが「空気が読めない」と疎まれるかと言うと、そもそも空気を感じていないからだと思う。
例えばうちの両親は、複数の基準を同時に考えるのが苦手なのか、自分勝手な善悪のみで判断する。
他人の好き嫌いを考えたり、相手が子供か大人かという成熟度を判断したりしない。
経験や興味のあるなし、その場に求められる話題、話の流れなども組まないので、微妙に話が噛み合わない。
うちの母親は正論ばかりで人を追い詰めるし、父親は自分の欲求に任せて言葉を発して人の怒りを買う。
そもそも彼らにとっての会話とは、キャッチボールではなくて打ちっぱなしのような気がする。
キャッチボールは相手のボールを受け取って、相手にも受け取れるような球を投げ返さなければならない。
うちの両親は、自分の投げたボールを受け取ることに相手が必死になっていることも、相手が投げたボールを自分が受け取らなければいけないことも、見えていないように思う。
彼らの会話はゴルフの打ちっぱなしか、バッティングセンターでマシン相手に黙々と打ち続けることであり、会話の相手はその道具のような扱いだ。
連想ゲームのようにしゃべると言うのも、こういう理由からだと思う。
このように、自分勝手な言動で空気を壊さない為には、状況判断が必要になる。
しかし、アスペルガーはこの「状況」というものを感覚的につかむのが極端に苦手なのだと思う。
それでいて顰蹙を買っていることにも気づけないとなると、本人が気づいたときには周囲の心は離れている。
うちの両親は、場違いな言動を繰り返しながらも、冷たい視線にも気づけないほど鈍感で、さらに持ち前の頑固さで邁進してきてしまったのだろう。
Wikipediaによると、場の空気を読むとは、
まずは状況を把握する
言うべき相手を確認する
適切な言葉を選ぶ
適切なタイミングを選ぶ
とある。
うちの親は、最初から見事につまづいている……。
アスペルガーだと知らずに生きるとは、こういうことかもしれないと思えてならない。
二人とも、他人が常に状況判断をしながら言動を決めていることに、ピンと来ていない。
説明すると、母親は「他人の心なんて誰もわからない」なんて理屈を言い出す。
少なくとも、定型の人間はあなたたちの何倍も人の心が読めるのだが、それを理解するのは難しいのだろうか。
うちの親は、相手も言葉もタイミングも選ばない。
そもそも選ぶものだと思っていないのだと思う。
父親に注意すると「俺だってしゃべっていいだろ」というようなことを言う。
話すことそのものや話の内容ではなく、相手や言葉やタイミングが悪いということが全くわかっていない。
わかろうとしない。
母親も、相手を選ばなければいけない話題は難しいようで、俺が性同一性障害であることを全く面識のない相手に勝手にしゃべられたことがある。
自分と相手の関係性さえ認識が難しい母親が、他人同士の関係を把握して振る舞うことは無理なのだろう。
それにしても、俺にはリスクが大きすぎるので誰にも絶対話すなと口止めした。
今のところ、これしか方法がない。
状況を把握できない発達障害の人に対しては、その状況をわかりやすく言葉にしてあげるのが良いらしい。
だが、長年「自分が知る以外の世界があるはずがない」ぐらいに思い込んでるうちの両親では、その説明さえ信じようとしない。
やっぱり、本人の自覚が重要だよなと思ってしまう。
アスペルガーの主張は、正論であることもある。
ただし、人は正論だから耳を貸すのではない。
信頼している人の言葉だから、受け入れるのである。
自分のことを考えて言葉を選び、タイミングを計ってくれるから、素直に従えるのだ。
その点で、ただ正論のごり押しをしているアスペルガーは間違っている。
そして、正論だけにもったいない。
せっかく正しいことを言っているのに、空気を読まないばかりに嫌味にさえ聞こえる。
会話は、自分の考えを自分の都合だけで話すものではない。
会話をしたければ、相手のことを考えて空気を読まなければいけない。
空気がわからなければ、誰かに判断してもらえばいい。
正論だと言って譲らないから喧嘩になる。
注意を聞き入れないで自己流で突き進むから迷惑をかける。
出来ないことを謙虚に認めれば、助けてもらえる。
いつぞや、母方の祖母にその状況でその言い方は不適切だという指摘をしたら、的外れなことを言っていたな。
「私は言いたいことは言えないのかい?」
あんたが一番言いたいこと言って、場をかき乱してるでしょ?
━━━━━━━━━━━━
先日、維新の会が「発達障害は愛情不足が引き起こす」なんて条例案を出していたが、まだまだ誤解も多いのがこの分野だろう。
それにしてもお粗末だが…
俺も誤解がないとも言えないが、少なくとも発達障害は育て方でなるものではないと言いたい。
育て方の問題とされてきたことで、当事者もその親や子も適切なサポートを受けられなかったことが問題だと思う。
うちの親も、サポートを受けられていたら、俺の育て方をこんなに間違いはしなかっただろう。
誤解ではないが、よく、空気が読めないのがアスペルガーと言われる。
それを逆手にとってタイトルにしている書籍もあったりするくらい。
じゃあ、空気を読むことはいつも正しいのか。
7日に行われた小樽商大アメフト部の飲み会では、急性アル中で9人が病院に運ばれた。
上級生は「酒の強要はしていない」と言っていたが、断れない空気があったことが推測される。
1年生が4年生に焼肉を運び、その際に一気飲みするのが伝統だったらしい。
こういう飲む、飲ませるための儀式は、大学以外にも体育会系のノリにはつきものだったりする。
駆け付け3杯とか、粗相で一気、コールの一つくらいは、誰でも聞いたことがあるだろう。
ノリ自体は楽しいが、酒量や飲むペースが上がるのでかなり危険な飲み方なのは間違いない。
そして、ここで空気を読むとなると、「下戸でも頑張って飲む」「具合が悪いのに知らせない」ということになりがちだ。
もちろん、酒を断るのも言い方一つで白けるのは確かだが、だからと言って無理をして飲めばどうなるかは自明の理だ。
例えば、お酒の場で飲めないことを正直に言うことが「空気を読まない」とされるなら、むしろ空気を読まない方がいいだろう。
自分の体を犠牲にしてまで守らなければいけない「空気」があるとすれば、それの方が問題だ。
特に、新歓コンパと呼ばれる新入りの歓迎会では、未だに急性アル中の話が絶えないので、悪しき伝統はなくすべきだと思う。
やっと本題に入ると…
アスペルガーが「空気が読めない」と言われるのは、表現の仕方に気をつけないからだと思う。
アスペルガーの性質として、規則やルールに忠実、覚えたことはどこでもやり通すというのがある。
だから、「飲み過ぎは良くない」とか「未成年者の飲酒は犯罪」と言えば、空気は凍りついても暴走を止められることもあるように思う。
定型は「場の雰囲気を壊したくなくて…」とか、「先輩に意見するのは気が引けて…」という理由で、言うべきことを言えないことも多い。
だが、行き過ぎた悪ノリの空気まで読むのは、褒められたものではない。
では、なぜアスペルガーが「空気が読めない」と疎まれるかと言うと、そもそも空気を感じていないからだと思う。
例えばうちの両親は、複数の基準を同時に考えるのが苦手なのか、自分勝手な善悪のみで判断する。
他人の好き嫌いを考えたり、相手が子供か大人かという成熟度を判断したりしない。
経験や興味のあるなし、その場に求められる話題、話の流れなども組まないので、微妙に話が噛み合わない。
うちの母親は正論ばかりで人を追い詰めるし、父親は自分の欲求に任せて言葉を発して人の怒りを買う。
そもそも彼らにとっての会話とは、キャッチボールではなくて打ちっぱなしのような気がする。
キャッチボールは相手のボールを受け取って、相手にも受け取れるような球を投げ返さなければならない。
うちの両親は、自分の投げたボールを受け取ることに相手が必死になっていることも、相手が投げたボールを自分が受け取らなければいけないことも、見えていないように思う。
彼らの会話はゴルフの打ちっぱなしか、バッティングセンターでマシン相手に黙々と打ち続けることであり、会話の相手はその道具のような扱いだ。
連想ゲームのようにしゃべると言うのも、こういう理由からだと思う。
このように、自分勝手な言動で空気を壊さない為には、状況判断が必要になる。
しかし、アスペルガーはこの「状況」というものを感覚的につかむのが極端に苦手なのだと思う。
それでいて顰蹙を買っていることにも気づけないとなると、本人が気づいたときには周囲の心は離れている。
うちの両親は、場違いな言動を繰り返しながらも、冷たい視線にも気づけないほど鈍感で、さらに持ち前の頑固さで邁進してきてしまったのだろう。
Wikipediaによると、場の空気を読むとは、
まずは状況を把握する
言うべき相手を確認する
適切な言葉を選ぶ
適切なタイミングを選ぶ
とある。
うちの親は、最初から見事につまづいている……。
アスペルガーだと知らずに生きるとは、こういうことかもしれないと思えてならない。
二人とも、他人が常に状況判断をしながら言動を決めていることに、ピンと来ていない。
説明すると、母親は「他人の心なんて誰もわからない」なんて理屈を言い出す。
少なくとも、定型の人間はあなたたちの何倍も人の心が読めるのだが、それを理解するのは難しいのだろうか。
うちの親は、相手も言葉もタイミングも選ばない。
そもそも選ぶものだと思っていないのだと思う。
父親に注意すると「俺だってしゃべっていいだろ」というようなことを言う。
話すことそのものや話の内容ではなく、相手や言葉やタイミングが悪いということが全くわかっていない。
わかろうとしない。
母親も、相手を選ばなければいけない話題は難しいようで、俺が性同一性障害であることを全く面識のない相手に勝手にしゃべられたことがある。
自分と相手の関係性さえ認識が難しい母親が、他人同士の関係を把握して振る舞うことは無理なのだろう。
それにしても、俺にはリスクが大きすぎるので誰にも絶対話すなと口止めした。
今のところ、これしか方法がない。
状況を把握できない発達障害の人に対しては、その状況をわかりやすく言葉にしてあげるのが良いらしい。
だが、長年「自分が知る以外の世界があるはずがない」ぐらいに思い込んでるうちの両親では、その説明さえ信じようとしない。
やっぱり、本人の自覚が重要だよなと思ってしまう。
アスペルガーの主張は、正論であることもある。
ただし、人は正論だから耳を貸すのではない。
信頼している人の言葉だから、受け入れるのである。
自分のことを考えて言葉を選び、タイミングを計ってくれるから、素直に従えるのだ。
その点で、ただ正論のごり押しをしているアスペルガーは間違っている。
そして、正論だけにもったいない。
せっかく正しいことを言っているのに、空気を読まないばかりに嫌味にさえ聞こえる。
会話は、自分の考えを自分の都合だけで話すものではない。
会話をしたければ、相手のことを考えて空気を読まなければいけない。
空気がわからなければ、誰かに判断してもらえばいい。
正論だと言って譲らないから喧嘩になる。
注意を聞き入れないで自己流で突き進むから迷惑をかける。
出来ないことを謙虚に認めれば、助けてもらえる。
いつぞや、母方の祖母にその状況でその言い方は不適切だという指摘をしたら、的外れなことを言っていたな。
「私は言いたいことは言えないのかい?」
あんたが一番言いたいこと言って、場をかき乱してるでしょ?