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一番ひどかったのは、実家から予備校に通っていたある朝だ。




予備校に着くなり催してきて、便所に直行。

10分ほどこもって、少し楽になったところで1時限目の授業についたが、またもや腹痛と便意でトイレにダッシュ!

青くなりながら懺悔して、やっと立ち上がれたのが10分後、いや20分後だったか。


幸い、1時限目は俺一人でビデオ授業だったので、一時停止したところから再開。

20~30分頑張ったが、またゴロゴロ言い出して再び懺悔。

うずくまっていないと我慢できないほどの腹痛と、気を抜くと即座に出そうなゆるい便が、俺をこの個室から解放してくれそうにない。




結局、90分の授業の間に4度トイレに立ち、ビデオは半分も進まなかった。

後日、ビデオは見直すことが出来るのでそれは問題なかったが、一度これを味わうとちょっとした後遺症が…


もう二度と腹痛を味わいたくないという気持ちと、またなるのではという恐怖感がしばらく残る。






思えば、俺はよく腹を壊していた。

学校にあがる前からだったと思うが、小学校に通うようになってからは毎朝その危機に直面していたように思う。


腹痛はそんなに頻繁ではないし、少し我慢すれば治るのだが、月に一度くらいはあったかもしれない。

小一くらいの時には薬を常用したりもしていた。


母親が「あんたは腸が弱いから」と言っていたから、自分でもそうなのだと思っていた。

というか、うちでは母親の意見に対して考える余地はなかったのだが…




結局、朝の腹痛と下痢はかなりの期間続いた。

ほとんど悩まなくなったのは、つい最近の話である。


そして、同じく最近まで、母親の言葉のままに「自分は腸が弱いんだ」と思っていた。






だが、思い当たる事があった。

この腹痛と下痢が起こるのは、いつもある一定の条件下だったからだ。


①寝不足である

②朝起きてすぐに朝食をとった

③時間がなくて早食いした

④消化の悪いものを食べた


このうち二つ以上重なったらアウトである。

予備校で懺悔した日も、ほぼ全部が該当したのだと思う。






自宅は、幼稚園に始まり小学校、中学校と全て徒歩5分の距離だった。

高校でさえ自転車で20分。


それが災いしたのか、起きる時間もいつもギリギリで、ゆっくり朝食をとれたことなどなかった。




おまけに朝から脂たっぷりのウインナーとか、野菜は一切ないなんてことも多く、しょっちゅう消化不良を起こしていた。


朝早く起きないのは俺自身のせいだが、俺が早く起きても母親が起きてこないのでは朝食は食べられない。

少し大きくなって自分で朝食を作ろうにも、すでにそういう自由もない家になっていた。


「間に合わないからいらない」と言っても、「朝、食べないのは体に悪い」の一点張り。

無理して頬張り直後に学校まで走れば、そりゃ腹痛が起きて当たり前。


「ウインナーはやめてほしい」と促しても、「それしかおかずがない」と工夫する気はまるでなし。




母親は、俺が腹痛になっていることを何度も目にし、かつ薬を飲ませていたことさえ記憶している。

それでも、自分の作る朝食が引き金だとは思っていない様子だった。








今思えば、母親は頑固だった。


早めに起きたり、時間を見て急いだり、食べやすいものに変えたりはしない。

もっとこうしたらいいのにと提案しようにも、それさえ受け入れない雰囲気を醸し出していた。




自分が決めたメニューを自分のペースで出す。


それ以上に重要なことはないのか、俺が何か求めるといつも不服そうだった。

朝食のこと以外でも常にそうだったので、気づいたときには母親に物申すことはなくなっていた。


聞かない、同意しない、実行しないの三段拒否がうちの親の日常だった。




こうして俺は必要なことも言えなくなり、自分が悪いということにして我慢するようになったのだと思う。








改めて振り返ると、腹痛を起こすのも当然だったろう。

だって、さっき言った4つの条件は誰にだって体に悪いではないか。


そして実は、過敏性腸症候群だったんじゃないかと思う。

⇒参考脱!過敏性腸症候群




今、説明した食事内容や状況はもちろん、ストレスも十分に当てはまる。


遅刻しそうで慌てているし、急いで食べたらお腹が痛くなるとわかっているのに、母親が許してくれないから無理して食べる。

ほとんどこの繰り返しだったのだから。






俺は、あの予備校時代の懺悔の日から、朝食は自分で作ることにした。

一時間早く起きて、土鍋で雑炊を作りゆっくり食べる。

それが新たな習慣になった。


母親に逆らう怖さより、腹痛の怖さの方が上回ったのだ。




その数週間後、休日の朝に「俺も同じの作って」と言ったら、母親はこう言った。


「あんた、私が作ったものは食べないでしょ?」


どういう嫌味だよ…。




俺が母親の作る朝食を食べなくなった理由は、全くわかっていないようだった。

いや、そもそも理由なんてあると思っていない。






ここ数年、ダイエットとトレーニングの都合もあって、食事には随分気を遣うようになった。


とは言え、特別なことは何もしていない。

脂っこいものを食べるなら野菜もしっかり摂るとか、食欲がないならお腹に優しいものにするとか、注意するのはそんなこと。

体の調子に合わせてるだけだ。




確かに、俺の腸はちょっと過敏で弱かったのだろう。

でも、体の声を聞いたら腹痛も下痢もほとんどなくなった。




たったそれだけのことだった……。
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家族の異常に気づく①
家族の異常に気づく②
家族の異常に気づく③
家族の異常に気づく④
家族の異常に気づく⑤




俺の幼少期に「男の子」だった時間がないことはわかっていたことだが、実際に友人の息子を見ると耐えられなかった。

本で読むよりテレビで見るより、リアルの「男の子」は刺激が強かった。


友人の息子が俺同様やんちゃだったことと、べったり甘えていたことも大きかったのかもしれない。






ショックは大きかったが、過去を整理できたことで新たな面が見えてきた。

性別に関係ない親子の基本的なコミュニケーションの取り方だ。


泣きついたり暴れたりするのは、男の子だけではない。

主張があったり感情が動いたりしても言葉に出来ない時、それが態度に表れるのは男の子も女の子も一緒だ。


形は違えど大人だって同じことをする。


そういう非言語的表現を、うちの親は拾おうとしなかった。

俺が口に出して言わないものは感知しなかったし、反対に言葉にしたものは言葉だけを受け取った。




子供なんて拙い表現しか出来ないし、理解して欲しいのはそこじゃないだろう。

言葉にはならない気持ちに、ただ寄り添って欲しいだけだと思う。


それに、代わりに大人が言葉にすることで、その感情をどう表現したら良いのかを子供も学ぶ。

「それは痛かったね。一人で我慢したの?心細かったね」とか、「良かったね。皆喜んでたかな?」と共感してもらえることは、幼い子供にはとても重要だろう。


そして、親が自分の気持ちを受け止めてくれたことで、子供も自分の気持ちに素直になれるのだと思う。






母親は、かつて俺が言葉にしなかったことを問題にした。

だが、それを問題視することがより不可解に思えた。


幼すぎて言葉にならなかった、わかってもらえると思えなかった、気づいて欲しかった、怖くて言えなかった。

俺はそういうことを話したつもりだった。


だが、そういう想像は母親の頭にはないようだった。

母親は、端から理由には関心を示さなかった。


『言えないということはない、言わなかったのだ』

決して自分の感情は語らない母親が、無言でそう言っているような気がした。






どうぶつかっても手応えがなかった。

暖簾に腕押し、糠に釘とはこのことだ。


「何で~してくれなかったの!?」

と迫ってみても、知らなかった、言われなかったばかりで話にならなかった。


言い訳が聞きたいんじゃない。

ただ、せめて今、俺の気持ちを知って欲しかっただけ。


それなのに、俺が実は傷ついていたと知っても、母親は事もなげにこう言った。




「今さらどうしようもない」








親と正対することに疲れた俺は、いつしか最悪の精神状態になっていた。

消えたい衝動に引きずり込まれぬよう、取り敢えずただ命を繋ぐことだけを考えた。


それを見せつけた訳でもないが、同居していた親は平然としていた。


おかげで限界まで追い詰められた。




ここまで来てやっと、親がおかしいのではないかという視点から考えるようになった。

ようやく洗脳が解け始めたとでも言うのだろうか。


単に苦し過ぎたのかもしれないが…






自分がアダルトチルドレン(AC)であることは、学生時代から認識していた。


アダルトチルドレンとは、「機能不全家庭で育った子供」という意味である。

暴力や暴言もそうだが、食事や風呂を世話しない、無視や冷やかしを繰り返すなど、子供の尊厳や身の安全を守らない親に育てられ、大人になっても精神的影響を受けている場合をいう。


となれば、親が何らかの問題を抱えているはずなのに、そういう視点は欠落していた。




親が親の機能を果たしていないことに相当な恐れがあったのか、親のことは知ろうとしなかった。


仮に親が悪いとしても、誰に助けを求められる訳でもないと思っていたので、自分の問題だと考えた方が楽だったのかもしれない。

それなら自分一人で何とかなると感じたし、何より、少しでも親を悪く言うなど俺の中では許されないことだった。


今なら、そこまで過剰に親を立て、一人で背負い込み、それでもまだ親の期待に沿えていないと自責の念に駆られていることが、親や家庭が異常である何よりの証拠だとわかるのだが…。






必死に答えを探していく中で、ある本が目に留まった。

スーザン・フォワード著「毒になる親」


怖かった。

最初は、全く的外れであってほしいとも思った。

と同時に、ここに真の親の姿が綴られている予感もした。




その本の中で一番に気になったのは、たとえ親でも間違いは間違いだと指摘している事だった。


以前、心理系の本を読んだ時も、著者が自身の親の問題点を指摘していることに非常に驚いたことがあった。

その時は、「親の悪口を書くなんて…」と本気で不届き者だと思ったものだ。


また、その時と同じ感覚に襲われたのだ。




しかし、『毒になる親』に書かれている親は明らかに間違っていて、それを批判している著者の指摘は至極真っ当だった。

うちの親も毒親と呼ぶに相応しい。


そのため、うちの親が間違っている訳がないという信念と、間違いだらけの毒親に当てはまるという現実に、しばらく混乱が続いた。


だが、毒親だと認めざるを得なくなった。


親が正しいとすると、何もかもが矛盾するのだ。

親が間違っているとすると、全ての辻褄は合うのだ。




親を尊敬できないからダメなんだと思ってきた自分が、親の異常を認めて楽になった。

不思議だった。


と同時に、やっと何かをつかんだ気がした。








だが、ここまで来てもわからないことが一つあった。

言動は確かに毒親であるが、どんな毒親のパターンにも今一つ一致しないのだ。


親の見栄や欲、それらを子供に投影するなど、精神的虐待に繋がる動機が見つからない。

確かに、子供を助けない、守らない、親の都合で振り回す、子供の意向を無視するということが度々見受けられたが、これをして親が一体何を満たしているのかがわからなかった。








ある時父親のことを愚痴っていたら、友人からちょっとした指摘を受けた。

先日、久しぶりに再会した1歳半の息子の母親だ。


彼女は、息子がアスペルガー症候群の診断を受け、自分もそうだと気づいたと言っていた。

その知識から、俺の父親も当てはまりそうだというのだ。

正確には、広汎性発達障害の中のいずれかであったのだろう。




アスペルガーという言葉に特に抵抗はなかったが、それは俺が誤解していたせいでもあった。

発達障害と言われても性格特性ぐらいに感じていたし、改善の余地があるものというイメージだった。


実際、教育できそうな気がしていた。




しかし、現実は程遠かった。




特に父親には、普通の人間の感覚はなかった。




気になるものは何でも触る、覗く、しゃべる。

そこに他人の都合は存在せず、父親が「~したいから」がどんな理由よりも優先された。


迷惑をかけていることを自覚するどころか、無能な自分さえ見えていない為いつでも自信満々。

さらに、どんな失態を犯しても尻拭いする母親のおかげで、父親の幼児的万能感は強まるばかり。

何をやっても許されるという勘違いっぷりは半端ではなかった。




見た目はジジイの3歳児は、もう手に負えなかった。






家族の異常に気づく 終
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どんな親でも大切にしなきゃいけませんか

レスNo.19


このレスが一番共感できた。
まさにこの通りだよ。


親に感謝しろって言う奴は、何を以てそう言うのかね?
感謝するところがないから、毒親って言ってるんだよ(苦笑)。



「産み育てたことは事実だから…」っていう指摘がよくあるけど、毒親は子供の為に産み育てる訳じゃない。

全ての動機が自分の為なんだよね。


「堕ろせなくなったから産んだ」とか、「親から孫をせがまれた」とか、「何も考えずセックスしてたら出来ちゃった」とか、「男を繋ぎとめる為」とかね。

最初から動機が不順な場合も多い。


一度は腹くくって産んだものの、「やっぱり産むんじゃなかった」とか、「あんたがいなけりゃ今頃私は…」なんて、平気で子供に愚痴る母親もいる。

父親も、「ガキなんていらねぇ」っていつまでも逃げ回るとか、母親まかせで全く無関心とか、親の自覚を持たないまんまの奴がいるんだよ。


育てることにしても、生きものなのに「育てなかったら死ぬ」ってのが、一番の理由だと思うよ。

そこまで放置したら、育児放棄で捕まるじゃん。

逮捕されなくても、露骨にネグレクトしてたら近所に気づかれるでしょ?

一応の体裁は整えておかないと、自分らも生活しづらくなるからね。

ミルクやらなきゃ赤ん坊はなくし、オムツ変えなきゃ汚くて親だって不快。

それで愛着わいて改心すればいいけど、現実の毒親ってのはドラマみたいに心を入れ替えたりはしない。


そのうち、表面上子供を立派にしておけば親もポイント稼ぎが出来ることに気づき、子供を利用することを考える親もいる。

有名進学校に通わせたり、習いごとに必死だったり、有名にさせようとオーディション受け続けたり。

もちろん、子供の意志なんか無視。

親の思い通りの結果を出さないと子供に八つ当り。


親しか縋る者がない子供は、そりゃ超必死だよ。

文字通り死ぬまで頑張る。



情緒を育てない親を親って言わねぇんだよ。

金魚みたいにただ餌やればいいってもんじゃないことくらい、誰だって知ってるだろ?


毒親はもちろん、幸せな家庭に育った人も立派に誤解してるよ。

見てくれだけ整えて情緒破壊してる親って、やってることが汚すぎ。

そんな親をはびこらせてるのは、毒親を知ろうとしない幸せボケした奴らなんだぜ。


綺麗事言う奴に聞きたいよ。

食事、風呂、その他設備が抜群の旅館だが、従業員の対応は最悪で、すれ違う度暴言を吐かれるとしたら、その旅館をいい旅館というのか。

毒親に育てられるってことは、毎日こんな環境なんだよ。

設備だって綺麗なのは外観だけで、中は悲惨な状態かもしれないしね。



自分も親になったらわかるってのは、確かにその通りだ。

でもね、それが感謝に繋がるのは、それこそ幸せな家庭に育ったってことさ。

親になって子供がどれだけ愛しい存在かわかったとき、親が自分にしてきた仕打ちがいかに異常だったかに気づくのが、毒親持ちだよ。


俺には子供はいないが、たまに姪っこが遊びに来る。

可愛くて仕方ない。

だからこそ思う。

こんな可愛い子供を相手に、虐待できる親の気が知れない。



どんな親でも感謝しろって言う奴は、首絞められても「ありがとう」って言いながら永い眠りにつくんだろ。