初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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性同一性障害カムアウトのリスクと利点でカムアウトについて書いたけど、そもそもカムアウトって何だろう?


今日は主に、「女性で生活しているFtMが男性だと告白する場合」の話になるかな。


たまにブログや掲示板で見かけるのが、『○○にカムアウト済み』というプロフィール。

○○には両親や友人や恋人、学校や会社が入るんだけど、「済み」ってことはそれで終わっちゃってるのかなと思う。




俺も最初はそうだったからわかるんだけど、カムアウトは新たなスタートなんだよね。

なのにカムアウトする当事者は、カムアウトがゴールになってしまうことがある。


いわゆる言いっぱなしでは、言われた方だってどうしていいかわからない。

それなのに、告白して終わってしまってうのはどうだろう。




だからどうしたいということを説明できないと、ただギクシャクするだけかもしれない。

当事者にわからないことがあるなら、当事者じゃない人はもっとわからないよ。


それに、個人差もかなりある。

呼び名だってそのままでいい人もいれば、女っぽい名前で呼ばれるのは嫌で別の呼び名がいい人もいる。




そういう一つ一つを埋めていくのがカムアウトという一連の作業だと思う。






『同性愛がわかる本』の中では、「違いをしっかりお互いに認識した上で、関係性を作り直すこと」がカムアウトの本当の意味だと言っている。


また、ゲイの活動家で知られる石川大我くんも、「自分が同性愛者であることを伝え、相手との関係性を変えていく過程のこと」だとしている。

(『ボクの彼氏はどこにいる?』石川大我 より引用)


同性愛を性同一性障害に置き換えても同じことで、俺もこれらの考えを支持したい。




さらに大我くんは、こうも言っている。

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どちらか一方が相手を「認めてあげる」ことや「許してあげる」ことではない。

そこから新しい二人の対等な関係をつくる作業だ。

この作業は、自分がゲイであるということを自分で肯定的に受け入れていないと難しい。

受け入れていないと「秘密の告白」になってしまう。
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この「対等な関係」というのが、とても重要だと思う。


正直、FtM当事者にひどくイラつく時がある。

それは、カムアウトが懺悔になってる場合だ。


例えば、親に対して「普通の女の子(男の子)じゃなくてごめんなさい」であったり。

女友達に対して「女同士だって嘘ついてました」という言い方をしていたり。

彼氏に対しては「本当は男なんです。騙しててごめんなさい」という気持ちを持っていたり。




どれも、「自分みたいのは受け入れられなくて当たり前」とか、「こんなのが自分で申し訳ない」とか、許しを請うところから抜け出せていない。




俺は、FtMであることが恥ずかしいとは思わない。

生まれ持った性質をバカにする奴の方が品性が下劣な人間だ。


そんな下劣な人間に負けて自分を卑下しているFtMを見ると、俺もくだらない存在だと言われている気がしてくる。

だから、イライラする。






今まで本当の自分が受け入れられたことがなければ、自信が持てないのも、否定的になるのも当然だと思う。

そして、その感情は多くのFtMが共感してくれるところだろう。


だけど、自分がいつまでも許しを請うようでは、相手もそれが「理解」だと受け取ってしまう。

それではいつまで経っても受け入れられることに怯えることになると思う。




「許してあげる」とか「認めてあげる」という接し方をする人は、理解者じゃない。

言うまでもなく、対等じゃないから。

対等じゃない人間関係を続ければ自己否定的になるのは当然で、それは性同一性障害を抱えているからじゃない。


性同一性障害をネタに脅しているだけで、こんな人は友達でもなんでもない。

カムアウトする相手を間違ったことを認め、次はちゃんと見極めて話すようにすればいい。






特に気をつけなくてはいけないのは、こちらは自分に肯定的なのに、相手が自分の存在に否定的だったり同情的だったりする場合だ。


「私は、差別とか偏見とかないから」というのがわかりやすい例かな。


何度か言われたことがあるよ。

今は、そんなことわざわざ言って恥ずかしくないの?って思うけどね(苦笑)




最初から「差別しない」宣言をするということは、俺らは差別されて当然の存在だと思ってるということでしょ?

そんな失礼な話があるかよ(笑)。


それに、差別しないのって結構難しいよ。

差別は無知からというように、知らないで人を傷つけていることはあるわけで、差別しないなんて言いきれないと思う。






友達だから、親だから、「カムアウトしなければいけない」というのはちょっと違うと思う。


親だって理解を示す人間ばかりではない。

カムアウトで、哀しい友達の本心を知ることになるかもしれない。

受け入れようとする人だって、いきなり全部は飲み込めないよね。




俺も随分失敗してるけど、話し合いを続けられる人というのが、一つの目安かな。


何よりも、セクシュアリティについて理解を示せる人間かどうか、見極めてカムアウトすることが大事だと思う。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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今まで、親以外でもアスペルガーと思われる知人はいた。

親しい友人の中にもちらほらいる。

ちょっと変わってる奴は面白いし、本当に人が嫌がることをしなければ問題ない。

それ以上は相性程度の話だと思う。




だから、アスペルガーの要素全てが問題でもないし、その多くが迷惑行為に及ぶかと言ったら、それは違うと言いたい。


ただ、それだけの許容量をもってしても、うちの親は問題なんだよね。




父親は、人が嫌がることを止めない。

その前に話を聞いていない。

人より理解力がないことを自覚していない。

いや、わかってるのかもしれないが、適当にごまかして何とかなってきたので、それだけは学習してしまったのか。




常に誰かが父親のケツを拭くのは、今や我が家の常識。

それをパターンとして身につけてしまった父親は、自分で責任を取るなんて面倒なことは当然覚えない。

同じくパターンになってしまっている母親は、自分だけでなく俺が父親のケツを拭くことも、普遍の真理のように思っている。

それは理不尽だろと拒否すると、決まっているものに文句をつけるなと、俺の方が反逆者扱い。




また、父親は集中力も注意力もないくせに、一を聞いて十を知るくらいの能力だと自負している。

だからなのか、とにかく人の話を理解しようとしない。




先日も、俺が

「そのお菓子、邪魔だから下に持っていって」
と言ったら、

「いや、いい」

と返してきた父親。


そのまま元に戻そうとしたので、再度

「邪魔だから下に持ってって!」

と念を押すと、取り敢えずその通りにした。




いいって何よ?会話になってないじゃん。

こんな目茶苦茶なのに、何で誰も正してこないんだろうな。


要するに、こういうことだ。

父親は、自分の都合しか頭にない。

だから、「いや、いい」というのは、今父親が食べる分は手に取ったので、袋ごと自室に持っていく必要がないという意味なのだ。


当然、俺はそんな話はしていない。

他に入れるものがあって邪魔になるし、父親が自室でしか食べないものなのだから、台所にはおかないで自室に置けと言った。




何かに集中してる(この場合はお菓子を食べようとしている)と、そのことしか頭になく、話しかけられても頭に入らない。

だったら、わからないならわからないと言えばいいものを、適当にごまかすなよ。


特にこの場合、人の都合なんかわからない父親には、そのお菓子が家族にはどうなのかという視点はないので、話がややこしい。


万事がこの調子だ。






自閉症当事者であるニキ・リンコが、自分の感覚についてこんなことを書いていたっけ。


ある日、自分が「ピアノを習いたい」と言ったことが、実際に習えるようになることに繋がっているとは思っていなかった、と。

工作中に「はさみが必要だわ」とぶつぶつ言っていたら、父親が買ってきてくれて、「何たる偶然!」と驚いたとも。


空気が読めないとか言うけど、本人が人の意志を汲み取れないということは、他人が自分の気持ちを汲むことも想像できないんだろうな。


エピソードとしては面白いんだが、周りは迷惑よ。




本人が「ピアノを習いたい」って言うから習わせたのに、すぐ飽きてやめるわ、「罰でやらされてる」なんてぶつぶつ文句言うわ。

親はやってらんないでしょ。






それから、アスペルガーは後悔しないなんてのを他の本で見かけたのだが、その理由もわかった。


要は、物事の因果関係がわかっていないので、後悔しようがないということ。

あの時こうしていたらというのを考えるのが、ニキ・リンコは苦手だと言っている。


かつての自分の選択が今の自分をもたらしているという発想がないらしい。

だから、今の結果は決まり切った事象で、過去にどうしておいたら変わったとか、そういう感覚はないらしい。


というか、A1→A2→A3と物事が繋がっていることを理解するのに時間がかかるらしく、おまけに誰のおかげでそうなったとかは抜け落ちてしまうようだ。






そうそう、うちの父親もよくあるよ。

俺が散々説明してやっと出来るようになったくせに、自分が大発見したみたいに言うもんね。


なぜそれが出来るようになったか、誰にどう助けてもらったか、そんなことは全部忘れて今の結果しか見えないらしい。


ニキ・リンコは全画面表示と言ってた。

注釈をつけるとか、履歴を遡るとか出来ないらしく、わかった途端にそれが全てになると。

最初からそうだった気になったり、あるいは自分で思いついたような気になるらしい。




父親はまさしくそう。

母親も俺が教えた話を丁寧に教えてくれたりするけど、父親はさらに自慢口調なのでむかつく。


聞かないけどね。

どうせ、聞いてても聞いてなくてもわからないし。




父親の会話は、所詮、独り言の延長。

父親が一方的にボール投げて、相手が受け取っても受け取らなくてもお構いなし。

たまにこっちから投げ返しても、それを受け取ることさえ知らない人だから。




自分しか見えてないとね、至近距離から全力で壁にボール投げておいて、跳ね返って来たボールに文句言うんだよね。


どう考えても自業自得。


で、それだけで済めば「アホじゃねぇの?」でいいんだけど、ぶつぶつ人に文句を言うわけ。




ボールに文句言っても相手にされないし、かといって自分のせいだという発想がない。

となると、責任転嫁する意図はないけれど、「俺は絶対悪くない」が根底にあるから、あらゆる物や人の文句を言い始める。


父親は何を言われても平気だが、普通の神経してる人間は、悪くなくても責任を感じるだろう。

知らない人は取り敢えず「すみません」と謝り、それで何とか収まる。




でもね、父親は癇癪起こしてるだけだから、謝ろうが謝るまいが、放っておけば忘れるんだよね。

周りはお前の後片付けに追われたというのに。


しまいには、その出来事を全て自分が仕切って結果を出したみたいに語りだす始末。




まさに全画面表示。

全部すっ飛ばして、『全て俺の手柄』だぜ。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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学生時代あれほど嫌いだった読書にはまり、最近は図書館に通い詰めの泰斗です。


中学の長期休みの宿題に読書感想文があったんですが、一度も出したことがなかったです。

読まされるのが嫌いなので、そもそも指定図書とか読んだ記憶さえありません(汗)

それでも教師に可愛がられていたので、国語は3年間オール5でしたが…。


教師も人の子です。


いやいや、授業は真面目に受けてたし、テストは点取ってたので許してください(苦笑)






虐待などを調べていると、悲しいことに殺人事件にまで発展したものもあり、そこで今日もある事件の経緯なんかを見てたんですが…


当然のことながら、被害者の氏名は仮名だったりします。


でも、なぜでしょうか?

何も悪いことをしてないなら、隠す必要もないと思いませんか?


殺人事件の被害者遺族も、薬害エイズの原告も、脱線事故に巻き込まれた方も、堂々と顔を出し実名で訴えたらいいと思いませんか?






似たような感じで、僕も勧められたことがあります。


「悪いことをしてる訳じゃないんだから、堂々と言えばいいじゃない?」

性同一性障害であることは悪いことではないのだから、別に隠す必要はないだろうという訳です。




言いたいことはわかります。

僕は事件の被害者ではありませんが、何か悪いことをしてる訳でもありません。


堂々とカムアウトして、堂々と性同一性障害として生きていいと思います。




でも僕は、まず言いません。


こうしてブログを書いてたりすると、セクシュアリティをオープンにして過ごしているように思われることもあるのですが、リアルでは一切話しません。

男として生活するようになってからは、性同一性障害だとカムアウトする機会はほとんどなくなりました。


俗に言う「埋没」というタイプですが、僕は男として生きたいだけだからです。






性同一性障害のカムアウトには、大きく二種類あります。


FtMの例で言うと、

一つは、女性で生活している時に本当は男性なんだと告白する場合。

もう一つは、男性で生活し始めてから実は性同一性障害だと打ち明ける場合。




両者は意味が違います。


前者は女性だと誤解されているので、そこで本当の自分を出して生きるには必要な作業です。

後者は、男として生きるつもりなら、カムアウトは必ずしも必要ではありません。




後者のカムアウトは、FtMが男として生きたいのか、FtM(性同一性障害)として生きたいのかによって、選択が分かれるのだと思います。


FtMという認識で構わないのなら、カムアウトする方が過ごしやすいのかもしれません。

一方で、僕のように男と認識されたいFtMは、カムアウトは寧ろリスクの大きい行為だと思います。


なぜなら、性同一性障害だと知れば、やはり他の一般的な男とは違う意識や扱いになるからです。

それは、差別されるばかりではなく特別扱いも含まれます。




僕は、この性同一性障害ゆえに配慮されるのが苦手です。

相手に悪気はないのですが、僕は普通に男として接してくれればいいので、性同一性障害として何かサポートされるのは遠慮したいです。

それは、僕にとってはパートナーやごく親しい人間が知っていればいいことなのです。

男として生きたい僕には、配慮によって常にFtMであることを意識させられるのは、結構な苦痛だったりします。






僕も、絶対にカムアウトしないと決めている訳ではありません。

男として人間関係が出来上がってからなら、性同一性障害だと話すこともあります。

親しくなった人には本当の自分で向き合いたいですし。


ただし、最初から性同一性障害だと言ってしまうと、性同一性障害者として理解されるような気がします。

もちろん、付き合っていくうちに普通の男と変わらないと理解してくれるかもしれませんが、それなら性同一性障害という言葉は不要だと思います。

ただの男として接して欲しいFtMと、ただの男なら受け入れられる一般人には、性同一性障害という言葉はいらないのです。






それが、さきほどの「何も悪いことをしていない」という考えの人が行動すると、独断で僕が性同一性障害だと話してしまったりするんですね。


これはとても迷惑です。


アウティングという行為なのですが、取り返しがつかないので不注意では済まされないと思います。

リスクは当事者が全て背負うことになるのですから、他人が勝手に話すことは絶対にダメです。






性同一性障害であることが恥ずかしい訳ではないんです。

僕は、トランスジェンダーとしての自分に誇りを持っています。




事件の被害者が実名で訴えないのは、常に被害者として見られることは望まないからでしょう。

勝手に同情されたり興味本位に弄られることではなく、当事者しかわからない思いを理解してほしいのではないでしょうか。




似ているとは言えないかもしれませんが、僕も性同一性障害というフィルターから覗かれることを避けたいだけです。


全ての人に僕のセクシュアリティを説明する時間はないですし、理解したい人ばかりではないでしょう。

関心を持ってくれる人がいても、セクシュアリティの話に終始してしまって、他に話したいことは話せなくなってしまうのです。




こういうブログや講演会なんかならいいでしょう。

興味のある人だけですから。

自分から聞きたいと思った人でしょうから。

僕も伝えたいことは沢山あります。


そういう準備のない場所でカムアウトすることは、お互いに疲れるだけというのが経験上思うところです。






長くなったので、続きは次回に…。