初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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世の中にFtMが多すぎる件について(脳内日常妄想毒本)


性自認が男ではないのに、FtMだと思っている人が増えるのはどうかと思う。


だが、この記事のコメントで語られているような覚悟を決めてまで、女の体を変えたいとは思わない。

そんなに嫌悪感はないから。


だから、覚悟と言われても正直よくわからない。




ずっと不適合感はある。

女の体を自分に相応しいものだと思えたことはない。


この体しか自分にはないから、仕方なく受け止めてきただけ。

好きとか嫌いとかの問題じゃない。

この体で生きる道しか与えられなかったから、この体で生きる方法を模索してきた感じ。




以前、FtMトランスにとっての胸とトラシャツで自分の胸は嫌いじゃないと言ったが、自分の体トータルでも別に嫌いじゃない。

男の俺から見た自分の体は、変な話、結構好きな女の部類だ。

だからって自分に欲情もしないのだが、他者として見た時に好みの体であっても、それが自分の体となると話は違う。


自分に相応しい体は、少なくとも女ではない。




では、治療して男の体を手に入れられればいいかと言ったら、それも違う。

中性的な体が欲しい訳でもない。


そこまでして欲しいものじゃないんだ。

お金をかけて、失敗のリスクも背負って、完璧な男でもない体を、傷も残るのに、医療という他者の力に頼ってまで、男に見せたいかと言ったら、どうも違う。

俺には得られるものより、失うものの方が大きいような気がしてならない。


精子まで作れるようにとは言わないが、勃起したり立ちションぐらい普通に出来ないと、俺にはメリットがない。

俺の場合、形だけの男性器では、コンプレックスが強まることはあっても、男としてのアイデンティティをくすぐりはしないような気がしてる。




もし、これから男女二択でどちらかの体を選べるとしたら、男を選ぶと思う。

赤ん坊からやり直すとしても、きっと男の体をお願いする。


でも、それ以外でも男の体が必要かと言われたら、よくわからない。




男の体になる覚悟を決められない人間はFtMではないのなら、俺もFtMではないのだろう。


性同一性障害を知ったときから、典型的なトランスセクシュアルの人とは違うと思ってきた。

だから今さらショックでもないのだが、改めて特例法はトランスセクシュアルの為の法律なんだと思った。

体を変える覚悟がない人は、戸籍性の変更は認められないんだろうな。




男性の戸籍まで必要ないという訳じゃない。

俺が何より欲してきたのは、戸籍の性別だ。

そのための条件に、体が含まれることに強い葛藤があるだけ。


戸籍はIDだから、赤の他人に男だと示すために必要。

それに対して体は、身近な人間が受け入れてくれればいい。

極端な話、パートナー一人が、体を知った上で男だと思ってくれればそれでいい。






女の体をした男なんて、愛されないと思ってた。

体が全てだと、嫌と言うほど感じた思春期だった。


だがその後、色んな人がいることを知った。

レズビアンでなくても、体が女同士であることに抵抗がない人。

好きだと言いながら女の体しか見ない人。

性別関係なく人を愛せる人。

女の体を見ても男として付き合ってくれる人。




人として俺を愛してくれた男はいたが、そいつは女が好きな異性愛者。

だから、俺の体が女でなければ好きじゃないのだろうと考えたら、複雑だった。

俺が男でも女でも愛してくれた人だったが、俺の体が女でなければ彼が好きになるきっかけはなかったと思うから。

結局、女の体ゆえに愛されている幸せは、受け入れられなかった。




相手が女でも同じだった。

男といるよりは自分が男だと感じられたが、ボーイッシュな女としての受け入れは居心地が悪かった。


俺にとって重要なのは、相手の性別より、自分を男として見てくれているかどうかなのだと思う。






簡単に戸籍の性別を変えられるのがいいとは思わない。


ボーイッシュ女性やビアンの人が、ジェンダーや恋愛を理由に男になられても困る。

何らかの目的があって性別を変えたい人は、性同一性障害に非ずとガイドラインに記されているのだし。


女でも男になれるなら、性自認が何かなんて関係なくなってしまう。




でも、男の体を欲しがることだけが男である証ではないと思う。


何に性を感じるかは人それぞれなのだから。


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オリンピックも閉幕で、スポーツ好きとしてはちょっと寂しく思う今日。


時折思うのが、この中にだって同性愛者がいるんだよなということ。

これだけのアスリートが集まれば、そこには同性愛者も相当数いるはずなのに、カムアウトする人はほんの一部だったりする。

アメリカでは、メジャースポーツの選手が同性愛をカムアウトすることはタブーだとも言われているし、まだまだオープンにするのは簡単じゃないようだ。




それでも、もしオープンにしてくれる人がいたら、きっと多くの人に勇気を与えられると思うんだよね。

俺は性指向にあまり性別が関係ない(パンセクシュアルに近い)人なので、純粋なゲイではないが、それでも嬉しく思う。


だって、どこにだって間違いなく同性愛者がいるんだし、言えずに苦しんでいる人もいるのだから。




女子サッカー/同性婚・カムアウト2(ビアン通信)


この記事でも書いているように、カムアウトなんかする必要のない社会が理想だな。

カムアウトが必要なのは、言わなければ同性愛者が「いないこと」になっているから。

存在がごく当たり前になれば、わざわざ声高にゲイだと言うこともないだろう。




「私は同性愛者です」と言うのは、「異性愛者のあなたと好みのタイプが違います」というだけの話だと思う。


「あぁ、そうなんだ」でいいではないか。




そういや、女子サッカーアメリカ代表のGKソロ選手が、選手村のセックス事情を暴露してたね。

セックスは五輪精神の一部


まぁ、あってもおかしくないと思う。

五輪きっかけに結婚する人もいるし、一人もセックスしてないというのも不自然な気もする。


競技前後は精神的に昂揚してることも考えられる。

アスリートは元々テストステロン(男性ホルモンの一種)レベルが高いとも、トレーニングによってレベルが上がるのではとも言われる。

性欲にも関係するのがテストステロン。

アスリートは男女ともタフそうだ。

鍛え上げられた身体は、テレビで見てるだけでホレボレするもん。


そんなアスリートに囲まれて合宿なんて、ちょっと羨ましい(笑)。


セーファーセックスを心がけようね。




そして、その中に同性愛者がいても何ら不思議ではないよ。






男性がゲイだとカムアウトすると、たまに極端に残念がる女性ファンがいる。


だったら、同性愛者だって同じなんだよね。

好きな俳優やアスリートが異性愛者だということに、ショックを受ける時はある。

まぁ、異性愛者よりは慣れっこだけど、ショックや痛みに慣れるのがいいことでもないだろう。


特に、聞いてもいないのに自分はゲイじゃないと言う人を見ると、それだけで残念に思うよ。

どんなにいい役者でも、スーパーアスリートでも、人としては未熟なのかなと思ってしまう。

しっかり否定しないといけない社会なのがもっと悲しいけど……。




俺も、好きな女子アスリートがビアンだって知ったらちょっとショックではあるけどさ(苦笑)。

ゲイでもビアンでも、カムアウトしてくれた人はとても応援したくなるよ。






同性愛者は30~40人に1人。


僕の、君の隣にいます。
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アルコール依存症(⇒参照wikipedia)からの回復においてキーとなるものに、「底つき」と「気づき」というものがあるらしい。


酒が止められないことで、家族が出ていったり、仕事を首になったり、事故を起こしたり、落ちるところまで落ちるというのが「底をつく」という経験。

そして、いよいよどうにもならなくなって、このままではまずいと自覚するのが「気づき」だ。


ここまで来て初めて、自分はアルコール依存症という病気だと認めて治療に向かえるとのこと。

アルコール依存症は「否認の病気」とも言われるように、中々本人は認めないようだ。




そして、この「底つき」と「気づき」というのは、あらゆる依存症において回復に必要な要素らしい。




なるほど、確かにそうだ。


そして思ったのが、アスペルガーは「底つき」も「気づき」もないのではないかということ。

アスペルガーは依存症などの病気ではないが、本人が「気づかない」ことが一番の問題のような気がしてならないからだ。




うちの父親は「わかった」とは言うが全くわかっていないことが多い。

この間も、注意されたことを30分後にしれっとやらかして、全部捨ててやろうかと思った。


だいたい顔つきがおかしい。

すまないでも、やらかしたでも、腑甲斐ないでも、おかしいなぁでもない。

どんなに怒られても、何度こちらが後始末をしても、「何か間違ったことしたか?」という態度にならない。


それどころか、「俺は何にもしていない」と言い切る。

一見すると強情を張ってるようにも思えるのだが、本当に悪くないと信じているから困る。

何が悪いのか、本当にはわかっていないと言った方が正しいだろうか。


こうなると、迷惑行為そのもの以上に「俺は絶対悪くない」という態度が、憎々しい。


父親と関わっていると、常にこちらが悪いのかと錯覚してしまうくらい、秩序なんてあったもんじゃない。




父親の場合、鈍いのではなくて、気づかなければいけないものがあること自体、わかっていないのかもしれない。


きっと、「気づき」には因果関係の理解が不可欠なのだ。

その因果関係が理解できていないから、「気づき」の存在すら知らないのだと思う。






アルコール依存症の例で言うなら、


酒を飲んだことにより

→暴れて人や物を傷つけ

→結果、人に恐怖や不快を与える

→その繰り返しで信頼を失い

→離婚や解雇、逮捕に至る


とする。




定型がこの「底つき」体験をすれば、酒を断たなければいけないとすぐに気づくだろう。


しかし、アスペルガーの父親はこの流れがわからないのだと思う。

だから、失敗からやり直す方法もわからない。




離婚、解雇、逮捕からやり直したければ

→失った信頼を回復しなければいけない

→それには、二度と人を恐怖に陥れたり不快にしないように

→暴力、暴言を止めなければいけない

→そのために必要なことは酒を断つことだ


アスペルガーは、このように離婚などの結果から原因の飲酒へと矢印をさかのぼることが出来ない。




定型は、わかっちゃいるけどやめられない。

それに対し、アスペルガーはわかってないからやめるはずもない。


周囲が飲酒を助けずどん底に落とせば、懲りて依存症と向き合うのが定型。

離婚されても理由がわからないから、懲りないのがアスペルガー。


つまり、アスペルガーは「底をつく」ことがない。




アスペルガー当事者の全てがここまでひどくはないが、これくらいの例も珍しくはないと思う。

その一例がこれだ。

アルコール依存の治療から(火星人と結婚して離婚して)


飲酒運転は常習?、他人の車を傷つけ、隣家の玄関に嘔吐。

しかも後始末は全て奥さん。


苦労が忍ばれる。




これだけ迷惑をかけても「俺には関係ない」と言うのなら、こんな悪魔のような病気もないだろう。

苦手な部分だなどと悠長なことは言ってられない。






大人のアスペルガーを批判すると、アスペルガーの子供を持つ母親がよく反論する。

心がないとか、危険な存在だというのは偏見だと。

問題のある人を何でもアスペルガーだと言って、一緒にしないで欲しいと。




それもわかるのだが、そもそも療育を受けている子供と、野放しで育った大人では比較にならないと思う。


前者は親子でアスペルガーという現実を自覚しているし、サポートも受けている。

後者は自分の性質に無自覚だし、我流で突き進んだままだ。




もちろん、大人のアスペルガーにも、おとなしくて一人で困難を抱えている人もいる。

アスペルガーは自体は危険な障害ではない。

しかし、些細なことを大惨事にするタイプがいることも確かだ。


その一つが、今話した因果関係無理解による独自の理論展開だ。




アスペルガーの子を持つ親は、うちの父親みたいなのを教訓にすべきだと思う。

「うちの子は違う」ではなくて、定型の子以上に秩序を教え込む必要があると思ってほしい。

定型の子のように、「底つき」から「気づき」という経験をしにくい、もしくは何倍もの時間がかかるのだから。


同じだけ悪い躾を受けたら、定型よりアスペルガーの方がより悪い影響が出るように思う。

逆に、よい躾を受けたら定型以上にしっかり身につくのがアスペルガーだ。




暴走してるアスペルガーの周りには、それを甘やかす無責任な大人がいるような気がしてならない。

肌で秩序を感じられないなら、当たり前のことも一から教えればいい。


もう70歳になるうちの父親でさえ、いくらか変わってきたのだから。