初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
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アルコール依存症(⇒参照、wikipedia)からの回復においてキーとなるものに、「底つき」と「気づき」というものがあるらしい。
酒が止められないことで、家族が出ていったり、仕事を首になったり、事故を起こしたり、落ちるところまで落ちるというのが「底をつく」という経験。
そして、いよいよどうにもならなくなって、このままではまずいと自覚するのが「気づき」だ。
ここまで来て初めて、自分はアルコール依存症という病気だと認めて治療に向かえるとのこと。
アルコール依存症は「否認の病気」とも言われるように、中々本人は認めないようだ。
そして、この「底つき」と「気づき」というのは、あらゆる依存症において回復に必要な要素らしい。
なるほど、確かにそうだ。
そして思ったのが、アスペルガーは「底つき」も「気づき」もないのではないかということ。
アスペルガーは依存症などの病気ではないが、本人が「気づかない」ことが一番の問題のような気がしてならないからだ。
うちの父親は「わかった」とは言うが全くわかっていないことが多い。
この間も、注意されたことを30分後にしれっとやらかして、全部捨ててやろうかと思った。
だいたい顔つきがおかしい。
すまないでも、やらかしたでも、腑甲斐ないでも、おかしいなぁでもない。
どんなに怒られても、何度こちらが後始末をしても、「何か間違ったことしたか?」という態度にならない。
それどころか、「俺は何にもしていない」と言い切る。
一見すると強情を張ってるようにも思えるのだが、本当に悪くないと信じているから困る。
何が悪いのか、本当にはわかっていないと言った方が正しいだろうか。
こうなると、迷惑行為そのもの以上に「俺は絶対悪くない」という態度が、憎々しい。
父親と関わっていると、常にこちらが悪いのかと錯覚してしまうくらい、秩序なんてあったもんじゃない。
父親の場合、鈍いのではなくて、気づかなければいけないものがあること自体、わかっていないのかもしれない。
きっと、「気づき」には因果関係の理解が不可欠なのだ。
その因果関係が理解できていないから、「気づき」の存在すら知らないのだと思う。
アルコール依存症の例で言うなら、
酒を飲んだことにより
→暴れて人や物を傷つけ
→結果、人に恐怖や不快を与える
→その繰り返しで信頼を失い
→離婚や解雇、逮捕に至る
とする。
定型がこの「底つき」体験をすれば、酒を断たなければいけないとすぐに気づくだろう。
しかし、アスペルガーの父親はこの流れがわからないのだと思う。
だから、失敗からやり直す方法もわからない。
離婚、解雇、逮捕からやり直したければ
→失った信頼を回復しなければいけない
→それには、二度と人を恐怖に陥れたり不快にしないように
→暴力、暴言を止めなければいけない
→そのために必要なことは酒を断つことだ
アスペルガーは、このように離婚などの結果から原因の飲酒へと矢印をさかのぼることが出来ない。
定型は、わかっちゃいるけどやめられない。
それに対し、アスペルガーはわかってないからやめるはずもない。
周囲が飲酒を助けずどん底に落とせば、懲りて依存症と向き合うのが定型。
離婚されても理由がわからないから、懲りないのがアスペルガー。
つまり、アスペルガーは「底をつく」ことがない。
アスペルガー当事者の全てがここまでひどくはないが、これくらいの例も珍しくはないと思う。
その一例がこれだ。
アルコール依存の治療から(火星人と結婚して離婚して)
飲酒運転は常習?、他人の車を傷つけ、隣家の玄関に嘔吐。
しかも後始末は全て奥さん。
苦労が忍ばれる。
これだけ迷惑をかけても「俺には関係ない」と言うのなら、こんな悪魔のような病気もないだろう。
苦手な部分だなどと悠長なことは言ってられない。
大人のアスペルガーを批判すると、アスペルガーの子供を持つ母親がよく反論する。
心がないとか、危険な存在だというのは偏見だと。
問題のある人を何でもアスペルガーだと言って、一緒にしないで欲しいと。
それもわかるのだが、そもそも療育を受けている子供と、野放しで育った大人では比較にならないと思う。
前者は親子でアスペルガーという現実を自覚しているし、サポートも受けている。
後者は自分の性質に無自覚だし、我流で突き進んだままだ。
もちろん、大人のアスペルガーにも、おとなしくて一人で困難を抱えている人もいる。
アスペルガーは自体は危険な障害ではない。
しかし、些細なことを大惨事にするタイプがいることも確かだ。
その一つが、今話した因果関係無理解による独自の理論展開だ。
アスペルガーの子を持つ親は、うちの父親みたいなのを教訓にすべきだと思う。
「うちの子は違う」ではなくて、定型の子以上に秩序を教え込む必要があると思ってほしい。
定型の子のように、「底つき」から「気づき」という経験をしにくい、もしくは何倍もの時間がかかるのだから。
同じだけ悪い躾を受けたら、定型よりアスペルガーの方がより悪い影響が出るように思う。
逆に、よい躾を受けたら定型以上にしっかり身につくのがアスペルガーだ。
暴走してるアスペルガーの周りには、それを甘やかす無責任な大人がいるような気がしてならない。
肌で秩序を感じられないなら、当たり前のことも一から教えればいい。
もう70歳になるうちの父親でさえ、いくらか変わってきたのだから。
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アルコール依存症(⇒参照、wikipedia)からの回復においてキーとなるものに、「底つき」と「気づき」というものがあるらしい。
酒が止められないことで、家族が出ていったり、仕事を首になったり、事故を起こしたり、落ちるところまで落ちるというのが「底をつく」という経験。
そして、いよいよどうにもならなくなって、このままではまずいと自覚するのが「気づき」だ。
ここまで来て初めて、自分はアルコール依存症という病気だと認めて治療に向かえるとのこと。
アルコール依存症は「否認の病気」とも言われるように、中々本人は認めないようだ。
そして、この「底つき」と「気づき」というのは、あらゆる依存症において回復に必要な要素らしい。
なるほど、確かにそうだ。
そして思ったのが、アスペルガーは「底つき」も「気づき」もないのではないかということ。
アスペルガーは依存症などの病気ではないが、本人が「気づかない」ことが一番の問題のような気がしてならないからだ。
うちの父親は「わかった」とは言うが全くわかっていないことが多い。
この間も、注意されたことを30分後にしれっとやらかして、全部捨ててやろうかと思った。
だいたい顔つきがおかしい。
すまないでも、やらかしたでも、腑甲斐ないでも、おかしいなぁでもない。
どんなに怒られても、何度こちらが後始末をしても、「何か間違ったことしたか?」という態度にならない。
それどころか、「俺は何にもしていない」と言い切る。
一見すると強情を張ってるようにも思えるのだが、本当に悪くないと信じているから困る。
何が悪いのか、本当にはわかっていないと言った方が正しいだろうか。
こうなると、迷惑行為そのもの以上に「俺は絶対悪くない」という態度が、憎々しい。
父親と関わっていると、常にこちらが悪いのかと錯覚してしまうくらい、秩序なんてあったもんじゃない。
父親の場合、鈍いのではなくて、気づかなければいけないものがあること自体、わかっていないのかもしれない。
きっと、「気づき」には因果関係の理解が不可欠なのだ。
その因果関係が理解できていないから、「気づき」の存在すら知らないのだと思う。
アルコール依存症の例で言うなら、
酒を飲んだことにより
→暴れて人や物を傷つけ
→結果、人に恐怖や不快を与える
→その繰り返しで信頼を失い
→離婚や解雇、逮捕に至る
とする。
定型がこの「底つき」体験をすれば、酒を断たなければいけないとすぐに気づくだろう。
しかし、アスペルガーの父親はこの流れがわからないのだと思う。
だから、失敗からやり直す方法もわからない。
離婚、解雇、逮捕からやり直したければ
→失った信頼を回復しなければいけない
→それには、二度と人を恐怖に陥れたり不快にしないように
→暴力、暴言を止めなければいけない
→そのために必要なことは酒を断つことだ
アスペルガーは、このように離婚などの結果から原因の飲酒へと矢印をさかのぼることが出来ない。
定型は、わかっちゃいるけどやめられない。
それに対し、アスペルガーはわかってないからやめるはずもない。
周囲が飲酒を助けずどん底に落とせば、懲りて依存症と向き合うのが定型。
離婚されても理由がわからないから、懲りないのがアスペルガー。
つまり、アスペルガーは「底をつく」ことがない。
アスペルガー当事者の全てがここまでひどくはないが、これくらいの例も珍しくはないと思う。
その一例がこれだ。
アルコール依存の治療から(火星人と結婚して離婚して)
飲酒運転は常習?、他人の車を傷つけ、隣家の玄関に嘔吐。
しかも後始末は全て奥さん。
苦労が忍ばれる。
これだけ迷惑をかけても「俺には関係ない」と言うのなら、こんな悪魔のような病気もないだろう。
苦手な部分だなどと悠長なことは言ってられない。
大人のアスペルガーを批判すると、アスペルガーの子供を持つ母親がよく反論する。
心がないとか、危険な存在だというのは偏見だと。
問題のある人を何でもアスペルガーだと言って、一緒にしないで欲しいと。
それもわかるのだが、そもそも療育を受けている子供と、野放しで育った大人では比較にならないと思う。
前者は親子でアスペルガーという現実を自覚しているし、サポートも受けている。
後者は自分の性質に無自覚だし、我流で突き進んだままだ。
もちろん、大人のアスペルガーにも、おとなしくて一人で困難を抱えている人もいる。
アスペルガーは自体は危険な障害ではない。
しかし、些細なことを大惨事にするタイプがいることも確かだ。
その一つが、今話した因果関係無理解による独自の理論展開だ。
アスペルガーの子を持つ親は、うちの父親みたいなのを教訓にすべきだと思う。
「うちの子は違う」ではなくて、定型の子以上に秩序を教え込む必要があると思ってほしい。
定型の子のように、「底つき」から「気づき」という経験をしにくい、もしくは何倍もの時間がかかるのだから。
同じだけ悪い躾を受けたら、定型よりアスペルガーの方がより悪い影響が出るように思う。
逆に、よい躾を受けたら定型以上にしっかり身につくのがアスペルガーだ。
暴走してるアスペルガーの周りには、それを甘やかす無責任な大人がいるような気がしてならない。
肌で秩序を感じられないなら、当たり前のことも一から教えればいい。
もう70歳になるうちの父親でさえ、いくらか変わってきたのだから。