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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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連日報道されている佐世保の高1女子同級生殺害事件だが、マスコミの取り上げ方が相変わらずで辟易している。


「心の闇」、友人間のトラブル→怨恨なんて、一体いつの時代の話をしてるのか。

この「心の闇」という表現は嫌いだ。
そんなもん、誰にだってある。
でも、ほとんどの人間は犯罪には走らない。
何とか処理している。

闇を抱えすぎてしまう要因と、それをどう処理すべきか、処理しきれなかった人間とはどう違うのか。
俺はそれが知りたい。




この事件は、加害者に何らかの発達障害(自閉症スペクトラム)があることは間違いないし、家庭環境も大いに影響してるだろう。

しかし、自閉症スペクトラム(ASD)だからといって際立って殺人犯になりやすい訳でもないし、親に虐待された人間がみな犯罪者になるわけでもない。

この両方が重なっても、犯罪への道をまっしぐらということもないと思う。

俺は、相当悪い要素が幾重にも重なった結果だと思っている。




最初に断っておくと……

加害者がどんなに苦しんでいたとしても、どんなに不幸な生い立ちだったとしても、無関係な被害者を殺していい理由にはならない。
俺が言いたいのは、加害者と同じ人間を生み出さないことと、同じ被害に合わない知恵を得ることだ。
そのために、加害者を知る必要があると思っている。

心の闇なんて言ってると、サイコパスを増やすだけだ。




ネットでは、「生まれながらのサイコパス」と「最悪な家庭環境」のどちらかで議論にもなってるが、俺は、その両方と社会の放置がプラスされてると見る。


推測の域を出ないが……

加害者は、元々共感性が低くコミュニケーション能力も高くなかった。

そこに、親から学力や表彰という表面的な成功だけを求められ、情緒教育がほとんどなされてこなかった。

情緒面での問題は表面化しても揉み消され、学校も親も教育しきれず、警察も対応しなかった。

おかげで、命に対する興味は真っ直ぐに解剖へと向かい、人の痛みを想像する力は育たなかった。

そこに、慕っていた母親の死、父親の再婚というストレスが加わり、引き金となって今回の事件に至った。

と考える。




ここからは、マスコミや専門家の分析に勝手にツッコミ。




「家は名士。本人も文武両道で優秀。なのに……」

逆に、だからだろ?と言いたいくらい。
アスペルガーなどの発達障害は、知的障害がないどころかむしろIQ値が高く知的には優秀なことも多い。当たり前だが、学校のお勉強が出来ることや運動神経がいいことと、コミュニケーション能力は比例しないということ。

知識がある、理屈がわかるということと、それを活用したり、それに沿って自分をコントロール出来るかは別の問題。知識や理屈だけを誉めるからおかしくなるし、知識があれば出来るはずという先入観で、活用の仕方を教えないから偏る。
恐らく、元々偏りの激しかった加害者に、偏った教育が中心になされた結果。




「謝罪や反省がない」

あるわけない。悪いことをしたつもりはないから。
被害者の気持ちを想像できないか、自分の解剖欲求の前には大した問題ではなかったのだ。

もしくは、「被害者に対してどう思うか?」と聞かれ、謝罪や反省を求められているとは理解していないか、それがわかっても謝罪や反省の気持ちがどういうものかわからず言葉にならない。

というか、謝れるならこんな事件は起こさないでしょ?




「着替えと被害者の携帯を捨てたのは証拠隠蔽のため」

切断の時にも隠蔽の意図が指摘されたが、こんな中途半端な隠蔽があるわけない。いや、もしこれで隠蔽のつもりならますますASD濃厚だ。
着替えは、血痕のついた洋服が嫌だったとか、単にそんな理由だろう。
携帯は、最近の事件では多いことなので、自分も何となくそうしたというところか。

ハンマーとノコギリの購入から計画性は疑われるが、もし隠蔽まで考えていたなら、遊ぶ約束→自宅で殺害→その場で解剖→警察突入という流れはない。




「なぜ仲の良かった友人を殺害?」

むしろ親しい人間だったからでは?
赤の他人の体は興味が薄いし、殺せる機会がない。友人なら呼べば家に来てくれるし、殺害→解剖に都合が良かったと思われる。
親しい友人を失う悲しさや寂しさは、想像できなかったか、口で言うほど親しみの感情はなかったか。
加害者にとって友達とは、仲が良いとは、普通の人が想像するそれとは違った可能性もある。




「動機は父親への恨み」

それもあるが、一番の目的は解剖に代表される人の体や命に対する歪んだ興味ではないか。
生き物の苦しみや生死は見た目にわかりやすく、加害者にはコントロール可能なものという認識だったのでは?
母親を思えば問題は起こしたくなかったが、それもなくなった。そこに、自分の興味を満足させることと父親への復讐という二つの利害が一致した。
しかしそれも、特に意識はしていなかったかもしれない。




「取り調べに淡々と応じる」

聞かれたことには素直に応じるASD(自閉症スペクトラム)の特性。
また、自分のしたことに対する認識が定型とは異なるため。自身の今後の処遇に対する想像力が欠如してるだろうし、被害者の人生を奪ったという認識もなければ、被害者家族の悲しみに共感する能力もない。
だから、自分の態度や言動が遺族にどう映るか、社会がどう受け止めるかということに、考えが及ばない。またはどうでもいい。




「凡人とは違う特殊な才を見せつけたかった」

解剖したかったという供述を受けて。積極的にそう思ってたというより、追い詰められてそうでなければならないと思っていたのではないか。

加害者は中学時代に国体代表となっているが、長崎では競技者が一人しかいない冬季スポーツ。兄も父もそれぞれ競技者が一人だけで国体代表の肩書き。タイムは盛んな地域の小学生の校内大会レベル。普通なら逆に恥ずかしいと思う。
父は有名私大→弁護士、母はメディア企業社長の娘→国立大→教育職、兄も有名私大。輝かしい経歴の一方、洗剤混入事件も猫解剖事件も、加害者の心を省みることなくうやむやに。
この家では、わかりやすい肩書きが全てで、その子がその子らしくいられることなどは全く評価されなかったと推測される。

となると、人とは違った何か特別なものを持たなければ、自分には価値がないと感じていたとしてもおかしくはない。




「ただ殺したい、解剖したかっただけなんて……」

ASDの動機はものすごくシンプル。殺人がそれほど大きなハードルではないこともあるのでは?

定型なら、怨恨や金銭、情緒のもつれなど他に動機があって、殺人がその解消の手段に使われることが多い。それは、人殺しそのものに興味があるわけではなく、目的の為にはそうするしかないから。
でも、殺人には相当なエネルギーがいるし、バレれば処分も重い。だから、よほど感情的になってか、かなり用意周到でなければ出来ない。
いや、それだけ強い動機があっても、ほとんどの人は踏み止まる。

その点、想像力が働かないASDの場合、後先考えずにやりたかったらやる。
やってしまって結果に激しく動揺することもあれば、恐ろしいほど「仕方ない」と冷静に受け止めることもある。




続く。
ちょっとしたメモとか書きかけの原稿はいっぱいあるのだが、もう一つまとまらないので、今日は思いつくまま呟きを……。




最近、母親と話すのがストレスだ。

何でもない日常の会話が、噛み合わない。

年のせいもあるのだろうが、得意の連想ゲームが発動するのか、微妙にずれてる。

これが会話の3回に1回ぐらいの割合で起きる。

ほぼ毎日だ。


認知症の人の話を否定するとかえってトラブルになるので、周りが話を合わせるのと同じで、俺ももう否定しないことにしている。

キリがないから。

かといって聞きもしない。

別に聞いてほしいと思ってなさそうだし。




自閉症スペクトラム(ASD)の会話は、基本的に一方通行。

相手から返してもらうことを期待してしゃべらないから、キャッチボールで例えるなら、こっちが返さなくても、いや、そもそもキャッチしなくても関係ない。

返してほしいなら返せるボールを投げればいいだけ。

お金を入れたら自動で投球しまくるピッチングマシンのようにしゃべられても、別に合わせる義理はない。

知らないうちに、お金に当たる何らかのスイッチを押してしまってることはあるみたいなので、こちらはとにかく押さないようように注意するのみ。

間違って押した場合はスルーが一番いい。

これが、まずは自分の精神を守るための最善の策。




もちろん、最初からそうだった訳ではない。

何度も説明して、何度も注意したものの、ちっとも治らないのでもうやめた。

それどころか、年のせいか、最近は悪化する一途だ。


それに、注意しながら思ったのが、やっぱりキャッチボールをしようとは思ってないということ。

俺の言う通り、話が噛み合ったら楽しいとは、母親は思っていないことがよくわかった。


だから、二つに一つしかない。

母親が、連想ゲームや割り込みなど一方的なおしゃべりをひたすら我慢するか、俺がそのおしゃべりを会話として成立させることを断念するか、そのどちらかだ。

両方が楽しいやりとりはない。

母親はキャッチボールは苦痛なのだと思う。

全てが、ではないが、相手の話を聞いたり、共感したりされたりするよりも、自分が今言いたいことを言う方が楽しいようだ。

それを止められる方が、共感より、相手の不快感より、苦痛みたい。


俺とは優先順位が違うし、俺が母親に求めていたほど母親は俺に共感を求めていない。

もちろん、俺が話を聞いてもらえなかったイライラやモヤモヤに、母親が心を痛めるなんてこともない。

そもそも、人の感情の変化に自分の言動が関係してると想像できないようなので。




「そんなつもりじゃない」と言われて終わりだ。

そんなつもりでやったら、ただの悪意だ。

だから、ASDには悪意はない。

でも、善意もない。

善かれと思ってということもない。

あるとしたら、その「善かれ」はASD本人の快楽であり、全く相手の快楽には関係なかったりする。


なぜなら、相手の存在が見えてないから。

相手の意図も、心情も、その変化も、立場も、それらを踏まえた状況も、わからないのがASDだから。

わからないものは考えようがない。


だから、「何考えてんだよ!」とこちらが怒れば、両親揃って「何も考えていない」と答える。

定型の人には言うまでもないが、「何考えてんだよ!」は考えが足りないとか、その考えは間違っているという抗議であり、質問ではない。

だから、こんな答え方をするのもおかしいというか、定型には喧嘩を売っているようにしか思えないのだが、「何も考えていない」というのも本当のことなのだと思う。

それを正直に言うのもASDらしいが。


彼らには、相手の存在を踏まえながら行動する習慣はない。

もともと意識にないし、教えてもすぐ忘れるし、おまけに根本的なことは理解していない。

だから、表面を真似るだけ。


俺がほしいものはそんなものじゃない。

でも、彼らに期待しても不可能。




親不孝で結構。

親を殺すくらいなら、自分が死ぬくらいなら。


俺は逃げる。
離れなくてはいけないタイプのアスペルガー

どう頑張っても上手く行かず、その人と関わることでいつのまにかひどく疲弊し、それでも離れられなくなっている人がいるのではと思って、この記事を書いた。


その原因の一つに、相手がアスペルガーなどのASD(自閉症スペクトラム)であることがある。

ASDの特徴である他者への無関心や利己的な言動に、ノイローゼになることが多いからだ。

カサンドラ症候群というらしい。


この記事には思ったより反響があって嬉しい反面、注意点もある。

それは、ただ「自分と合わない」という人をアスペ認定、ASDとするのは間違いだということだ。




不快なことをされたのなら、それはきちんと伝えるべき。

表情や態度から汲み取ってほしいというのはわかるが、一度は直接面と向かって言わないと、ASDではなくてもわからないことはある。

単なる誤解や勘違いであることも多い。

自分の意図や感情を組んでくれないのは結構なストレスだし、悪口の一つも言いたくなるのもわかる。

だが、一度も向き合わずに相手をアスペ扱いするのは間違っていると思う。




そもそも、ちょっと仕事で関わりのある同僚や、たまに会う友人では、ASDかどうかなんてわからない。

未だに間違ったイメージを持っている人がいるが、ASDに学歴や職業などの肩書きは関係ないし、外では立派な人ということもよくある。

同居してみて初めて異変に気づく人がいるように、偶然や不注意では済まされない根本的な違いを感じて、やっとわかることも多い。

一方で、ASDっぽい変わり者はいくらでもいるし、ASDだとしても他害がなければいいわけで、変人ぶりが気に入らないからといって排除するのは差別だろう。

そんなに嫌なら自分が離れればいい。

ASDの対応に困っている人は、すぐには離れられないから悩んでいる。




子供がASDだからって捨てる訳にもいかないし、配偶者だって簡単に別れられない。

親がASDでも他に親はいないし、でも親の能力がないなら代わりを探さなければいけない。

仕事のパートナーで実害が出ているなら、まずは会社に報告すべきだし、大事な友人なら直接話し合わなければ始まらない。


人間関係でこじれたときにやるべきことはやって、それでも改善されないときに何か他の原因を考えるべきだと思う。


相手がASDの場合、何かがズレているモヤモヤとした違和感があったりする。

それでも、相手がASDだったら全て相手が悪いということもないし、ASDが原因の全てでもない。

知らなかったとはいえ、定型の接し方が間違っている時だってある。

それによってASDが二次障害を起こしている例も少なくない。




それでも、相手が何らかのASDだと思うのなら、ASDの特性を知って、もう一度関わり直す必要がある。

例えば、「どういうつもりなの?」などのオープンクエスチョンではなく、「何か意図があるの?偶然なの?」「忘れた?それとも理解できなかった?」などクローズドクエスチョンで聞くこと。

また、「言ってることは正しいが状況に合っていないからダメだ」とか、「こんなに迷惑かけてるのに、他人事のようなその態度や言葉遣いが不快だ」とか、具体的に説明すること。

イライラして「こんなこともわからないのか!」と言っても、本当にわからなかったりする上、大声にビックリして頭に入らなくなるので逆効果。

定型からすると、もう腹に据えかねているということも多いが、一度は冷静に一から順に話すこと。


すると、その人と関わる上での限界点が見えてくると思う。

こっちが本気で怒れば少しは変わるだろうぐらいに思っていた相手が、実はまだまだ遠い存在だったということがわかる。

逆に、ちょっと誤解していただけということもあるかもしれない。

何にしても、何らかの結果は得られる。


もし、これくらいの労も惜しむというなら、あなたにとってその人はその程度の存在だということ。

深みにはまらないうちに退散した方がよい。

自分は迷惑してるのにアスペルガーの愛着の対象になんてなったら、心療内科に直行かもしれないのだし。

自分の手に負えない人から逃げるのは、健全に生きる上で必要なスキルだ。

恥ずかしいことでも何でもない。




アスペルガーかもしれない夫と離婚するべきか

ここでも書いたように、中途半端に関わるのが一番良くない。


特に友人の場合。

とても迷惑してる、参ってる、何とかわかってほしい。

でも、それを直接言って相手を傷つけるのは嫌、嫌われて仕返しとかされるのも怖い。

という、自分からは何もせず、だけど自分の気持ちは察してほしいというのが、一番中途半端だ

あまりにも虫が良すぎないか。


相手のために言ってあげるという気も起きないし、今の関係が壊れる覚悟も出来ないなら、皆で陰で悪口でも言って満足していればいい。

それを、「障害者なら助けてあげなきゃ」なんて半端な正義感で向かうから火傷をする。

差別する人だと思われたくなくてする善行など、むしろ当事者には迷惑だろう。


人目を気にしたり、自分が嫌われるのを怖がるような人には、障害者を助けるのは難しいと思う。

なぜなら、当事者が差別される場面では他人のフリをして真っ先に逃げたくなるからだ。

盾になって守れとまでは言わないが、当事者と一緒に闘う気持ちさえないのなら、それはASDの友人をただ失望させるだけではないのか。

いや、庇ってくれたのか裏切られたのかわからないASDもいると思うが、だとすればなおのこと、そんなASDを利用する定型は最低の偽善者だろう。




直接指摘出来ないのに、LINEやTwitterなどのオンラインで言うなんてのは、間違いなくトラブルの元。

それじゃASDとか関係なく、今じゃ小学生から問題になってるイジメと同じだと思う。


オンラインで愚痴をこぼしながらも、家族と、同僚と、友人と、向き合っている人は沢山いる。

そんな人たちには俺もとても励まされるし、勝手に同士という気がしている。

また、お互い頑張ろう。