ちょっとしたメモとか書きかけの原稿はいっぱいあるのだが、もう一つまとまらないので、今日は思いつくまま呟きを……。




最近、母親と話すのがストレスだ。

何でもない日常の会話が、噛み合わない。

年のせいもあるのだろうが、得意の連想ゲームが発動するのか、微妙にずれてる。

これが会話の3回に1回ぐらいの割合で起きる。

ほぼ毎日だ。


認知症の人の話を否定するとかえってトラブルになるので、周りが話を合わせるのと同じで、俺ももう否定しないことにしている。

キリがないから。

かといって聞きもしない。

別に聞いてほしいと思ってなさそうだし。




自閉症スペクトラム(ASD)の会話は、基本的に一方通行。

相手から返してもらうことを期待してしゃべらないから、キャッチボールで例えるなら、こっちが返さなくても、いや、そもそもキャッチしなくても関係ない。

返してほしいなら返せるボールを投げればいいだけ。

お金を入れたら自動で投球しまくるピッチングマシンのようにしゃべられても、別に合わせる義理はない。

知らないうちに、お金に当たる何らかのスイッチを押してしまってることはあるみたいなので、こちらはとにかく押さないようように注意するのみ。

間違って押した場合はスルーが一番いい。

これが、まずは自分の精神を守るための最善の策。




もちろん、最初からそうだった訳ではない。

何度も説明して、何度も注意したものの、ちっとも治らないのでもうやめた。

それどころか、年のせいか、最近は悪化する一途だ。


それに、注意しながら思ったのが、やっぱりキャッチボールをしようとは思ってないということ。

俺の言う通り、話が噛み合ったら楽しいとは、母親は思っていないことがよくわかった。


だから、二つに一つしかない。

母親が、連想ゲームや割り込みなど一方的なおしゃべりをひたすら我慢するか、俺がそのおしゃべりを会話として成立させることを断念するか、そのどちらかだ。

両方が楽しいやりとりはない。

母親はキャッチボールは苦痛なのだと思う。

全てが、ではないが、相手の話を聞いたり、共感したりされたりするよりも、自分が今言いたいことを言う方が楽しいようだ。

それを止められる方が、共感より、相手の不快感より、苦痛みたい。


俺とは優先順位が違うし、俺が母親に求めていたほど母親は俺に共感を求めていない。

もちろん、俺が話を聞いてもらえなかったイライラやモヤモヤに、母親が心を痛めるなんてこともない。

そもそも、人の感情の変化に自分の言動が関係してると想像できないようなので。




「そんなつもりじゃない」と言われて終わりだ。

そんなつもりでやったら、ただの悪意だ。

だから、ASDには悪意はない。

でも、善意もない。

善かれと思ってということもない。

あるとしたら、その「善かれ」はASD本人の快楽であり、全く相手の快楽には関係なかったりする。


なぜなら、相手の存在が見えてないから。

相手の意図も、心情も、その変化も、立場も、それらを踏まえた状況も、わからないのがASDだから。

わからないものは考えようがない。


だから、「何考えてんだよ!」とこちらが怒れば、両親揃って「何も考えていない」と答える。

定型の人には言うまでもないが、「何考えてんだよ!」は考えが足りないとか、その考えは間違っているという抗議であり、質問ではない。

だから、こんな答え方をするのもおかしいというか、定型には喧嘩を売っているようにしか思えないのだが、「何も考えていない」というのも本当のことなのだと思う。

それを正直に言うのもASDらしいが。


彼らには、相手の存在を踏まえながら行動する習慣はない。

もともと意識にないし、教えてもすぐ忘れるし、おまけに根本的なことは理解していない。

だから、表面を真似るだけ。


俺がほしいものはそんなものじゃない。

でも、彼らに期待しても不可能。




親不孝で結構。

親を殺すくらいなら、自分が死ぬくらいなら。


俺は逃げる。