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以前、よく母方の祖父母の家で麻雀をしていた。

その頃、祖母と父親はしょっちゅういがみ合って空気を壊していた。


今思うと、祖母も発達障害っぽい。

俺のことは、虫けら程度にしか思っていないとわかったので、もう数年会っていない。

今後も会うつもりはないし、葬儀も出ないかもしれない。


そもそも、うちの親が祖母の死を知らせてくれる保証もないが…。




それでも、かつては楽しい思い出はあった。

祖母は、いわゆる天然で明るく面白い人ではあるので、機嫌のいいときは楽しい。

だが、だからといって「いいところもあるんだし……」というのは、もうない。

我慢の限界はとうに超えた。

もう許せないし許さない。

悪いとも思っていない人を許す道理はないだろう。




そもそも、この世にいいところのない人間なんているのか。

そりゃ偶然上手く行くこともあるさ、発達障害に悪意はないからね。

悪意というか、彼らの行動に意図は存在しない。

あるとしてもそれは自己都合だけ。


だから、行き当たりばったりの祖母の言動が、たまたま俺にも楽しいことはある。

でも、たまたまだ。

となると、たまたま気分悪くさせられることの方が遥かに多く、遥かに重い。

「いいところ」なんかでカバー出来るはずもない。

それに、詫びや埋め合わせの意図がない行為は、カバーとは言わないだろう。




経験から学習して改善することもないので、毎度同じことの繰り返しになる。

だから、俺は祖母と父親のやり取りにいつも神経を尖らせていた。


例えば、父親が「いやぁ、この電気暗いなぁ」と言う。

そこで、交換が間に合わなかったことを皆で再三説明するが、父親はそれでもしつこくグチグチ言い続けている。

それに対し、祖母は自分が責められているように感じてイライラし出す。

父親がうるさい、おかしいのではないかと俺に同意を求めてくる。

「気になったことただ口走ってるだけだから、ほっときな」と言っても、おかしいのは父親だから向こうが黙るべきだとなる。

そりゃそうだが、構うと助長するので無視するのがいい。

だが、俺には「お父さんは言ってもわからないからほっときなさい」なんて言いながら、祖母は無視できない。




父親は、蛍光灯を取り換えろという意味で口にしてるわけではない。

気になることをただ喋り続けてるだけ。

だから、なぜ暗いかや対処できない理由を説明されても、それで黙れる訳ではない。

そもそも意味はないから、納得するということがない。


仮にその場で蛍光灯を取り替えることになったとしても、もちろん手伝わないし。

それどころか、作業する場所にドッカと座ったまま退けようともしない。




ゆえに、一番いいのは無視。

父親は一人喋りが続くタイプではないので、相槌も打たずに放置すればよい。

そうすると、さすがに父親自身も手応えを感じないのでやめる。

無視されたことはわからないので、父親が傷つくこともない。

とにかく父親のツボを外せばいい。




そして、このやり取りを父親の目の前でやっているにも関わらず、当の父親は我関せず。

麻雀で誰かの手が止まったり、お茶がなかったりすると「おーい、早くしろー」と催促。

「お前のせいでもめてんだよ!」と言いたいが、父親は自分のせいどころか、自分のことが話題になっているとすら思っていないのだろう。

俺と祖母が話すようになった時点で、父親は部外者になったと感じてそうだ。

火種はコイツで、今この険悪な空気を作ってるのも父親以外の誰でもないのに、当事者意識はゼロだ。




そして、散々引っ掻き回しておきながら、祖母もいつの間にか忘れてる。

気が逸れて別のことに意識が行くと、気がつけば陽気になっている。

これを覚えていればいいのだが、無意識だし人の指摘を受けても学習しようとしないので、毎度同じことの繰り返しになる。


父親は、喋るなと言われてもやめない。

祖母は、無視しろと言われても父親に絡む。

そして、二人が作った険悪な空気を、二人とも全く処理しない。




俺からすると、あの時間は何だったんだろうかと思う。

祖母の愚痴を聞き、父親の気を逸らし、汚い言葉のやり取りに気分が悪くなった。

淀んだ空気を目一杯吸った。

それなのに、俺を空気清浄器にしたことに誰も気づいてもいない。




俺は、いつもこの空気の悪さに責任を感じていた。

いつも何とかしなければと思っていた。

それは、この空気を嫌がっていたのが俺だけだったからだろう。

祖母や父親はもちろん、母親も祖父も誰一人、空気自体を感じていなかったのかもしれない。

わかったところで誰も何もしないし。


経験から学習するとか、未然に防ぐということを知らない彼ら。

だから、いつおかしな空気になるかわからない。

おかげで、いつも覚悟していたように思う。

今日は楽しく麻雀出来るか、揉めないで済むか。

いつも賭けに臨む心境だった。




でも錯覚だったのだと思う。

祖母も父親も自分の言動に責任を負わず放置するので、その空気を感じすぎてしまう俺が、勝手に自責の念に駆られていたのだ。


空気が読めていたのではない。

正しく読めていたら、俺に責任はないから俺も放置すればいい。

ところが、俺は早く収めることにあたふたしていた。

そうして俺が責任を感じて動くから、ますます祖母や父親が何もしなくなったのだと思う。


また、この空気を嫌なものだと感じていたのも俺だけなので、そこに動揺するのも俺だけだったのだろう。




そもそも俺が清浄する必要はなかったのだ。

普通の家庭なら、俺の気持ちに気づいて誰かがフォローしてくれるのかもしれない。

でも、俺はそんな経験がほとんどないので、悪い空気を吸って具合が悪くなっていることに、自分でも気づかなかった。

どうなったら楽になるのかわからなくて、必死に場を収めていた。


とにかくこの状況を誰も変えてくれないので、だったら俺がこの場にいないようにするしかないと考えた。

逃げることに後ろめたさはあったが、もう限界だった。

それで、やっと離れることが出来た。

本当ならとっくに離れていて良かったはずだが、ストレスが限界に達して初めて、少しだけ逃げることを許せたのかもしれない。


もちろん、突然俺が祖母の家に行かなくなったことを、今でも誰も気にしていない。




俺は、自分が空気清浄器になっている意識がないまま、空気を吸い続けてしまった。

だから、ついにフィルターが詰まって動かなくなってしまったのだと思う。


俺は空気清浄器でも良かった。

それが役割なら、それで皆が快適に過ごせるなら。

だがそれには、皆で清浄器のメンテナンスをする必要がある。

稼働状況を気にしたり、掃除やフィルターの交換をしなければならない。


でも、誰一人いなかった。

彼らは、塵、埃、煙、悪臭、何でも無限に吸い込む魔法の装置だと思っている。

果ては生ゴミや粗大ごみ、騒音や障害物まで、自分に都合の悪いものは何でもブチ込めると思ってるのかもしれない。


ぶっ壊れても、勝手に故障したって言うくらいだから。




おかげで酷い傷みがあって、まだ掃除も交換も行き届いていないが、綺麗にすればまだまだ使えると思う。

だから今度は、メンテナンスして大事に使ってくれる家で活躍したい。
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よく「何でもっと早くに気づかなかったのか」と言う人がいる。

だが、そんなの無理に決まってる。

そんな簡単に発達障害を見抜けるなら、その方法とやらを教えてくれよ。




例えば、結婚してから旦那がアスペルガーだと気づいた妻は、なぜ、付き合っている間に気づくことは出来なかったのか。

答えは簡単だ。

「発達障害」というものを知らなかったからだ。


知らなければ、どんなにおかしくても発達障害を選択肢に入れて考えない。

知ってる人が周りにいなければ、発達障害の可能性を指摘する人だっていない。

知らないと、知的にも身体的にも問題はないのに、「人と関われない」障害があるなんて、思いもしない。

知識としての発達障害と実際の印象は、意外と一致しないとも思う。


「こんなに酷いならなぜ気づかなかったのか」と言ってる人は、当事者をどれくらい見たことがあるだろうか。

発達障害は、言葉にするととんでもなくおかしな人間の印象があるが、実際は見た目に顕著なことは少ないと思う。

赤の他人が見て数分でわかるなら、相当重症だ。

発達障害の人も、理解していなくても表面ぐらいは真似ることが出来るから、せいぜいちょっと変わった人ぐらいだ。

全くわからない、寧ろ紳士や淑女に見えることだってある。

少しくらいおかしな面に遭遇しても、発達障害を知らなければ、定型間であるような現象と擦り合わせてしまうだろう。




例えば、ある人が約束を忘れていたとしても、一度だけなら定型は偶々だと解釈するかもしれない。

それが二度三度続くと、この人はいい加減だとか忘れっぽい人という認識になる。

さらに大事な場面でも約束を守らないと、信用できない人間だと感じ、怒ったり強く注意するだろう。

それでもすっぽかしが続くと、いよいよ精神疾患などを疑うか、ダメ人間の烙印を押すことになる。


本人の努力が足りないと思ってるうちは、何らかの障害だと思うこともないだろう。

この人と数回接しただけでADHDを疑うことが出来るのは、発達障害を知っている人だけである。




寡黙で動じないように見える人が、実は何を喋ればいいかわかっていないだけだと見抜けるだろうか。

いつも冷静な人が、本当は危険な状態に気づいていないのだとわかるだろうか。

正論を熱く語る人が、自分の悪行に盲目的な口先だけの人間だと気づけるのはいつだろうか。




そもそも、「障害」について知らないと、全て見た目でわかるものだと思っていないだろうか。

だから、診断済の当事者が「自分はアスペルガーです」と言っても、「全然そんな風には見えないですね」なんて言ったりする。


「そんな風」とはどんな風だ?

障害と言うと、見た目に奇妙奇天烈なものだとでも思っているのだろうか。

これこそが、発達障害がどういうものかわかっていない何よりの証拠だ。

一目見て、いや長年接してきてもわからない障害など、いくらでもある。

発達障害は、接する人間に知識と経験がなければ、全くわからないこともある。




では、夫のアスペルガーに気づけなかった妻は、そんなに経験が少なく無知だったのかと言えば、そうではないだろう。

発達障害の存在が社会に浸透するようになったのは、せいぜいここ10年~15年ぐらいだろう。

既にアラフォーを超える当事者は幼少期に診断はつかなかったし、周囲にもそういう認識はない。

となれば、この世代の当事者と人間関係が上手く行かなくても、それを障害と結びつけることは困難だ。

一般的な常識や教養を備えていても、発達障害には気づかないことは少なくないだろう。

今でも、発達障害を努力や創意工夫で治るものだと考える人がいるくらいなのだから、情報のない時代にそれを見極め被害を避けるのは難しい。

それは確かだと思う。


だが、妻は何も出来なかったのかというと、それは違うと言いたい。

発達障害には気づけなかったかもしれないが、小さな違和感に向き合っていたら、結婚は防げたかもしれないからだ。




結婚式の準備で異変を感じている人も多い。

日取りや招待客ほか、それに伴う事務的なことなど、話し合うことは多い。

だが、そもそも話し合いにならないとか。

プランナーの人に相談する時間にも遅れてきたり。

他人事という態度で、妻が指示しないと何もしなかったり。

式当日でさえ時間を守らなかったり、親戚に挨拶もしないとか。


特に、それらがなぜいけないのかわかっていなかったり、だから謝ることもしないとしたら、かなり発達障害の可能性が高い。




マニュアルがなかったり、指示されないないこと、話し合って自由に決められる類のことは、発達障害はほとんど出来ない。

だから、仕事が出来ても日常の雑事はてんでダメだったりする。


おかしいと思ったら引き返す、立ち止まる、有耶無耶にせず向き合うということが出来れば、発達障害を確信できなくても、相手の異常に気づくことは出来たはずだ。




もう結婚してしまった人、子どもが出来てしまった人に、そうすべきではなかったと言うつもりはない。

そんなことをしたところで何も解決しない。

もうしてしまった人は、それに対処してこれから自分が幸せになるだけだ。


俺も発達障害の親の元に生まれてしまったことは、もう変えられない。

だから、生まれてこなければ良かったと思ったことは、一度もない。


だが、これから子どもを作ろうとしている人は、それをやめることが出来る。

同じ不幸を繰り返さないで欲しい。




発達障害は治らない。

発達障害は遺伝する。

例え子が定型で生まれて来たとしても、因子は持つから子孫はずっと遺伝に怯える。

自覚のない発達障害は、親や配偶者という大人の役割は果たせない。

自覚のない発達障害の親は、その能力ゆえに必ず虐待する。


これらのことを重く受け止めて欲しい。




それでも発達障害を配偶者にするかどうかは、個人の自由だろう。

だが、親になれない人間が子どもを作るべきではない。

どれだけ地獄か、経験者から学んで欲しい。


俺は、発達障害と付き合う人が同じ過ちを繰り返し、同じ悲劇を生まないことを願うだけだ。
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ここ数日、イライラしてちょっと無気力で、何を食べても美味くない。

定期的にあるので、またかという感じなのだが、そういう変化にはうちの人間は全く気づかない。


食事を母親に任せておくと、品数もマチマチで、何時になるかもわからないので、ここ数年、夕飯は俺がメインで作っている。

手分けして作っているのが半分、俺が指示を出して母親に手伝ってもらっているのが半分くらい。

母親は新しいことは出来ないし、俺の意図を理解して手伝う要領もない。

おまけに、夕飯時間を逆算して動かないしとにかく作業が遅いので、それでなくてもイライラする。




正直、この時期は面倒な料理は作りたくない。

好きな食べ物でもイマイチ美味くないのに、大して食べたくもないものは御免こうむりたい。


そんなところに、母親が安かったと言って鮭のアラを買ってきた。

確かに安いが、これを全部あら汁にしたら、一体何人分になるんだという量。

嫌いじゃないが、食べすぎて飽きている。

母親は、その量が家族3人には明らかに多いという判断が出来ていない。

それに、教えてもたかだか塩麹ひとつ振れないから、下処理は俺がすることになる。

ちょっと嫌気が差していた。




そこに、インターホンが鳴った。

「夕飯時に誰だよ」と思い、母親には「出ないで」と言った。

ところが、やってきたのは弟で、スペアキーで入ってきた。

すると母親は、台所から離れ弟と話し出した。

弟と話をしながら他のことは出来ないので、お湯が沸いてもお構い無し。

急いで夕飯準備をしている最中なのに、その事を弟には言わない。


弟が帰った後、急用ではないなら、また次にするなり電話でもしろと言ったが、母親は押し黙るばかり。

こういう時の母親は、必ずと言っていいほどすごい暗い顔をして頷きもしない。

それがますます感じが悪くて、腹立たしい。




何で自分の息子なのに、「ちょっと今忙しいから」という一言が言えないんだか。

「今から寄るね」と電話もしない弟も問題なのだが、それは親の躾がなってないからだろ。


以前は、インターホンも鳴らさず、誰もいなかった時には勝手に菓子パンを食って帰っていった。

夕飯時に来たときには、親から無理矢理おかずを分けてもらって食って行ったり。

子どももいて奥さんが飯作って待ってるのに、そりゃないだろよ。


邪魔なんだよ!




弟が少しマシになったのは、俺が注意したからだ。

親は何も言えていない。

突然来た弟に、何でこっちが振り回されなきゃいけないんだか。

都合を知らせない親の元に育つと、子どもも同じように知らせなくなるのだろう。

弟は、親の都合など取るに足りないものだと舐めてかかってるし、夕飯準備の時間は忙しいということさえ、未だに理解していない。

弟はASDではない。

親が教えないから覚えないだけだ。




こういう時、こちらの状況を説明しないために、相手がそんなつもりはないがかき回してしまってることも、うちの親はわからない。

偶々だと思ってるのだろうか。

そんなわけがない。

お前らが言わないからだ。




うちの親は、二つのことを同時にこなせない、優先順位がわからない、断れない。

だから、あちら立てればこちら立たずをいつまでたっても、理解できない。

俺の犠牲は見えていないのだろう。


母親に料理を全部任せていたときは、電話が来て夕飯が遅くなることもあった。

「取り込み中だから後で掛け直す」が、親しい友人でも言えないからだ。

掛け直す方がお互いに良いことを教えても、とにかく出来ないし、どうしようもなかったと言い訳する。




以前、突然の来客で台所が使えなくなり、昼飯が食えなくなったことがある。

その際母親は、まるで防ぎようがなかったかのように「ごめんね」と言っていたが、これは防げたことである。

客間があるのに居間で対応することにしたのは、うちの親だ。

客のせいじゃない。

俺が昼飯を食ってないことを知りながら様子も見に来ないで、何がごめんなのかわからない。

結局、我慢させているではないか。

謝ればどんな扱いも許されると思ってやがる。




さらに、話の流れで聞いたことが、また感じの悪いものだった。

灯油を入れてもらうよう頼んだらしいのだが、俺は全く聞いていなかった。

母親は、俺が使ってるポリタンクも外に準備されていると思っていたらしく、父親は勝手に満タンだから出ていないと思っていた。

確かに夏場は物置に置いておいたが、自室に運んでもう2週間以上になる。

母親はその間確認していないし、父親は根拠のない思い込み。

それだって、実際に灯油が入れられた後に俺のポリタンクがないことを見れば、勘違いには気づけるはずだ。

第一、俺の20Lのタンクは、父親は物置にも運べないはずだ。


定期購入の日時を忘れていたならまだわかるが、わざわざ頼んだと言うから呆れる。

ただのバカなんだろうが、嫌がらせにしか思えない。


というか、俺だけ知らされていないことが多すぎて呆れる。

常にのけ者扱いで、寂しいのを通り越して虚しい俺の気持ちなど、わかるはずもないのだろう。

これで何が家族なのか。




俺専用のポリタンクを買って、わざわざ2階の自室に持ち込むようにしたのも、父親が俺の分を考えてシェアしないからだ。

父親は二つの部屋を行き来して、両方でストーブをつけたまま。

灯油が無限にあるかのように使いまくり。

おかげで俺の部屋の分はなくなり、真冬の朝、寒いのを我慢したことは一度や二度ではない。

気づいても何をしてくれるわけでもない。

注意しても節約出来る脳みそは備わってないので、こちらが共有しないことで防ぐしかないのだ。


俺は、「こんな面倒くさいことになっているのは、元はと言えば父親のせいだ」と憤ったが、それに対する反応はさすがと言うべきものだった。




母親は、「それはいいことだ」と俺の工夫に感心した。


氏ねと言いたい。

かつて「あんたが勝手にやったんでしょ」を連発していた脳みそは、やっぱり治らないのだと思った。


父親は、アホ面さげてわかりもしないのに頷いていた。




二人とも、自分のせいで我が子に面倒をかけても、全く心が痛まないのだと改めて認識した。

そもそも、面倒をかけているとも思っていない。

「お前のせいで、こんなことまでしなきゃいけなくなってるぞ」ぐらい言ってもわからないのだから、黙って対処すれば奴隷になるのがよくわかった。


わからないから仕方ないということはない。

面倒がわからなくても、気づけなかった事を不安に思ったり申し訳なく思ったりするものだ。

だがその面倒以上に、それに伴う心理を想像することが重要なのだと思う。

これが出来ないところが、まさしく人デ無シだ。