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すみません。
今日はちょっと暗いので、ストレスを抱えていたり精神的にしんどい状態の人は、気持ちが安定してる時に読んでください。


ここ数週間ほどちょっとしんどいです。

というのは、まずちょっといいことがあったんです。
こんなチビこいオッさんにも、いつも元気に明るく接してくれる人がいて、久しぶりに少し頑張ってみようかなと思えたんです。

ここ数年、とりあえず生きてきたものの、死ねないから生きてるようなもので、この先どうなりたいとか考えたことはありませんでした。
それを考えると辛くなるだけなので。

取り敢えず早起きと規則正しい生活、それからなるべく太らないように気をつけてきました。
堕落するとどんどん自分のことが嫌いになって死にたくなるからです。
なので、これ以上死へと向かわないように自分を食い止めてる感じでした。

それが、少し生きたいと思うようになりました。
死なないようにという後ろ向きな理由から、生きたいという前向きな動機に変わってきました。
もう少し生きてたいなと、まだ少しですがそう感じることがあります。

ここでコメントを頂けることもその1つです。
皆さん、本当に温かいです。


変な話、おかげでちょっと辛いんです。
生きたい欲は出てきたものの、頑張れる自信はありません。
前に進みたいけども進めず、変わりたいけど変われず。
それで空回りしてる感じです。
気力、体力も中々ついていかず、少し慣れないことをやるとすぐ疲れてしまいます。

だから、今度こそ頑張りたいと思う一方、やっぱり無理だと死にたくなってしまう。
いや、実際は絶対死ねないですけどね。



一方で、家の中は悪化しています。

母親が毎日のように認知症の父親に乱暴に当たっています。
もはや虐待と言っていいでしょう。

愚痴や怒鳴り声はもちろん、物音も響いてきます。
殴る蹴るが日常茶飯事です。
2階の自室にこもっていても、1階から穏やかではない声、音が聞こえてきます。

仕方なく、イヤホンで曲を聴いて音を遮断しています。
親が喧嘩ばかりしている家庭の子供も、こんな感じなのだろうかと思う日々です。


悪循環ですよね。
もう本当に、こんな家は出た方がいいわけです。
家にいるからストレスも多くなり、ますますマイナス思考になってしまいます。
それで行動意欲が削がれて、別居に向けて一歩を踏み出す気力さえ奪われています。


母親の怒りもわからなくはないです。
父親は歩くのはヨロヨロ。
食事はむせるし、トイレも介助が必要。
パジャマや布団を汚してしまうことも度々。

母親が何を言ってももう理解できる力は残っていないので、言われた通りにはほとんど行動しません。
監視しながら上手く誘導するしかないと思います。

でも母親は、歩くくらい、食べるくらい自分でやるべきだと思っているのです。
だから、怒りがこみ上げて来るのでしょう。
「絶対言われた通りにしないよね」と嫌みを言いながら、ふらつく父親が転ぶのを蔑んで見ています。

僕はもう諦めがついているのですが、発達障害の母親にはそれは無理なんでしょうね。
父親の状態も認識出来ないし、わかったところで対応できないでしょう。
自分でやるべき、出来るはずという考えから抜け出せないので。
母親も僕の助言は聞かないので自業自得です。


ただ、お願いだから静かにして下さい。
毎夜毎朝、ガタガタとした物音で目を覚ますのはもう勘弁です。



ネット上ですが、丁度嫌なものを見てしまったんです。

「LGBTとか詳しいことはわからないけど、私は偏見を持たないようにします」というものでした。
一見すると、温かく理解してくれてるようなコメントです。

でも、これは知ることを拒否していると思うんです。

こうなると、何も言えないです。
知ってほしいことがあるのに、それさえ拒否されて一体どうしたらいいんでしょう。
どうして同性愛と性同一性障害の違いくらいで、どっちでもいいとなるのか。

本当に偏見を持たないつもりならば、面倒がらずに知って下さい。
「これ以上の知識は持ちません。自分の考えも変えません。でも、偏見を持たずに接します」
それは無理です。
そんなことが出来るという発言は、偽善者以外の何者でもないです。

だけど、本人は偽善者だとは思ってないでしょう。
まだこんな人が沢山いるのかもと思ったら、すごく苦しくなったんですよね。


ちゃんと僕の話を聞いてくれて、一生懸命理解しようとしてくれる人もいるのに、どうしても僕自身が無理解な人に引っ張られてしまうんでしょうね。
そんな人ばかりを気にしてしまいます。

もっと理解してくれる人のことを気にかけて、そういう人を信じられればいいのですが。
怖くて信じきれないです。
そのくせ少し希望を持ったら、期待し過ぎてまた凹んでしまったり。


一歩前に進もうと思ったら、自分の弱さがいっぱい見えてきて情けなくなってます。
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【音声配信】「当事者が痛いと言っているから、足を踏むな~”保毛尾田保毛男”問題に荻上チキがコメント」
▼2017年9月29日(金)放送分(TBSラジオ「Session-22」)

周りから保毛尾田保毛男と呼ばれた子ども
ーそれでいいっしょー

保毛尾田保毛男は新キャラにリニューアルされるべきだった
ーはてこはときどき外に出るー


このニュースを聞いた時、過去の映像を流すものだとばかり思っていた。
まさか、改めて保毛尾田保毛男をやるとは……。

それでも、本物のゲイを皆が知っている世の中なら、まだ良かったかもと思っていた。
あんなキャラは実在しないとわかるから。

ただそれも、既に大人だったらの話なんだと、上記リンクの方々のコメントを見て感じた。
LGBTどころかまだ自分の性も確立出来ていない子どもにとって、この刷り込みは強烈だからだ。


当時、近所に住んでいた年下の親友も保毛尾田保毛男のマネをしていた。
僕は、傍から見ればオトコオンナと揶揄される変な女の子だったわけだが、彼はそんな僕にも偏見なく接してくれた優しい男の子だ。
今、僕のセクシュアリティについて話したとしても、自然に受け入れてくれる気がする。

そんな彼をも毒してしまうほど、テレビの影響は強かった。
もちろん、10歳かそこらの彼に同性愛についての知識などない。
ただ面白くて真似ていただけで、実際の同性愛者を嫌悪する気持ちもなかったはずだ。

しかし、だからこそ問題だったのだと思う。
同性愛者との最初の出会いが、保毛尾田保毛男なのだ。
何も知らない子供に、気持ち悪いものだと植え付けてしまう。
嘲笑される存在、堂々とバカにしていい存在としてインプットされてしまう。
これは、仮に大人になってから正しいセクシュアル知識を得ることがあるとしても、かなり大きな影響を及ぼすと思う。


実際、セクシュアルネタになると「気持ち悪いと思うことがどうして差別なのか」という意見が、必ず出てくる。
「思ったことを言ったまで」だと。
「人の感じ方にまで文句をつけるな」と。

最初にLGBTについて正しく学び、無理解が当事者を傷つけることを知っていれば、ここまで傍若無人な発想にはならないのではないだろうか。

思う事は自由だ。
たが、その思いをぶつけて人を傷つける自由はない。

同性に告白されたら相手の人間性まで丸ごと否定するくせに、自分が好きになった異性が同性愛者の可能性は考えない。
異性愛者の恋愛感情が同性愛者を深く傷つけていることには、気づこうとさえしない。

上記リンクのsession22で、荻上チキ氏は「人の足を踏まなければいけないのなら、外を歩くな」とはっきり言ってくれた。
同性愛者を踏み台にしてまで得られる自由など、そもそも有りはしないのだ。



中には「保毛尾田保毛男が、存在しないと思われていた人達を知るきっかけになっている」と言う人がいたが、
そうはならなかった人が山ほどいるから、今も保毛尾田保毛男を容認しようとしているのではないだろうか。

「保毛尾田保毛男」批判を考察する
片岡 英彦

昨今のオネエタレントだけでも迷惑してるというのに、何をかいわんや。

⇒参考
オネエを受け入れて生きるタレントと、雑多な括りに乗らない著名人

「オネエの人とか一杯テレビに出てて、理解が進んでるよね」なんて言われた日には、愕然とした。
無理解だから、ちゃんと当事者の感覚を反映しないで雑多に全部オネエにしてるんだよ?

例えば、マツコは男性(女装家)だけどはるな愛は女性(MTF)。
はるな愛のように、オッサンと言われて笑ってやり過ごせるMTFばかりじゃないことは、一般の女性が自身の容姿を笑いのネタに出来る人ばかりではないことからも想像に難くない。
なのにそれをしないのは「しなくてよい」「する必要がない」というメッセージを、どこかで受け取っているからではないだろうか。

バラエティのおかげで、セクシュアリティはネタにしていじっていいものだと思われた。
当事者は、ネタにして明るくカムアウトすべきだと言われた。
これがどれだけ迷惑か。

タレントは自らネタにすることを決めてテレビに出ている。
素人にそんな気概はないし、そんな気概を持つ必要もないと思うし、ネタにするのがLGBTでも何でもない。


片岡氏が示したフローチャートは、ほとんどの人には当てはまらないと思う。
少なくとも当時は。
保毛尾田保毛男を見てセクシュアリティを正しく理解しようとする人よりも、笑い捨てて終わるのが当然という人を増やしただけだ。
だから、
「懐かしんで何が悪い」「昔のキャラだし」「あくまで噂」「過剰反応」
という逆批判がここまで多く出ているのだろう。



ニュース記事のコメントでは逆批判の方が多く、やっぱりかという気持ちになった。
しかし、それに対して理路整然と反論してくれる人がいることに、本当に嬉しくなった。
子供の時にこのフォローが受けられたら、どれだけ心強かったことか。

今度は僕が、フォローできる大人になりたいと思う。
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〈前記事〉
発達障害に対する印象の違い 面白い、迷惑、殺したい、仕方ない

前回の更新の後、皆さん、随分と僕の心配をしてくれていたようで、本当にありがとうございます。
僕は大丈夫です。

一応、カサンドラ症候群の人や発達障害に手を焼いている人向けに書いているのですが、そういった読者の人達がちょっと心配だったのです。

時折、発達障害の当事者や支援者の方からもコメントをもらいます。
余程、見当違いでなければ、なるべく承認するようにしています。
きつい意見だとしても、一理あることも多いからです。

ただし、読者の方に向けてちょっとフォローが必要かなと思ったんです。
これまで傷ついたり自分を責めたりして疲れている人が、例えば、支援者側の正論に触れると、非常にしんどいと思います。
ここに来てまで責められる必要はないと思うので、どう受け止めたら良いのかを書かせてもらいました。

前回、引用させていただいた支援者の方が言う「多様性を認める」というのも、とても大切なことです。
なので、この方の意見も間違っていないということも付け加えておきます。

それでも、自分のことを受け止めてもらえない段階では、人のことなんか認められないです。

発達障害の自覚のない人は、定型の気持ちを受け止めたりしません。
悪気はないけれど、定型の気持ちをどんどん削って行きます。
だから、まずはこれ以上削られないように離れる。
そして、削られた部分を回復することが先決なんだと思います。




【発達障害者と定型の関わりの変遷】

1、出会い
2、違和感噴出
3、行き詰まり
4、障害発覚
5、障害受容
6、相互協力 or 相互分離
7、障害理解


前回、こんなふうに段階を示してみたものの、これは何気なく人が出会って、後に発達障害だと発覚する場合です。
本人も発達障害だとは知らないから、関わる人がカサンドラになることがあります。
例えば、支援者と家族(関わりの深い周辺者)では、だいたい以下が違うのではないかと思います。


1、立場
☆支援者
見返りを求めず一方的に支援する
大変でも自らこの役割を選んでいる
★家族
お互いに協力し合って助け合う
障害に対応出来なくても、否応なしに巻き込まれる

2、出会い
☆支援者
以前から発達障害に対する知識もあるし、相手が発達障害だということも知っている
★家族
発達障害に対しての知識や実体験が乏しく、かつ相手が障害者であることやこの障害への対応も知らない

3、障害発覚時
☆支援者
最初から支援者も発達障害者本人も障害を把握しているので、そのショックなどはない
★家族
大事なことを知らされなかったことで戸惑い、騙されたとか裏切られたという気持ちになることもある

4、問題発生時
☆支援者
問題が起きたとしても、発達障害の特性を含めて対処を考えられる
★家族
間違った対処でさらに解決から遠ざかり、正しい対応を知った時には、今までの努力が無駄に思えてどっと疲れる

5、行き詰まり
☆支援者
自分が支援に向いていないとか、割に合わない仕事だと思えば辞められる
★家族
信じて支え続けることが理想とされ、離れることは逃げてるとか我慢が足りないと非難されることもある



家族にとっては、寝耳に水なんです。
障害だということも、それゆえの特性についても。

家族というのは、コミュニケーションを取ることで心にエネルギーを貯め合える存在です。
ところが、発達障害の人と関わると、そのエネルギーが消費されるばかりで貯蓄はされません。
そんな人がいるとは、この障害を知らないと中々想像がつきません。

しかも、発達障害だとわかって一歩前進かというと、実はかえってショッキングな事もあります。
当然分かり合えていたと思っていたことが、実は違ったということがあるからです。

例えば、僕ら家族が辛い思いをしている時に、発達障害の人からは何のアクションもありませんでした。
それでも、その当時は「不器用な人だし、敢えてそっとしといてくれたのかな」と、寂しいながらも受け止めました。
それが実は、そもそも僕らの気持ちになど関心はなく、何かアクションを起こす気など更々なかったということがわかるのです。