書きたいことがいっぱい溜まってるのだが、中々まとまらない。

うちの状況が最悪。
一刻も早く家を出たいが、どこに相談に行ったらいいのか。
というか、外に出るとか、何をどうするとか、考える気力も無くなってきている。
もう限界だ。
さすがにヤバいと思う。


母親が毎日叫んでいる。
動けない父親に、自力で動けと。
「そんなんでどうするの!?」「倒れるよ!」「それくらい自分でして」

老化スピードや認知症の進行が早いのか、元が発達障害だということが影響しているのか、父親はものすごい勢いで衰えて行ってるように思う。
俺自身、今は自分の記事を読み返す気力もないのだが、少なくとも1年前は、父親は自力で歩いていたよな?
今は寝たきり寸前だ。
全ての行動が超スローモーション。
放っておいたら何もしない。

食べる意欲だけはすごくて、食べ物に手が出るのだけは早い。
だが、足は1歩も出ない。
立ったり座ったりも、1人では出来ない。
言葉ははオウム返しとイエスノーだけ。

何より気力がない。
面倒くさがってやらないという態度に拍車がかかっている。
ボケるとこんなものなのだろうか。
元々の性質が強化されてより顕著になっている感じがする。


父親は、もともと義務や責任では動かない人。
本能的欲求と衝動のままに生きた人だ。
それに対し母親は、規範意識が強く、理想を語り正論を振りかざすタイプ。
それまでは父親は無理やり従っていたのだろうが、もうその気力も体力もない。
まるで、ボケて何もわからなくなることで母親に抵抗しているかのよう。

それなのに、どこまでいっても理屈だけでやるべきだと追い詰める母親。
歯磨きするのでさえふらつくのだが、それは単純に足腰の力の問題でもある。
立っていられないのなら椅子を用意すればいい。
それだけなのに、歯磨きぐらい立ってできなくてどうするというところで思考停止している母親は、それ以上の工夫はしない。

父親はもはや母親の言葉を聞き取ることもできていないが、母親もまた俺の助言を一切聞き入れない。
うちは2階が居間なのだが、立っていることさえギリギリの父親を何が何でも2階に上げる。

祖母と同居のためにニ世帯住宅。
1階にも台所やトイレなど全て揃っている。
なぜすべて1階で済まそうとしないのか。
いや、それ以前にこんなになる前に、1階で生活するようにしておけばよかったのだ。
以前から母親自身がそう言っていたのだから。
だが、絶対に実行しないのがこの人だ。
昔から理屈だけは一人前。実行力は0。

人には正論を押し付け理想を語るが、自分はそのために努力したりはしない。
せめてもう少し朝型の生活にして欲しいものだ。
母親が就寝するのは毎日朝4時から5時。
下手をすると、6時に起きる俺と入れ違いになることさえある。
電気や暖房のムダはもう勝手にしたらいいと思うが、朝5時に父親に向かって泣き叫ぶのはやめてほしい。
オムツをいじるおかげで布団が汚れて、父親をしかりつけているようだが、何を言っても父親はもう何も分からない。
無駄なことはせず淡々と片付けるなり、改善策をケアマネージャーに相談するなりすればいいのだ。


母親もこれまでのツケが回ってきた感じだ。
発達障害は逆算して考えるのは難しいらしい。
だから、父親は自力で頑張るべきだと理想を押し付けることはできても、それができないなら母親の対応を変えればいいという発想にはならない。
怒って結果が出ないのなら、怒ることは間違いだとはならない。
AをしたからBになるは理解できても、BになったのはAをしたからだと考えるのが難しい。
これが何段階にもなったり選択肢ができたりすると、もうゴチャゴチャしてわからないのだと思う。

わからないなら分かる奴の言うこと黙って聞けよ。

さらに、母親は人には偉そうに命令するが、自分がやって見せたりはしない。
自分がしなくていいのなら、人には何とでも言える。


母親からすれば、自分のことも自分でしない父親が悪いとなるのだろうが、人は誰でも衰えていく。
毎日父親の介護に追われている母親の姿は確かに可哀想なのだが、自業自得の感が否めない。
母親は、俺が子供の時もそうだった。
幼いゆえの未熟さや、その子の考えなど無視して、自分が覚えた正論をただ叫ぶだけだった。
そんなことで人は動かない。

朝の5時に父親を怒鳴りつけ、俺に何の迷惑もかかっていないとでも思っているのだろうか。
畜生、何とかして家を出たい。

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愛されたいのに、人を愛する能力のない人といるとどんどん心が削られていく。

それは、愛情不足とは違う。
不足というのは、真の愛情が足りていないことである。
偽物の愛がいくらあっても真の愛情になることはない。
だから、偽物の愛を真の愛情と思っていると、ズタボロになる。

愛する能力のない人なのに、愛してもらえると思って接するから深く傷ついてしまう。
どんな人も愛する能力があると信じていると、どんなところにも愛があると信じて追い続ける。

そこに愛がないと知っていれば愛されることを期待しないし、愛されたければ愛する能力のある人と関わろうとする。
きっと、愛されて育った人は真の愛情を知っているし、愛する能力のある人も見極められるのだろう。

ところが、真の愛を知らないと愛のないところに無理に愛を求めてしまう。
あるはずだという幻想を持っているから深追いしてしまうし、どんなに傷ついてもここに愛はないと諦めることができない。
この場を離れればいくらでも愛されるのに、ここ以外に愛される場所はないと錯覚している。



さて、本題だが……

嫌われる発達障害の人というのは、一言で言うと人を愛する能力のない人だ。

「俺だって辛いんだ」とか「努力してる」とか、「わからないから仕方ない」と言い放つ発達障害の人は、結局は自分のことばかり。

定型のTが「あなたのここは迷惑だ」「こういうところは直して欲しい」「あなたのこの態度に傷ついている」という話をしているのに、アスペルガーのAが「自分だって…、自分の方こそ…」という言い方をするのは、Tの言い分を一切聞き入れていない。

Tが傷ついたという話をしているのである。
TがAに迷惑をかけられたという視点で話しているのである。
Aの視点ではない。
Aの言い分は聞いていない。


自分がって何やねん。
お前の話なんかしてないわ。


Aは自分のことしか頭にない。
自分だけを愛しているという態度である。

もし、Aに人を愛する能力があるのならば、自分の辛さや努力だけではなく、相手の立場や気持ちに考えが及ぶはずである。
それは理屈で知るのではなく、相手の思いも感じてしまう、つい想像して自分も胸が痛くなるという感覚だ。

自分に言い分があるのなら、当然、相手にもあると考える。
少なくとも、指摘されればそこに気づく。
愛する能力のないタイプのAにはこれが見られない。

Tに文句を言われたり、泣いて訴えられたりしたその時には、Aも自分のことでいっぱいかもしれない。
しかし、AにTを愛する気持ちがあるのならば、後にTの立場に思いを馳せることがあるはずだ。
そして、人を愛する能力のある人ならば、決して小さくはないショックを受けるはず。

AにはTを傷つける意志などなかったのに、Tを深く傷つけていたのだ。
そんなことも知らずに今まで一緒に過ごしていた。
それなのに、傷ついているTに今のままでは何もしてやれない。

これがどれだけ辛く悲しいことか。
重大な事実を知らなかったことに加え、知ってもなお自分の能力ゆえにまだ傷つけ続けてしまうという現実。

相手を思いやることができる人なら、卒倒しそうなショックである。

それがそうはならずに平気であるということが、Aが愛する能力はないということの何よりの証拠である。



同じ発達障害でも、ここでTを傷つけていたことに気づくことができる人(H)もいる。
こういう人は、徹底的に嫌われたりはしない。
寧ろ、気づいたものの中々修正できないことに鬱になってしまったりする。

気づくタイプのHは、他人から見た自分の言動を知ってショックを受ける。
気づいたところで、思うように行動できず落ち込む。
その時はすごく落ち込むのに、大事なことをすぐに忘れてまた同じ失敗をする。
わかっているのに出来ないもどかしさ、ジレンマを覚える。

発達障害の人はその特性ゆえに同じ失敗を繰り返す。
わかっても出来ないのだ。
だから、周囲は長い目で見て協力し合うことが不可欠。
言われてすぐ気づく、すぐに直せるという特性ならば障害とは呼ばない。

当事者の努力だけで素早い解決を期待するような人は、今すぐ発達障害者のそばから離れるべきである。
それこそ、発達障害者には迷惑な定型なのだから。



気づくことができる人、そこで自分の言動を変えたいと思うことができる人は、人を愛する能力のある人だと思う。
人を愛する能力のないAは、Tのどんな現実にもショックを受けない。
そもそも話を聞かない場合もあるし、事実を認識してもTの気持ちなどの状況は把握しない。
愛する能力のある人なら自分の無能さを呪うような状況なのに。


例えば、幼い時に友人や家族を助けられなかったとする。
自分には何の責任もないし、誰もが未熟さゆえに仕方なかったと思っている。
しかし、思い返さずにはいられない。
これが愛のある人だ。
この愛を正しく表現しようとする人は、今度は自分が力をつけて友人や家族を助けようとする。
もしくは、過去の自分のような辛い思いをする子供が少しでも減るように、尽力する。


宇多田ヒカルの『Adicted To  You』の歌詞にあるような心境も、多くの人が経験しているかもしれない。

今、おとなになりたくて
いきなりなれなくて

この曲は恋愛に関するもので、毎日でも会いたいという子供みたいな感情に対し、大人になりたいと歌っている。
だが、直面した現実と今の自分の間に、様々なギャップや葛藤があるというのは多くのことに当てはまると思う。
気持ちの上では今すぐ大人になりたいのだ。
相手の事情を考えられる大人に。
いきなりなれないと知っているのに、もしくはなれないことに気づいたのに、どうにか出来ないかと焦ってしまう。

うちの親に、この種の葛藤が見られたことはなかった。
我が子がどんなに苦しんでいると知っても「出来ないものは出来ない」で終了だ。
「どうにかしたい」という意志も「どうにもできない」という無念さも、何も伝わって来なかった。


友人の発達障害の中には、反省もしているし迷惑をかけないよう行動しているのに繰り返してしまうことに、歯がゆさや葛藤を覚える人もいた。

だが、被害者意識しかない知人もいた。
もう10年も前だが、ある女は、俺が「もうそんなにメールはできない。彼氏でもないんだし…」という内容のメールをしたら、ブチ切れてそれきりになった。

女の言い分はこうだ。
「私は前に、怒られたりキツい言葉を聞くのが嫌いだと言った。
あなたの言い方はものすごくキツい言い方だった。
嫌だと言ったのにそれをしてきた。
もうあなたとは付き合えない」

今、思い返しても、この女は本当におかしいと思う。
まず、キツい言い方というが、俺がこの女と会ったのはたったの2回だけである。
文面だけで口調がわかるはずもない。
勝手な決め付けにもほどがある。

それから、この3カ月間、この女は朝から晩まで俺にずっとメールし続けてきている。
朝一のおはように始まり、昼休み、帰宅後、夕食後、時にはそのまま寝落ちで、翌朝に続くという状態だった。
しかもかなりの長文、内容も相当ヘビーなものが含まれた。
一日がこの女のメールと共に流れていくという状況に嫌気がさして、冒頭の「彼氏でもないんだし…」に繋がる。

この直前、俺は携帯を紛失してこの女とも1週間ほどメールできなかった。
女の「こんなに色々話せた人はいない。心配していた」という台詞は、好き放題言える便利な奴を失いたくないというだけだったのだろう。
最後は本当に、俺のことは微塵も大切に思っていないのだということがよくわかった。


愛情のない人というのは迷いがない。
自分が正しい世界にどっぷりと浸かっているので、不安になることがないようだ。
愛を感じられる人は、自分の愛情が伝わっているか、相手は自分のことをどう思っているか、少しは不安になるものである。
そのことに怯えるのは行き過ぎだが、相手の反応を見たり時折確認したりするという作業は必須だ。
それが相手を気遣うということであり、コミュニケーションというものだと思う。

コミュニケーションしない発達障害というのは、この作業を一切しない。
必要ないというか、必要な世界を知らないのだ。
このタイプの発達障害の人にとって、他人は自分を主人公とする物語の登場人物でしかない。
他人には他人の物語があると思っていないので、そんな人に何かを伝えるとか確認するなどあり得ない。
決まった動きをするものだと、勝手に思い込んでいることが多い。
だから、先の女のように俺が思うような行動を取らないと、平気でブチ切れる。
自分が正しいというより、自分の思惑通りの世界しか存在しないと思っているのだから、当然かもしれない。


書き出してみたものの、胸糞悪くなってきた。
もう二度とこんな奴と関わりたくない。

しょうもない女に出くわしたことは事実だが、女運がないとかただ被害者だと思っていては何も変わらない。
何かがおかしいと思いながら、俺はこの女との関わりを3カ月も続けてしまった。
何の愛もない関係を、いつか愛してほしいと思いながら。

自分が変わらないと、こういう女に利用される人生から抜け出せない。
もう変わりたい。

俺は真の愛情も、真の愛情を持っている人も、知らないわけではない。
上手く受け取れなかったことは何度もあるけれど、今振り返ってあれは愛だったとわかるということは、少しは愛情が分かる人間になれたのだと思う。

俺がどんなに傷ついてもショックを受けない人に、俺がショックを受けるという関係からは、足を洗う。
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実は、過去の記事でコメントの承認に迷ったものがあった。
すると、やはりそのコメントが気になった人がいたようなので、ちょっと取り上げようと思う。

《参照》
コメント4

このコメ主のTさんからすると、もう限界なのだと思う。
これだけ言われてわからないS氏も、これではクビになっても仕方ない。

1つ思うのは、Tさんたち同僚はS氏に確認せずに気を遣い過ぎたのではないかということ。
そのことが、S氏により多くの誤解を与えた可能性もあると思う。


注意したいのは、これは発達障害と思われる『S氏の言動』であるということ。
加えて、そのS氏と向き合ったコメ主『Tさんの観察』であるということ。

あなたの身近にいるアスペルガーのことではないし、あなたが必ずしも同じ感想を持つ必要はない。


Tさんが部長に提出するという意見の部分を抜き出してみる。


《引用》━━━━━━━━━━━━━━━

意見1:大人げない暴力的な言動に豹変するので現場での応対に困る。

意見2:楽しく快適な職場つくりを皆で構築してきたのに個人に乱される。

意見3:単独行動が多いことや注意しても聞かないことで怪我や事故につながる。

意見4:コミュニケーションがなくあからさまに無視や敵対する。個人攻撃する。

意見5:目の前ばかり執着し全体が見えていない、グループでの作業に向かない。

意見6:場の空気が読めない、少人数なのに仲良くやろうとする気がなく反抗的。

意見7:上司でない先輩を見下している。すぐ部長に言いつけると脅迫する。

意見8:うんざりするほど言い訳や批判が多く、誰もペアを組みたがらない。

意見9:ミスしても反省をしないので同じ失敗を繰り返す。わざと逆のことをする。

意見10:彼とは信頼関係を作れず職場ストレスの原因そのもの。毎日気疲れする。

意見11:ヤクザまがいの暴言で詰め寄るのでいつかは傷害事件になりそうで怖い。

《引用終わり》━━━━━━━━━━━━


確かに、発達障害あるあるだと思う。
しかも、このうちの2、3個だけでも周囲には結構なストレス。
それなのにこれだけ問題を抱えていれば、本人はもちろん周囲も仕事にならないだろう。

ただ、これは発達障害の特性を羅列したに過ぎない。
発達障害の可能性を踏まえて、こういう対策を取ったということではない。

なので、僕も承認の時ここを迷った。
ただ発達障害の特徴をあげつらって終わっている印象だったからだ。

特徴をあぶり出して切り捨てることが僕の目的ではない。



しかし、もし発達障害として対応するなら、会社全体での協力が必要不可欠だと思う。

例えば、S氏が何かミスをした時、同僚のAさんはその都度、原因と解決方法をS氏に詳細に説明したとする。
それは、他の社員に比べれば子供でもわかるようなことからだったり、何度も同じ説明を繰り返していたりする。

そこに、たまに様子を見に来る上司が、別の対応をしてしまうとする。
「次、頑張ればいい」とか、「誰にでもミスはあるから気にするな」とか。

こういう対応は、アスペルガーには混乱を生んだり、都合よく逃げる口実を与えてしまったりする。

Aさんの対応は、アスペルガー当事者には優しい配慮だ。
これを皆が理解していないと、改善は見込めないと思う。


となると、TさんはこのAさんのような対応をするだけでなく、現場の社員に協力してもらい、上司にも発達障害というものを理解してもらう必要がある。
果たしてTさんに、それだけの気力や体力があるか。
それ以前に、それだけ負荷のかかる仕事を引き受けたいのかという問題もある。

仮に僕がこのTさんの立場なら、待遇が良くならないのであれば絶対に引き受けない。
最低でも給与は1.5倍、6カ月限定くらいの条件は出したい。
それくらい無茶を言いたいくらい、きついと思う。

アスペルガーと密接に関わっていたら、1年持たずに精神的にやられてしまうと思うからだ。
それに、半年経って大した変化がないなら、もう無理だろう。
会社全体が一枚岩となってS氏に協力したとして、最初の数ヶ月でS氏が自身の状態を自覚しなければ、周りに出来ることはない。



問題点だけを挙げ、発達障害者を切り捨てることは悲しい。
Tさんがここまで考察できたのなら、S氏が発達障害であることを踏まえて対応してみてほしいという思いはある。

一方で、この会社の中でTさんがS氏と一番向き合ってきたのではないかとも思う。
逃げ腰のリーダーに比べれば、Tさんの方が1歩も2歩も前で戦ってきただろう。

S氏が発達障害だというだけで、いや、もしかしたらだからこそ、簡単に結論は変えられないかもしれない。


会社は仕事をするところだ。
S氏も他の社員も仕事をしに来ている。
社員がS氏に仕事を教えることはあっても、それ以前の社会性やコミュ力を指導する義務はない。
教えてもらうS氏にも最低限の礼儀は必要だ。

酷い言い方だが、やる気のない幼稚園児に教育を施す場所ではない。



S氏のようなアスペルガーの人が、全て同じ道をたどるわけではない。
こんなに酷くても改善される人はいるかもしれない。
また、S氏のような人でも指導し切れる定型もいれば、ちょっと変わってるくらいの人でも対応できない定型もいる。

また、障害の程度だけではなく個々の相性もあるだろう。



ここではあまり話していないのだが、個人的にアスペルガーのキャラも好きな面はある。
時に、発想がぶっ飛んでて面白いので。

かつては友達にも多かった。
ただ、深く関わって傷ついたことも多い。
理由は、発達障害について知らず誤解したからというのもある。
でも、今は知ったからこそ付き合いきれないと思うこともある。

同じ発達障害でも本当に色々だ。

決めつけないようにしたいが、一度深く傷つけられると関わるのに勇気がいる。