━━━━━━━━━━━━━━━━
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
━━━━━━━━━━━━━━━━

ちょっと前に
「もう変わりたい」「こんなところからは抜け出したい」
そう書いた。


でも、また過去に引きずられている自分がいる。
それは、変わるのが怖いからだと思っていた。

確かにそれもある。
だけどそれ以上に、俺は過去の自分を捨てられないからなんだと思う。
ちゃんと成仏させられていないから。


そう。
「あんなに頑張ったのに……」
そういう思いが消えない。
俺の努力って何だったんだろうと思うのだ。
親との関係もあるが、性同一性障害の側面が物凄く大きい。


簡単に言うと、俺の性別の答えは男だったわけだ。

そのことを俺自身は最初から明確に知っていたし、そう主張もしていた。
たとえ4、5歳の子の拙い主張だとしても、それに真剣に耳を貸す大人がほしかった。


普通の人は、自分のことなのに何も知らない、普通の人との違いを説明できないことを不思議に思うのだろうか。
幼い頃から、「何で俺がこんななのか」「何が他の人と違うのか」を、疑問とも反語とも取れる言い方で幾度となく質問された。

でも、そんなことは俺が一番聞きたいのだ。
なぜ皆は、周りが勝手に思っている性別を何の抵抗もなく受け入れられるのか。
俺のことを何も知らない人まで、俺のことを女の子だと言う。
俺の内面はもちろん、俺の裸だって見たことはないのに。
何でそんなことがわかるのか。
違うと言っているのに、何で相手が正しくて俺がおかしなことを言ってることになるのか。


誰も俺のことを教えてくれない。

それなのに、自分のことさえ知らないと責められる。

こんな理不尽なことがあるか。

感じたことを口にしても、それはスルーされたり書き換えられたりして、なぜか〇〇な女の子として解釈される

結局、俺のことをつつく人間は、俺のことを理解したいんじゃなくて、無知なそいつの狭い世界に俺を収めて納得したいだけなんだろう。


そんなに知りたきゃ教えてやる。
お前の足りねぇ頭じゃ、一生かかっても無理だよ。


言葉や仕組みが先にあるのではなく、人が先に存在しているのは自明の理だろう。
それなのに、自分の知ってる言葉や価値観に当てはめようとするのは愚の骨頂。

自分の欲求を満たすだけが目的で、聞かれる相手の気持ちはこれっぽっちも考えない。
そういうのを興味本位って言うんだよ。

言葉が雑でも、質問内容が失礼でも、本当に知りたいと思って聞いてくれて、それを今後に生かしてくれるのなら何でも答えるよ。
逆に、何も聞かないで、気を利かしたつもりになってる人の方が迷惑なこともあるのだから。



残念ながら、幼い俺の周りに俺のことを気にかける大人はいなかった。

誰も男の子だとは認めてくれず、結局、俺が生きていくには女の子になる努力をするしかなかった。
俺は必死に女の子になる努力をした。
絶対になれないという確信を持ちながら。

だって、性別ってなるものじゃないし。


その努力も誰にも認められなかった。
それもそのはず、普通の女の子はただ自分を生きているだけであって、女の子になろうとしているわけではない。
だから、そんなことでは誰も褒めない。

ただ、俺は世のため人のために女の子をやってあげていた。
自分の認識している性別と他者のそれがずれるということは、これだけ大きな歪みを生むのだと思う。
せめて褒められるくらいの対価がなければ、ただ犠牲になっているだけだった。


それでも、中途半端が嫌いな俺は、200%の力で女の子になろうとした。
だから女の子の輪に加わり、男の子に異性に見られる努力をし、彼氏を作って恋人らしいこともした。

この先は、男と結婚して子供を産んで母親になって、そう考え始めたところで挫折した。

男と性的関係を持ったことで、全てが嫌になった。


俺が女の子だと言った人達は、女を生きれば幸せになれると言った。
100人が100人。
だから、俺も、男に愛されることはもっと嬉しいことで、もっと楽しいことなんだろうと想像していた。

でも違った。
相手の男が悪いのではない。
彼が男らしく頑張ろうとすればするほど、俺を女の子として大事に扱おうとすればするほど、気持ち悪くなった。
激しく苛々した。

全てが気に入らなかった。
いつの間にか彼の姿に自分を重ね合わせ、自分だったらもっとこうするのにと思ってしまう。
しかし、現実にあるのは女の体で女を演じている自分。
こんなことのために全てを犠牲にしてきたのかと思うと、絡んできた人間全てを焼き尽くしたい気持ちだった。


責任取れよ。

俺は男とセックスできる女になるために、男の自分を全部捨てたんだ。
そうまでして得たものが、こんなにもくだらなくて気持ち悪くて、吐き気がするようなゴミだったなんて。
無責任すぎて全ての人間を殺してやりたい。

世の中に絶対はないというけれど、これだけは絶対だと言い切れる。

今度は相手の男を間違いなく殺すと思う。



物騒ですみません。


━━━━━━━━━━━━━━━━
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
━━━━━━━━━━━━━━━━

書きたいのにかけないから苦しいのだろうか。


このブログには、リアルで会う人間には言えないことばかりを書いてきた。
それでも、ここでも書けないことがまだ結構ある。


理由の1つは、否定されるのが怖いから。
居場所がなくなってしまいそうだから。

もう1つは、僕がどこの誰だか特定されてしまうから。
こういうとき、極端に少数に属する人間はめんどくさい。


手っ取り早い方法としてはアメンバー限定にすることなのだろうが、こうすると選別が難しい。

僕の勘でしかないのだが、限定にすると、メンバーになってもらいたいような人は遠慮して、メンバーにふさわしくないような人が遠慮なく申請してしまいそうなのだ。

なぜなら、僕のブログを読んでる人は、読者やアメンバーになるための条件をちゃんと読む真面目な人だと思うからだ。
そうなると、自分なんかが申請してもいいだろうかと尻込みしてしまう人がいそうなのだ。

逆に条件をろくに読まないような人は、読みたかったらとりあえず申請するという人がいると思う。
はっきり言ってウザイ。

読者登録でさえ、自分のブログの宣伝で片っ端から読者登録に来る人がいるので、それを削除するだけでも手間なのだ。

何かいい案があったら教えてください。



とりあえず書きたいと思ってることを簡単に…。


★LGBTと性被害について

→俺は、当事者に質問するのはセクハラの一種だと思っている。
なぜ女の体なのに男の認識なのかとか、いつからそうなったのかとか。
当事者は専門家ではない。
無料で講演して歩いてるわけではないのだから、何でも答えなきゃいけないってのもおかしいと思う。

ただ疑問に思ったことを聞いてるんだろうが、責められてる気がする。
知りたければググればいい。
それに、人に聞くならまず自分が自己紹介したら?
性同一性障害がどんなか知りたいんだったら、まずは男(女)の自分がどんなか説明できなきゃいけないんじゃないの?
そこを考えたことのない人は、一生わからないと思うし。


→もう一つ、本当のセクシャリティを周囲が認めないと、性被害に遭いやすくなりはしないか。
例えば、本人は同性愛者だと気づいているのに周囲がそれを認めないと、無理に異性と関係を持つことになると思う。
結果的に望まない性行為を周囲が強要するとしたら、それはれっきとしたレイプだ。

俺は、無理やり女になろうとしたこともそうだし、その努力の中で男と関係を持ったこともあるので、自分にとっては性被害の側面もある。
ただし、加害者は相手の男ではなく無知な一人一人の大人だと思っている。
「女の体なんだから必ず女で生きられるはず」とか「男を好きになって男とセックスできる」とか、そういう無知で無責任な言葉が、人を殺すことさえあるということを知ってほしい。


最近はセクハラの話題も多いし、大相撲の女人禁制なども話題になっていたので、性差別や性被害について書きたいことがいくらかあります。


一番の問題は、今の生活からどうやって脱出するかだな。
どこに何を相談していいのか。
それを調べるのさえめんどくさくなってます。

最近、特に気力がなくて生活全般がめんどくさい。
相変わらず母親は父親に毎日怒鳴ってるし。
もう、父親はニコニコしているだけで受け答えも何もできないのに、母親は父親の顔さえ見ていないのだろう。
自力で立ち上がりたくても、その筋力だってもう僅かしか残っていない。

母親は何もできなくなった父親を支えてあげたいという愛情はほとんどないのだと思います。
母親にあるのは自分の手を煩わせるなという自己都合だけなのでしょう。
父親は、日中1人で部屋にポツンと捨て置かれています。
さすがに寂しそうです。
壊れたテレビもそのままなので、誰と喋るわけでもなく、音も何もない部屋に1日中ただ座ってるだけです。

この状態の父親を、寂しそうとか可愛そうとか感じないのが、発達障害というものなのかなと思っています。
━━━━━━━━━━━━━━━━
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
━━━━━━━━━━━━━━━━

規範意識の強い母親に対し、父親は自由奔放。

父親は、素直で教えられたことや身に付いたことはできるが、ルールに合わせて自分なりに考えて行動することはできない。
父親には大人としての責任感がほとんど感じられない。
無責任というより、責任という概念を知らない雰囲気。

一口に言うと子供。


俺からみると、父親は母親に付き従って生きてきた感じだ。
恐らく、父親にはこれがちょうど良かったのだろう。

他人が自分とは異なる意思や感情を持った生き物であると想像しきれていない母親にとって、何かを決める時に相手の意志を尊重したり状況判断したりするという選択肢はない。
母親が考えたことを一方的に提示して進めるというのが、母親にとって当然のやり方だった。

無論、母親自身は自分が独断で決めているとか押しつけているという感覚はない。
他の考え方や選択肢があると思っていないので、当然のようにその一択だと思っているからだ。

こんな人といれば、定型なら間違いなく衝突が起きる。
俺は疑問だらけだったし、「押し付けるな」と言っても「押し付けていない」と言われるだけで、本当に話にならなかった。
だが、父親とはちょうど噛み合っていたのだろう。


父親は自分では決められない。
自分で考えることもできない。
考えるのは何が食べたいとかそういう衝動や欲求的なもので、社会のルールなどを踏まえて何かを考えることなど、面倒くさくてしたくないのだ。

したくないというとただサボっているようだが、実際、父親にはそんなマルチタスク能力はないのだと思う。
発達障害にとっては、自分のやりたいこととやらなければいけないことを同時に考えるというのは、すでにマルチタスクになる可能性がある。
やってやれないことはないが、これが続くとオーバヒートしてしまう。


父親は、やりたくはないがやらなければいけないことを気力を振り絞ってやるという生活をしてきていない。
常に誰かがやってくれるという環境で生きてきたのだ。

瓶詰めの蓋でさえ、父親に開けてくれるよう頼んでも「開かない」と言って突き返すくらいだ。
開けなければ中身を食べられないのだが、それで困るということを想像さえしない。
もちろん、大の男がこんなことで音を上げていることに不甲斐なさを感じることもない。


さすがに一歩外に出れば少しは面子があるようで、オムツをはいていることを恥ずかしがったり、家の中ではヨロヨロなのにシャキッと歩いたりしていた。

ところが家族相手だと、それすらない。
子供なら無邪気で済まされるだろうが、責任ある立場の大人が無邪気では、舐めきってる態度でしかない。


そんなやる気のない父親に代わって、常に誰かが蓋を開けて来た。
せめて、父親の代わりに誰かが蓋を開けたことで食べられるようになったと、誰かが教えていれば違ったのかもしれない。
だが、誰もそうしなかった。

やる気のない人間にやる気を起こさせるのは重労働だ。
しかも、やる気を起こして頑張ることの意味を知らない相手だ。


発達障害は想像力がないと言われる。
それは努力すれば未来が変わるというところにも影響してくる。
彼らには、過去の言動が今につながっていて、今の努力が未来を変えるという感覚が非常に乏しい。
だから、嫌なものは嫌だになる。
定型なら、しんどい思いをしてでも頑張った甲斐があるということを知っているが、今しか見えない発達障害にとって、しんどい思いはしんどい思いでしかない。

ここまでくると、過去→現在→未来とつながっているということに始まり、努力することの意味を教えなければ、そもそもやる気を起こさせられない。
父親はうるさく言われるから渋々やっていただけであって、おそらく一度も納得していない。
きっと、その行動の意味さえ考えたことがない。


母親も、文句を言いながらも父親をフォローしてきたのだ。
本来なら、本人の責任でやるべきことまで。
今更、自分でやるようになるわけがない。


今、父親に残っているのは食べたいという欲求だけなのだろう。
だから、食事だけは1人でも食べる。
喉に詰まっていてもむせている最中でも、どんどん食べる。
それ以外は何もしない。

関節が固まり筋力が衰え、歩ける力はほとんどない。
もう、立つことすら面倒くさいのだ。
歯磨きやトイレを自分で何とかしようだなんて思うはずがない。
ましてや、母親の負担を考えて頑張ろうなどと考えるはずもない。
父親には元々そんな能力はない。


誰かのために頑張るのは、他人に支えられて生きているという実感があるからこそ。
人の迷惑を考えるのは、他者目線を意識できることが前提。
やりたくなくてもしんどくてもやろうと思うのは、今が未来へとつながることを知っているからだ。

おそらくどの感覚も父親には乏しく、低い能力しかない。
そのため、他に高い能力を有していたとしても、努力を重ねて力を発揮することができない。
このやる気のなさが、発達障害の最大の弱点だと思う。


今が未来に繫がることを学び損ねた発達障害は、変わることはない。
彼らに変わって欲しければ、多少しんどくても今を変える楽しさを教えるしかない。

特にうちの父親のようなタイプは、義務や責任という必要性を説いても全く響かない。
かろうじて自分が楽しいと思ってハマれば、努力する可能性がある。
でも、それは所詮自分のためでしかない。

他人の喜びを自分の喜びとできる感覚も覚えなければいけない。
しかし、それは教えられて出来るものなのだろうか。
発達障害は経験不足とは違う。
他人の喜びを感じられないのが、愛されなかったからであれば変わる余地はあるだろうが、愛情を感じ取れない性質に生まれているのであれば、もはや出来ることはないだろう。


ところが、母親は相変わらず正論だけでまくし立てる。
自力で立て、粗相するな、私の言うことを聞いて、私の身にもなって。
現状の父親の能力ではどれも無理である。
それなのにその無理を要求できるのは、母親に観察力がないからなのだろう。

母親は、甘えるのも下手なら甘えられるのも下手。
教えるのも教えられるのも下手だ。
父親は自分が甘えるだけ。
教えるとか教えられるとかいう次元にもいない。

コミュニケーションを取れないということは、自分の感覚や世界観を一方的にぶつけるだけなのだと思う。
ドッチボールどころか中ブツケである。

何も考えず衝動だけで生きてきた父親と、一方的に命令して従わせてきた母親の結末は、今、一気にツケが回ってきているのだろう。