『ミニョ悪い、空港まで迎えに行くつもりだったけど行けなくなった。みんな忙しいから誰も行けそうにないや、ゴメンな』
そうメールを送ったのは数日前。そして今、ミナムとジェルミは合宿所でテギョンとミニョのおかえりパーティーの準備をしていた。
「あ~あ、俺は迎えに行きたかったのにな」
がっくりと肩を落とし大きなため息をつくジェルミは飾り付け用の風船を膨らませていた。口で空気を送り込んでいるわけではないがしゃべると連動して手が止まる。口じゃなく手を動かせと言うミナムは食器をリビングへと運んでいた。
「俺たちが行ったら目立つだろ。どうせジェルミは静かにしてられないだろうし、テギョンヒョン一人ならいいけどミニョも一緒なんだ、騒がれたくないじゃないか」
テギョンから帰国すると連絡があったのは一週間前。その日からずっとそわそわと落ち着きのないジェルミの行動は誰の目にもいつもと違って見え、これは何かあるんじゃないかと記者からマークされていた。
「そりゃそうだけど・・・でもミナムって平気でウソつけるんだね。俺たち三人ともオフなのに忙しくて行けないなんて」
「仕事で忙しいなんて言ってないだろ、俺はこうやって準備してるから忙しいんだ。ジェルミは口しか動いてないから暇そうだな」
膨らんでいる風船はほんの数個。床一面に敷きつめるつもりでいたジェルミは慌ててぺちゃんこで横たわっている風船を手に取ると、空気入れをシュコシュコと動かした。
「買ってきたぞ」
いくつか風船が膨らんだ頃、買い出し担当のシヌが戻ってきた。右手に飲み物、左手は食べ物の入った袋を提げている。一度では運べないようでもう一度車へ荷物を取りに行った。
「すごい量だね」
アルコールにジュース、大量のチキン、それと今から簡単な料理を作るための食材。それはどう見ても五人で食べきれる量ではないが、ミニョの好きそうな物を選んでいたら、いつの間にかカートの中が山になっていた。
「荷物持ちにジェルミも行かせた方がよかった?」
「いいや、どうせこれに山のようなお菓子とアイスがプラスされるだけだから、俺一人でよかったよ」
「俺たちがこうして準備してることは言ってないんだろ。テギョンヒョンとミニョ、帰ってきたらビックリするだろうね」
みんないないと見せかけて、帰ってきた二人を驚かそうという案はミナムが言い出したことだった。
「そう言えば俺たちがビックリするようなことがあるって返信が来てたけど・・・飛行機事故に遭ったと思ったらぬいぐるみに憑依して、死んだと思ったら生きてたなんて驚きに比べたらどうせ大したことないだろうな」
「俺は知らない間に自分の身体が乗っ取られてたって方が驚きだけどな。未だに信じられないんだから」
「もしかしてテギョンヒョン、またぬいぐるみになってたりして。だったら俺、めちゃくちゃビックリするよ」
「ハハハ、まさかそんなことあるわけ・・・・・・」
ないじゃないか、という言葉が口から出てこなかったミナムをシヌとジェルミがじっと見る。
「俺、人間の姿したテギョンヒョンに会いたかったのにな・・・。ねぇシヌヒョン、どうやったら身体って貸せるの?」
「俺はもう不法侵入も無断使用も許さないからな」
二人の会話にミナムは苦笑いを浮かべた。
タクシーを降りるとミニョは午後の日差しのまぶしさに光を遮るように手のひらで影を作った。もう片方の手にはテジトッキがしっかりと抱きかかえられている。
くん、と喉を伸ばすようにして見上げた空はどこまでも青く広がっていた。
そこに右から左へと続く一本の白い線を見つけると、ミニョはあの日のことを思い出した。
前日までの厳しい寒さがまるでウソのようにその日は暖かな日差しが降りそそいでいた。もうすぐテギョンに会えると心躍らせながら仰いだ空。身体の奥からクスクスと笑いがこみあげて、素直に表情に表れた。足取りも軽く、スキップしてしまいそう。まさか数時間後に心臓が止まりそうな出来事を聞かされるとは思いもよらなかった。
あの時の空の色は今日よりも青かっただろうか?
よく憶えていない。ただ、白く伸びる一本の飛行機雲を見て、テギョンに思いを馳せていたことははっきりと憶えていた。
「何見てるんだ?ああ、飛行機雲か」
隣に並んだテギョンがサングラスを外すと目を細めながらミニョの視線の先にあるものを見つけた。
「当分の間、飛行機には乗りたくないな」
心情を吐露すると同時に大きなため息がもれた。
十時間以上かかる空の移動中、ほとんど眠れなかった身体は疲れきっていた。そこには精神的なものが大きく影響していて、それは隣でずっと手をつないでいたミニョにもはっきりと伝わっていた。指の長い大きな手のひらは冷たく汗ばんでいたから。
「そうですね」
さあっと風が吹き、にぎやかに茂った木々の葉が同意するようにざわめいた。
「お兄ちゃんこれ見たらすごく驚くだろうな。早く見せたい」
いたずらを仕掛けた子どものようにミナムの反応が楽しみだとミニョが左手を見ながらクスクス笑う。その薬指にはキラリと輝くものがあった。それはアメリカに滞在中、テギョンがあの店にもう一度注文をした指輪。複雑にカットされた透き通る石は太陽のもと、幸せな光を放っていて、テギョンの想像したとおりミニョによく似合っていた。
「いいや、どう見てもそれより驚くことがあるだろう。あいつ卒倒するかもな」
テギョンの視線はミニョとは違い、指ではないところに向けられている。
ミニョのお腹はゆったりとしたワンピースを着ていても判るくらい膨らんでいた。
婚約したことも妊娠していることも見舞いに来たギョンセ以外誰にも話していない。
電話ではなく直接会って話したかったから。特にミナムには。
テギョンの元気な姿を見た次の瞬間、隣にいるミニョの変化に目を丸くする三人の姿が容易に想像でき、テギョンもクスリと笑った。
「あっ!」
ミニョの短い声と視線に半ば条件反射のように反応したテギョンの手は、猛烈なスピードでありながら壊れ物を扱うようにそっと大きなお腹にあてられた。全神経を手のひらに集中し、固まったようにじっとすること数秒。「・・・んー、止まっちゃいました」とミニョが言った途端、はぁーと止めていた息を吐いた。
胎動を感じるとミニョが言うたびお腹に手をあてるテギョンだが、不思議とピタリと動きが止まってしまい、テギョンはいつも落胆のため息をついていた。
「どうして俺が触ると動かないんだ、俺に触られるのは嫌なのか?ミニョを泣かせてばかりいるから嫌われてるのか?」
お腹にあてたまま肩を落とすテギョンの手にそっとミニョが手を重ねた。
「私ずっと考えてたんです。テジトッキになったオッパの声がどうして私にだけ聞こえたんだろうって。きっとこの子だと思うんです。この子がオッパの存在に気づいて、私に聞こえるようにしてくれたんじゃないかなって。それに、私を一番笑顔にできるのはオッパです。それはこの子も判ってます。だらか、嫌われてるとかそんなこと、絶対にありません。」
テギョンの声が聞こえなかったら今頃どうなっていたか・・・
テギョンはずっと昏睡状態のままベッドの上で機械につながれていたかもしれない。
ミニョはずっとテジトッキを抱きしめて苦しい日々を過ごしていたかもしれない。
そんな最悪な未来にならなくて済んだのは全部この子のおかげかも、そう思うとより一層愛しさがこみあげてくる。
「そうか・・・じゃあきっとスターの俺に触られて緊張してるんだな」
ふふふっと笑うミニョの背中が温かくなった。前に回された腕は二人を守るように優しく包みこむ。
「あいつらが帰ってくるのはたぶん夜だからそれまで寝るか。ミニョも疲れてるだろ、しっかり身体を休めた方がいい。俺も眠いし」
そして付け足しのように言葉が続く。
「テジトッキは椅子だからな、ベッドには連れてくるなよ」
「リスクマネジメント能力が高い、からですね」
青い空には端の消えかけた一本の細長い白い雲。
「ほら、足もと気をつけろよ」
「はい」
テギョンの差しだした手をミニョはしっかりと握る。
もう片方の手にはテジトッキ。
きっともうテジトッキを抱きしめ、ひとりの夜を泣いて過ごすことはないだろう。
心地いい風が頬をなでていく。
二人は歩き出した。
―――― Fin ――――