深夜、疲れた顔で帰宅したテギョンは冷蔵庫からいつもの水を取り出すと、あくびをかみ殺しながら自室へと向かった。
ただでさえ忙しいのに、「一緒に食事しよう」というアン社長のしつこい誘いをかわし、今日は何の失敗をしたか知らないが、バタバタと慌てているマ室長を見ているだけでどっと疲れが出た一日だった。精神的にも肉体的にもぐったりとしてとにかく早く休みたかったが、あいにく楽譜の整理が残っていてまだベッドに入れそうにない。喉を潤すと幾分眠気が覚めた気がして、あと少し頑張るかと軽く伸びをした。
「テギョンヒョンおかえり。あのさあ、今日の夕方・・」
「話なら明日にしてくれ」
ドアノブに手をかけた時、廊下の向こうからジェルミに声をかけられたが、残っている体力をジェルミ相手に使うのはもったいないと、反射的に話を遮りドアを開けた。しかしテギョンの足は中へ入ろうとはぜず、そのままドアを閉めた。
「どうして俺の部屋で寝てるヤツがいるんだ?」
部屋の中で誰かが寝ていた。勝手に床に布団を敷き、のうのうと寝ている誰かが。布団を頭からかぶっているせいで顔は見えない。
「ああそれミナムだよ。夕方ミジャおばさんが来たんだ。用事があってこっちの方に来たんだけど泊まるとこないから一晩泊めてくれって。で、ミナムの部屋に泊めるから、ミナムがテギョンヒョンの部屋に行くことになったの。晩ご飯作ってくれたんだけど、おいしかったよー。朝ご飯も作ってくれるって。おばさんのご飯おいしいから楽しみなんだ」
ミナムがミニョと無事入れ替わり、A.N.JELLのメンバーとして活動を始めて約一年。時々ミジャが来ることはあっても泊まることはなかったのに、いきなりやって来て勝手に泊まり、その余波を受けることになったテギョンは、ニコニコと上機嫌のジェルミとは対照的にムッと眉間にしわを寄せた。
「はあ?ここはホテルか?避難所か?ったく、ミナムも何で俺の部屋に来るんだ、ジェルミが泊めてやればいいだろ。おまえたちいつも仲がいいじゃないか」
「イヤだね。俺たち昨日からケンカしてるんだ、顔も見たくない」
ムッと顔をしかめるとジェルミは自室へと消えた。
テギョンは水を一口飲むと、恨めしそうに床に目を向けた。
せっかく残りの仕事を終わらせてから寝ようと思っていたのに、ミナムが邪魔で机が使えない。かといって別室で作業をするつもりもない。
「ここは俺の部屋だ、出て行くのは俺じゃない。おいミナム起きろ、どこか別の場所で寝ろ」
声をかけても返事はなく、布団の上からスリッパのつま先で蹴っても反応がない。
「お、こんなとこに山のようなアイスがあるじゃないか。起きないと全部ジェルミに食われるぞ」
これなら飛び起きるだろうと思われる言葉をかけてもピクリとも動かないミナムに、テギョンは舌打ちすると力ずくで起こすべく、布団を勢いよく引きはがした。
今まで優しく包みこんでくれていた温かな物が急になくなったからだろう。ぶるっと身震いをしたミナムの身体はまるでダンゴムシが丸まるように縮こまっていく。それでも起きる気配のないミナムを強制的に起こしてやろうと伸ばしたテギョンの手は、空中で止まった。そして理解不能な表情をした顔が傾いていく。
「・・・ミニョ?」
ミナムの寝顔は数回、移動中の車の中で、だらしなく口を開けている姿しか見たことはない。しかしミニョの寝顔なら何度も見たことがある。布団がなくなり少し寒いのか、キュッと口を結び眉間にしわを寄せているこの顔は、どう見てもミニョだった。その証拠に手に傷跡は見あたらない。そして少しウェーブのかかった茶色の髪の下からのぞいているのはさらさらとした黒髪。触れた身体は筋肉質の男のものではなく、柔らかな女の感触だった。
「夢、じゃないよな・・・何でここに?」
単にテギョンの部屋で寝ているだけでなく、わざわざウィッグをつけていることを考えると、ミナムの代わりをしているとしか思えない。
「また入れ替わったのか?いつだ?」
最近はソロ活動ばかりで同じ家に住んでいても顔を合わせることが少なかったが、今朝出かけて行くミナムは確かに男だった。入れ替わったならその後ということになる。
残りの仕事を終わらせたいのに、どうして?いつから?という疑問が頭の中を占め、作業どころではなくなってしまった。いや、たとえその疑問が解消されたとしても、忙しくてずっと会えなかった恋人が突然目の前で寝ているという状況は、仕事に集中できない十分な理由になる。
「う~む・・・」
どうするか・・・
テギョンは腕組みをし、尖らせた口を左右に動かしながら考えた。
1.ミニョをこのまま寝かせておき、自分は別の部屋で作業をする。
2.ミニョを起こしてとりあえず事の経緯を聞き出す。
3.気づかなかったことにして自分ももう寝る。
真っ先に消えたのは『1』だった。
「今日中にやらなきゃいけない仕事じゃないしな」
いつものテギョンならこんなことは言わないだろうが、ミニョがかかわるとテギョンの予定はあっさりと変更される。
次に消えたのは『2』。
さっきから身体を揺すっているが、まったく起きる気配はなく、目を開けたとしても寝起きのボーッとした頭では質問にちゃんと答えられるとは思えない。
残ったのは『3』だったが・・・
「う~む・・・」
ただそこにミニョが寝ているというだけなのに、何だかソワソワと落ち着かない気持ちになる。
腕組みしたまま部屋の中を歩き回り、時々立ち止まってミニョを見てはまた歩き出す。やがてこのままでは部屋の中を散歩しながら朝を迎えそうだと思ったのか、テギョンの足はピタリと止まった。
「はぁ、仕方ない・・・・・・寝るか♪」
そう言うとテギョンはベッドに背を向けミニョへと近づいた。そして丸まっていた身体を抱きあげると静かにベッドへ運んだ。
大きなマットは二人の重みにギシリと沈む。温もりを求めているのかミニョがスリスリと身体を寄せてきた。その仕種にテギョンは数日前のCM撮影を思い出した。
それは一匹のネコと一緒に撮った時のこと。意思疎通のできない小さな獣との共演は時間がかかると思ったが、意外にもあっさりと終了した。とても人懐っこいネコで、テギョンと対面した瞬間に足にすり寄ってきた。動物は苦手だったが、飼い主に「初対面の人にこんなに懐くことはないんですよ」と言われて悪い気はしなかった。
「俺のファンは幅広いんだな、人間だけじゃなくネコもいた。でも一番はこのテジトッキか?」
あどけない顔で眠るミニョを抱きしめるとミナムがいつも使っている香水の匂いがして変な感じだった。くすりと笑いがもれる。しかし次の瞬間、ミニョの呼気からアルコールの匂いを嗅ぎとると、笑みをたたえていた口はあっという間に尖りだした。
「呑んだのか?」
ミナムの恰好をして一人で呑むとは思えない。おばさんにつき合わされてジェルミと一緒に呑んだのか?と思ったが、ケンカして顔も見たくないと言っていたくらいだから、それはないだろう。じゃあおばさんと二人で・・・?
疑問は増えるばかりだがそれを追求するつもりはなかった。というよりそんな余裕はなかった。いや、はっきりいってどうでもよかった。数か月ぶりにこうしてミニョを抱きしめているということに比べたら、それ以外のことは考える必要もなく、頭の片隅から更に外へ、何なら宇宙の果てまで追いやってしまえばいい。しかも今は夜でここは自分の部屋で更にベッドの中。とても集中して何かを考えることなんてできない。
疲れていたはずの身体はいつの間にか気力体力とも回復し、眠気ははるか彼方へ飛んでいってしまった。
テギョンは小さく咳払いをするとミニョの顔を見つめた。
穏やかに眠る顔は幸せな夢を見ているのか微笑んでいた。アルコールのせいか頬はほんのりと赤く染まり、少しだけ緩んだ口元が色っぽく見える。
このまま寝かせてやりたいという気持ちと、黒い瞳に自分を映したいという気持ちがせめぎあう。
テギョンはミニョの額にかかる前髪をかき分けるとそっと唇を寄せた。
それは軽い軽いキス。
鳥の羽根で撫でるかのようにふわりと優しく触れるだけのもの。そして頬にも同じものを。あまりにも優しくてくすぐったく感じたのか、ミニョが寝ながらくすりと笑った。しかしテギョンの唇が首筋へ移動すると、ミニョの吐く息に甘いものがまじる。
「んっ・・・」
その声は小さなものだったが、静かだった水面に葉先の滴が落ちたようにテギョンの心に熱い波紋を広げていった。
「ヤバいな・・・」
ミニョへ落とす唇に熱がこもっていくのを自覚したテギョンが呟いた。
いくら久しぶりに触れた恋人の感触に胸が躍っても、脳を痺れさせる甘い声に身体が熱くなっても、眠っているミニョを抱くつもりはない。
目を覚ませば話は別だが・・・
淡い期待を抱きミニョを見つめるが、一向に起きる気配はなかった。
「はぁ・・・」
目が冴えてしまい、だったらここを抜け出して仕事をすればいいのにと思っても、離れがたい温もりにテギョンの口からはため息がもれる。
誘惑に負けそうになるがゆっくりと呼吸をし、胸の高鳴りを無理矢理おさえこんだ。
「そのうち寝れるだろう」
朝までにはきっと・・・
思いがけずミニョに会えたことは嬉しいのに、いつ訪れるかわからない睡魔をただひたすら待ち続けるしかない今の状態は、はっきりいってかなり辛い。でも、眠る間際に目にするのが恋人の姿というのは間違いなく幸せなことだろう。
そう思い、ミニョを抱きしめながらテギョンは目を瞑った。
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お久しぶりです。
毎日暑いですね~
40度近い気温って、自分が子どもの頃じゃ考えられなかった。
32度でも「暑いー」って思ってたのに、今はそれくらいだと「今日はちょっと涼しいね」って感じ。
慣れるものなのねー
さて、ずいぶん間があいてしまいましたが、新しいおはなしです。
といっても、短いんですけどね。
少しの間、おつきあいいただけると嬉しいです。