鏡を見てテギョンは唖然とした。
何度もまばたきをした。
痛くなるほど目をこすった。
しかし、口角を上げてみても眉間にしわを寄せてみてもそこに映っているのはシヌの顔。
「うそ、だろ・・・」
テギョンが次の言葉を発せられずにいる間、ミニョはベッドの上でテジトッキを前にしゃべり続けていた。
「オッパ、違うんです!あれはシヌさんが一方的に・・・私は寝てたからシヌさんが入ってきたことも気づかなかったし、よけられなかったんです!オッパの目の前で、なんて余計にショックで何て言ったらいいのかよく判りませんけど・・・・・・全然よくなかったです!オッパのキスの方が何倍も、何十倍も、何百倍も素敵です!だからオッパ~、許してください~。ねぇ、怒ってないで・・・ううん、怒っててもいいですから返事してください~」
抱きあげられたテジトッキの頭は今にもちぎれそうなほどガクンガクンと前後に大きく揺さぶられていた。
「そんなに揺すってると首が取れるぞ」
涙声で必死に話しかけるミニョと何も言わないテジトッキ。当事者であるテギョンは今の状況を理解した。少しも納得できないしとてつもなく不本意だが、無理矢理理解した。
テジトッキの中に入っていたテギョンの魂はなぜか今、シヌの中に入っているということを。だからいくらミニョがテジトッキを乱暴に扱っても文句一つ言わない。というより言えない。今のテジトッキは本当にただのぬいぐるみだから。
なぜシヌの中に入っているのか、そもそもシヌの意識はどうしたのかという疑問は残っているが、騒ぎ立てても何も変わらないのを判っているテギョンは、今自分の姿がシヌであるということを甘受するしかなかった。
「そいつはもうしゃべれない、俺はその中にはいない」
「な、何言ってるんですか。この子はオッパです、シヌさんじゃありません」
「俺はシヌじゃない、見た目はシヌだが中身は違う。ファン・テギョンだ」
あからさまに怪訝そうな顔をするミニョに、テギョンはいつの間にか自分の魂はテジトッキから離れ、シヌの中に入っていたと説明した。
「だからここにいるのはシヌじゃなくてテギョンなんだ」
ミニョはテジトッキを見つめた。何度呼んでも返事はなく、床の上でころころと転がしても何も言わない。
「テジトッキから声は聞こえたか?そんなことされたら絶対文句言ってただろ。だけどもうその中には誰もいないんだ」
「そんな・・・」
「俺はテギョンだ」
「シヌさんの顔とシヌさんの声でそんなこと言われても、説得力がありません」
テジトッキをひしっと抱きしめ疑いの眼差しを向けてくるミニョに、どうしたら判ってもらえるのかとイライラしながら部屋の中を歩き回る。しばらくしてピタリと足を止めたテギョンは、急にあー、あー、と声を出し始めた。
自分の身体ではない肉体の奥を探るように意識を集中し、体内の共鳴部分と息の量をコントロールして声を少しずつ変化させていく。こんなことをするのは初めてだったが何度か繰り返しているうちに多少なりとも満足のいくものが得られたようで、口の端に笑みが浮かんだ。
「ミニョ」
シヌの口から発せられる、低く耳の奥に響いてくるその声にミニョはピクリと反応した。
「・・・オッパ?」
「そうだ、俺だ」
目の前にいるのはシヌ。でもその口から聞こえてくるのはテギョンの声。
「見た目はどうしようもないが、声なら何とかなる。声帯の形も骨格も違うから短時間でこの身体から俺の声を出すのは少し難しかったけどな」
流石は俺だなと自慢げに胸を張る仕種や、ニヤリと笑う目や口、眉の動きはテギョンそのもの。
「本当に・・・本当にオッパなんですか?」
「ああ、デートで恋人に丘の上から転がされ、危うく洗濯機で洗われそうになった男だ。それと、シヌは絶対に俺の声マネなんかしないぞ、賭けてもいい。ミニョが説得力がないって言うから頑張ったのに。少しは感動しろよ、何なら抱きついてもいいぞ」
さあ、こい!といわんばかりに両手を大きく広げるが、いくら中身はテギョンでもテジトッキの時とはわけが違う。そこにある身体はシヌだから。
「えーっと、それはちょっと・・・」
「だよな」
テギョンは苦笑いとともに肩を落とした。