みそぎの備忘録 (なんとなく
たびたび長野へ向かったナゾは
県内のとある地名を通して
ご先祖様のルーツ故郷だったと判明し
その後、
長野にいくたびに
懐かしい気持ちにはなるのだけど
「聴こえるはずの音色がない」
という感覚があって、
結局、その音は
八ヶ岳連峰によく似た山並みがある
とある国の楽器の演奏音だったのが分かり、
あまりにもずっと夢に出てきて
メモ絵を描いたほどの場所が
音色奏でるその地のメッカと一致して、
どうしてもその国に行きたい前に
どうしてもその国の楽器が欲しくなり
探してみたら
唯一見つけたお店が、
子どもの頃に住んでた町にあった。
大阪でその国の料理が食べられる
唯一のお店は
うちのサロンから近い所にあった。
老子
「大曰逝 逝曰遠 遠曰反」
“ 大いなるわたし達は
果てしなくどこまでも行ける、
果てしなくどこまでも行けるから
もとの場所へ帰ってこれる ”
第25章を読経して、
ひとは4歳までに答えを知ってる説を
ぼんやり考えながら、
佐久奈度神社から戻った翌日のこと。
探してる答えは毎回
「ここ、よく知ってる!!」
ってな場所にあって、
そこでまた次のナゾが浮かんで
また答えを解く旅に出ては
「とっくに知ってる!!」
ってな場所に行き着く。
だから
執念みたいな野望も、
もしかしたら実はもう
とっくに叶えてるのかも知れない…
なんて気がしてくる。
その国で
唯一ひとり日本人医師になったかたも
ある日、
長野県から飛び出して向かったそう。
同じような人、ほかにもいるのかな。
心理学者の先生には
「前世でそこに居たから行くべきだ」
って言われたんだけど
どのタイミングで運ばれるのか。。
前世で居たのだとしたら
それまた元の場所に帰る旅で。。