理不尽なのは何故?
平穏に暮らしていても
「理不尽」は
理不尽なタイミングで
時々やってくる。
いえ、
理不尽なタイミングに思えるのは
自分都合の視野であって、
ほんのちょっと俯瞰すると
ぴったり辻褄が合っていて
「そこは矛盾せんのかい」
とツッコミたくなる。
病気にしても、離別にしても、
災害にしても、裏切りにしても、
故障にしても、障害にしても。
どんな真面目な正直者にでも
理不尽は肩を叩いてくる。
それはどんなタイミングか──
時間と労力の使い方を
変えた方がいい
とうすうす分かっているのに
なかなか変えられずに
自分で自分をズラしたまま
やり過ごしているタイミング。
そのズレを知らせに
理不尽はやってくる。
*
理不尽な出来事は
つらいです。
悲しいです。悔しいです。
納得いかなくてヘドが出そうで
胃が痛い気がしてきます。
あまりにも気分悪いので
「もう物の見方を変えよう」なり
「時間の使い方を改めよう」なり
生きる防衛本能として
なにかしらを変える。
そうして
人は、自分のズレを直していく。
理不尽によって、正常へ直せていく。
ムカつくけど、整え正してくれる。
それが、理不尽。
結果的に
「感謝したくはないけど、ありがとよ」
つまり自分の中の
そういう素直じゃないネジレが
理不尽な出来事として現れる。
みたいなね。
*
自分の身をもって痛まなきゃ
直せない自分のクセもあるよ。
諭されてすぐ直せるようじゃ
それはそれで
ホメオスタシス機能が壊れてるし。
(↑体内環境を一定に保つ機能)
次の新たなフェーズに入る頃、
調整すべきところはあるわけで
『 昨日までのやり方だと
あなたの命がもったいないよ 』
ってタイミングに
理不尽が
具体的な直し方を
直接知らせてくれるからね。
怖れることはない。
理不尽は理不尽なりに
味方をしてくれてるのだ。
















