明けましておめでとうございます | 作家・シナリオライター西村悠のブログ

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ラノベ作家・シナリオライター西村悠の近況報告とかです。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年は奇跡的に、昨年中に仕事を修めることができ、久しぶりにお仕事をしないお正月を過ごせました。

昨年は激動の一年でした。コロナ禍でのどこか浮足立った日々の中。父の死、3人目の子供の誕生など、大きな出来事がありました。仕事では、やはりららマジのノベライズをなんとか皆様のお手元に届けられたことが大きかったように思います。荒波をなんとか乗り越えて行くような毎日に、少し疲れてしまったというところがあったなあと思います。

その分、お正月は妻の実家で過ごしました。仕事の道具を持ち込まず(珍しいことだと実家の方にも驚かれてしまいました)、読書をし、子供とドンジャラなどをして遊び、ゆっくりとした時間が過ごせました。いやあ、大分気が楽になったような気がします。

今年生まれた三人目の子供が非常にかわいく、絵本を読んであげると夢中になってくれますし、コロコロ転がったり、ズリズリ張ってみたり、笑ったり泣いたり、すごく自由な存在だよなあ、と感心しつつ振り回されてます。身体も大分大きくなってきまして、重いこと重いこと。腕だけの抱っこだともう10分くらいで腕が痺れてきますから、最近は抱っこひもが手放せません(それでも30分くらいで腰が痛くなってきます)。けれど、もう『ママパパ』とか、それとわかって言っているわけではないですが、色々な言葉を話し始めていてかわいいったらもう、という感じです。

上の二人の子供たちも大切にしつつ、まずはこの子が3才になるくらいまでは、毎日が勝負の日ですね。気合を入れないといけません。

今年は割とどっしりと構えようと思います。家事育児にせよ、仕事にせよ、短期的な視野ではなく、長い目で見て動いていきたいかなと。

仕事は今年はずっと温めていた企画をなんとか世に出したいなというところをひとつ、大きな目標として掲げたいと思っています。

創作の態度というものは『環境・公』みたいなものと『情熱・エゴ』みたいなふたつの要素で出来ていて、僕の場合、このバランスがうまく取れた時に、人に響く作品が作れるような気がしています。(ここでいう情熱というのは、仕事としての情熱ではなく(それはあって当たり前なので)もっと強い、なんというか自分はこれを書かなければいけない、というような、誰に向けたわけでもない使命感のようなものです)

『環境・公』というものは、すごく大げさに言ってしまえば、市場が要求する『ものさし』のようなもので、今どんなものが面白がられているか、とか、このジャンル、作品における禁則次項はどんなものか、どういった物語展開が喜ばれるのか、なにをないがしろにしてはいけないのか、逆に、このジャンルにここは求められていないとか、ここにこだわりすぎると失敗する、というような創作全体の『ものさし』と、作品ごとに用意する『ものさし』を日々アップデートさせながら取り組まなければいけません。ここについては、長年蓄積してきた経験や調査の結果、また日々磨いてきたバランス感覚みたいなものが結構きちんと働いているような自覚はあります。(あまり固執しすぎるとすぐに時代に合わなくなってしまうので、日々柔軟にものさしを更新しなければならない、というところも含めて、自分なりにつかめてきたような気がします)。

『環境・公』は、物語や作品を自動的に整形するような働きをします。こういうジャンル、こういうシチュエーション、こういうキャラ、こういうキーワード、というような枠組みを組み合わせることで、ほぼ自動的に、世相の移り変わりを下敷きにおきつつ『ある程度妥当と思われる物語』めいたものが出来あがるくらいにはなっていると思います。また、夢中になりすぎた物語を見返す際や、他の方が書かれた物語を監修する際の客観的な視点にもなるので重宝しています。

ただ、この『環境・公』という概念だけですと『悪評を集める確率が低い物語』が書けるくらい、よくて『そこそこ面白い』程度までしか到達できません。(もちろんものさし自体に不備があって失敗することもあります。精度をもっと高めることで、ものさしだけで素晴らしい逸品が作れるのかもしれませんが、今の僕ではまだまだ力量不足なのでしょう)。

僕の場合、『環境・公』に『情熱・エゴ』が載ってくれないと、まず面白かったと言っていただける作品まで到達できません。熱に浮かされたように物語に入り込んで書くような、自身が物語に酔っぱらってしまえるような熱が入っていると確信できると、これは、少なくとも自分のような人間には届くはずだ、と思えます。そしてそれはある程度結果を伴ってくれるような気がします。

作品を世に出すには、多くの人に関わっていただかなければいけません。そのことをまるで気にせずに我を張ることは考えナシなことだとは思いますが、それがわかった上で、それでも、申し訳ないのだけれども、という気持ちで我を張ることは、反面、作品に対する責任や誠実さにも通じるわけで、それはけして軽視してはいけないんだろうなと、最近強く思うのです。

もちろん、人様の企画や作品の上で仕事をする場合は、職人としての自分を強く意識しますが、自分が提案する作品・企画に関わる際は、我を張る勇気と責任みたいなものを持ちたいなと思っています。そんなことを頭の隅に起きつつ、今年も頑張ります!

毎年、今年は変化の年にしたい、というようなことを言っています。結局変化しているのかどうか、少し自分でもわかりづらいところではありますが、道を進もうとしない限り、明るいところにはいけないというのが世の常ではありますから、ひとつ精進して、変化の年を目指していきたいですね!

うーん、似たようなことを過去何度か言っているような気がして、進歩がないなあ、とは思うのですが、一方で一生同じことを言い続けるような気もします。劇的な成功みたいなことにはあまり縁がなく、しかしながら、えっちらおっちらと進んで、振り返ると、あれ、結構進んできたなあ、と思うような人生が、自分には似合っているような気がしています。これまではなんとかそれを維持できました。これからもそうであればよいと思います。

それでは、皆様の一年がよい年になることを祈りつつ、失礼いたします。