東北地方某都市の駅前広場には、ある英国人の銅像が立っている。
「私はヘンリー・コーディアス。
メイジにグレート・ブリテンの文化をジャパニーズに紹介した、上流貴族である。
今、私の魂はジャパンの北部にいる、ブロンズの分身に宿っている。」
2015年2月14日、日本では独自に発展した文化である「バレンタイン・デー」が休日と重なり、街は賑わっていた。
女性が男性に想いを伝え、チョコレイトを贈る(近頃、この図式は崩壊しつつある)。
女性は手に汗握り事を急き、男性はやり場のない高揚感を抑えきれずにソワソワする。
想い人が心の中に棲む人にとっては、少し特別な日だ。
「また訳のわからないイベントに、ジャパニーズは翻弄されおって。つくづく平和な国であるな。」
コーディアス像の前に、小綺麗な紙袋を大切そうに抱えた少女が陣取っている。
少女の顔立ちはまるでヨーロピアンのようで、鼻筋が通り、肌もマシュマロのように白い。
彼女は2時間以上もコーディアス像の前に佇(たたず)んでいた。
「おやおや、待ちぼうけかい?ジャパニーズ・ガール。
…ん?コーナ!?君はまさか…コーナなのか?
いやいや、そんなはずはない。
コーナはもう死んだんだ。」
ヘンリー・コーディアス公爵には妻がいた。
その名は
コーナ・イェーン。
コーナはコーディアス公爵が日本へと旅立つひと月前に結核で亡くなった。
コーナは日本の絵画の中に見た、寂れた山の姿に恋し、憧れた。
コーディアス公爵はコーナの遺志を追い、日本に来ていた。
ヘンリー・コーディアス像の目の前にいた少女は、コーナ・イェーンの顔そのものであった。
「こんなところでコーナの生まれ変わりと出逢えるとは!
コーナ、やはり君もジャパンに来ていたのか!」
少女は苛立っていた。
「あー!もう!ありえない!どうして来ないの?
待ち合わせの時間、どれだけ過ぎたと思っているの?
せっかく、コージのためにマフラー編んできたのに!この1週間ずっと寝ないで編んだのに!
おかげで口内炎とかできちゃうし…」
「残念ながら君の恋は叶わないようだな。コージとやらは相当なプレイボーイなのか?」
「ねぇ!コーディアス!どう思う!?ありえなくない!?
せっかくこんなにかわいいアタシが2時間以上も待ってあげてるのに!」
「…?私に話しかけているのか?
コーナ、…いや、ジャパニーズ・ガール。
確かに君はプリティだか、私は話すことなどできないのだぞ?」
「わかってるよ!アンタが喋れないのは!
でも今のアタシにはアンタしかいないの!
とりあえず愚痴聞きなさいよ!」
「ハハハ…参ったな。
どちらにしろ私は逃げも隠れもできない。
付き合うよ、プリティ・ガール。」
2人の会話はまるで生きた人間同士のように噛み合っていた。
勿論、実際に話しているのは、少女だけ。
口のきけないコーディアスにたたみかけていた。
やがて、少女の怒りも収まってきた。
「はあ…結局コージは来なかったわ。
こんなにかわいいアタシを放っておくなんて、罪な男よね…
そうだ、コレ、アンタにあげるわ。」
少女はコーディアス像の首に、自分で編んだマフラーを、まるで子どもに巻いてあげるかのように、優しく巻いてあげた。
マフラーの結び目には「K」の文字。
「結び目に K って見えるようにするの、大変だったんどからね。何度も編み直して…
でも、ちょうどアンタも K から始まるし、いいでしょ?」
「…ああ。ありがとう。本当にありがとう。
私は H から始まるが、そんなのは関係のないことだ。
君が私をコーディアスと呼んでくれるのだから。
大切にするよ。」
「…コーナ。君なんだろう?
この少女に宿っている、心に秘めた優しさは、君のそれと同じだ。」
「…うん。いいじゃん、いいじゃん!似合ってる!
じゃ、アタシ帰るね。またね!
たくさん、愚痴聞いてくれて…アリガト。」
少女は駅の改札へと走り去って行った。
「コーナ、僕は君にずっと心を奪われたままであるようだ。
あたたかい。とっても幸せな気持ちだよ。
ジャパンの、不思議なイベントも捨てたもんじゃない。」
口を真一文字に結んでいるはずのコーディアス像の口角は、心做(な)しか上がっているように見えた。
(終)
珍しくもファッションのお話。
ファッションという言葉が
あまねく世に拡がっているのでこの言葉を使いますが、
僕が衣服に求めているものは、
自分を自分として街中で演じ抜くための衣裳としての役割です。
それはそのまま見てくれを良くするとか、女性に好意を持たれたいとかにつながっていくことになるのかも知れませんが。
最低限、流行はおさえないといけないよね
などとはまったく思えないですが、
世に流通するものがすでに流行の影響を受けているために
価値観がある程度調整されているのかもしれないと思うことがあります。
雑誌など読んでも
体型や国籍からくる見た目の良さ
が暗に示されているようで、なんともストレスを感じざるを得ないことも。
そうなると、生身の人間の服装からヒントを得るのがもっとも現実的で、
町行く人や先人達の普段の姿を見るとすごく良い刺激をもらえるという答えに行き着くところです。
どうしてこんな話題になったかと言うと、
楠世蓮さん
というモデルで女優の方を女性の方々にご紹介してみたかったからであります。
とにかくかわいらしくて、それでいて落ち着いた雰囲気を兼ね備えていらっしゃる。
世蓮さんはアメーバブログでブログを書いていらっしゃって、その文や内容もかなり洗練されています。
僕は女性向け雑誌を読む機会がないので
もしかすると女性の方々なら皆さんご存知かも知れませんが、改めてcheck it out!してみてください。
ファッション雑誌が合わないな、と感じたら是非調べてみていただきたいです。
ここまで書いてみて、男のくせになに言ってんの?
と僕の中の'リトル夢と希望宅配便'がキツく問いかけてくるのでここまでにしておきます。
読んでくれてありがとうございました!
ファッションという言葉が
あまねく世に拡がっているのでこの言葉を使いますが、
僕が衣服に求めているものは、
自分を自分として街中で演じ抜くための衣裳としての役割です。
それはそのまま見てくれを良くするとか、女性に好意を持たれたいとかにつながっていくことになるのかも知れませんが。
最低限、流行はおさえないといけないよね
などとはまったく思えないですが、
世に流通するものがすでに流行の影響を受けているために
価値観がある程度調整されているのかもしれないと思うことがあります。
雑誌など読んでも
体型や国籍からくる見た目の良さ
が暗に示されているようで、なんともストレスを感じざるを得ないことも。
そうなると、生身の人間の服装からヒントを得るのがもっとも現実的で、
町行く人や先人達の普段の姿を見るとすごく良い刺激をもらえるという答えに行き着くところです。
どうしてこんな話題になったかと言うと、
楠世蓮さん
というモデルで女優の方を女性の方々にご紹介してみたかったからであります。
とにかくかわいらしくて、それでいて落ち着いた雰囲気を兼ね備えていらっしゃる。
世蓮さんはアメーバブログでブログを書いていらっしゃって、その文や内容もかなり洗練されています。
僕は女性向け雑誌を読む機会がないので
もしかすると女性の方々なら皆さんご存知かも知れませんが、改めてcheck it out!してみてください。
ファッション雑誌が合わないな、と感じたら是非調べてみていただきたいです。
ここまで書いてみて、男のくせになに言ってんの?
と僕の中の'リトル夢と希望宅配便'がキツく問いかけてくるのでここまでにしておきます。
読んでくれてありがとうございました!
非リア充(使い方合ってます?)の僕にとっては商業的イベントであると信じたくてやまないお菓子の祭典に向けて、各媒体が賑わいを見せていますね。
ウラヤマシイ。
チョコレートはビター派です。あ、一応言っておくだけです。
男女関係のお話でも。
(この記事では、なにがなんでもあまーいキーワードは使わない方針で書きます。意地っ張り。)
ここ最近はブログを拝見するだけになってしまうことが多いのですが、知り合いの方であれ、そうでない方であれ、
「思い通りにはいかないものよね」
という意見が主流で、僕自身もまったく同意するところであります。
高校の古文の教科書を繙(ひもと)いてみても、男女の逢瀬には必ずと言っていいほど
一難去ってまた一難。諸行無常。穏やかならないものよね。
など心の機微に通じる場面が見つかります。先人たちも通ってきた道というわけです。
自分にとって特別な人にとって特別な人がいるんだろうな。
それが自分だったらいいのにな。
またあの人と話してる。楽しそう。
やっぱり自分じゃダメなのかな?
ほろ苦く、切ない叫び。
勝手に引用することになってしまいますが、最近いちばんグッときたのは
「笑顔を見たいし、笑顔の理由になりたい」
という一言です。
やはり人を慕う気持ちというのはきわめて主体的なもの、言わば自分が主人公の物語であって、束の間の甘い気分に酔いしれることもあれば、急転直下、悲劇の主人公になることだってある。
失意の底に沈みながらも、メランコリーな気分に少し陶酔している自分がいることもある。
いろいろな感情に心を乱されるけれど、変わらないこともあって。
それは、いつだって自分が主体であること。
自我という意味での「エゴ」がいつも根底にある。
自らの情事について詳細を語るのはとても恥ずかしいことだけれども、胸の奥に居座るモヤモヤを、どうにかして吐き出したい。
そんな思いが呟きなりブログなりに映し出されているのを見ると
いいねなんていらないし、コメントなんてなくたっていい!
と言っているような、
欲求や不満を言葉というエネルギーに変換して、ぶつけてやる!
とアクションしているような、圧倒的な主体性を感じます。
ジェットコースターよりもドキドキで、小説やドラマよりも素敵な、自分だけの物語。
自分で何かを創り上げていく過程は大変なこともあるけれど、とても楽しいものだと思います。
自分が主人公の物語ですよ!
なんだかワクワクしてきませんか?
苦くても甘くても、
素敵なものになるに違いない!
きっとそうです。
だからこそ、夢中になるしかない!
恋せよ人類!
(↑恋って使っちゃった!)
読んでくれてありがとうございました!
ウラヤマシイ。
チョコレートはビター派です。あ、一応言っておくだけです。
男女関係のお話でも。
(この記事では、なにがなんでもあまーいキーワードは使わない方針で書きます。意地っ張り。)
ここ最近はブログを拝見するだけになってしまうことが多いのですが、知り合いの方であれ、そうでない方であれ、
「思い通りにはいかないものよね」
という意見が主流で、僕自身もまったく同意するところであります。
高校の古文の教科書を繙(ひもと)いてみても、男女の逢瀬には必ずと言っていいほど
一難去ってまた一難。諸行無常。穏やかならないものよね。
など心の機微に通じる場面が見つかります。先人たちも通ってきた道というわけです。
自分にとって特別な人にとって特別な人がいるんだろうな。
それが自分だったらいいのにな。
またあの人と話してる。楽しそう。
やっぱり自分じゃダメなのかな?
ほろ苦く、切ない叫び。
勝手に引用することになってしまいますが、最近いちばんグッときたのは
「笑顔を見たいし、笑顔の理由になりたい」
という一言です。
やはり人を慕う気持ちというのはきわめて主体的なもの、言わば自分が主人公の物語であって、束の間の甘い気分に酔いしれることもあれば、急転直下、悲劇の主人公になることだってある。
失意の底に沈みながらも、メランコリーな気分に少し陶酔している自分がいることもある。
いろいろな感情に心を乱されるけれど、変わらないこともあって。
それは、いつだって自分が主体であること。
自我という意味での「エゴ」がいつも根底にある。
自らの情事について詳細を語るのはとても恥ずかしいことだけれども、胸の奥に居座るモヤモヤを、どうにかして吐き出したい。
そんな思いが呟きなりブログなりに映し出されているのを見ると
いいねなんていらないし、コメントなんてなくたっていい!
と言っているような、
欲求や不満を言葉というエネルギーに変換して、ぶつけてやる!
とアクションしているような、圧倒的な主体性を感じます。
ジェットコースターよりもドキドキで、小説やドラマよりも素敵な、自分だけの物語。
自分で何かを創り上げていく過程は大変なこともあるけれど、とても楽しいものだと思います。
自分が主人公の物語ですよ!
なんだかワクワクしてきませんか?
苦くても甘くても、
素敵なものになるに違いない!
きっとそうです。
だからこそ、夢中になるしかない!
恋せよ人類!
(↑恋って使っちゃった!)
読んでくれてありがとうございました!