非リア充(使い方合ってます?)の僕にとっては商業的イベントであると信じたくてやまないお菓子の祭典に向けて、各媒体が賑わいを見せていますね。
ウラヤマシイ。
チョコレートはビター派です。あ、一応言っておくだけです。
男女関係のお話でも。
(この記事では、なにがなんでもあまーいキーワードは使わない方針で書きます。意地っ張り。)
ここ最近はブログを拝見するだけになってしまうことが多いのですが、知り合いの方であれ、そうでない方であれ、
「思い通りにはいかないものよね」
という意見が主流で、僕自身もまったく同意するところであります。
高校の古文の教科書を繙(ひもと)いてみても、男女の逢瀬には必ずと言っていいほど
一難去ってまた一難。諸行無常。穏やかならないものよね。
など心の機微に通じる場面が見つかります。先人たちも通ってきた道というわけです。
自分にとって特別な人にとって特別な人がいるんだろうな。
それが自分だったらいいのにな。
またあの人と話してる。楽しそう。
やっぱり自分じゃダメなのかな?
ほろ苦く、切ない叫び。
勝手に引用することになってしまいますが、最近いちばんグッときたのは
「笑顔を見たいし、笑顔の理由になりたい」
という一言です。
やはり人を慕う気持ちというのはきわめて主体的なもの、言わば自分が主人公の物語であって、束の間の甘い気分に酔いしれることもあれば、急転直下、悲劇の主人公になることだってある。
失意の底に沈みながらも、メランコリーな気分に少し陶酔している自分がいることもある。
いろいろな感情に心を乱されるけれど、変わらないこともあって。
それは、いつだって自分が主体であること。
自我という意味での「エゴ」がいつも根底にある。
自らの情事について詳細を語るのはとても恥ずかしいことだけれども、胸の奥に居座るモヤモヤを、どうにかして吐き出したい。
そんな思いが呟きなりブログなりに映し出されているのを見ると
いいねなんていらないし、コメントなんてなくたっていい!
と言っているような、
欲求や不満を言葉というエネルギーに変換して、ぶつけてやる!
とアクションしているような、圧倒的な主体性を感じます。
ジェットコースターよりもドキドキで、小説やドラマよりも素敵な、自分だけの物語。
自分で何かを創り上げていく過程は大変なこともあるけれど、とても楽しいものだと思います。
自分が主人公の物語ですよ!
なんだかワクワクしてきませんか?
苦くても甘くても、
素敵なものになるに違いない!
きっとそうです。
だからこそ、夢中になるしかない!
恋せよ人類!
(↑恋って使っちゃった!)
読んでくれてありがとうございました!