BLEACH COLOR EYES -33ページ目

タラレバ

目標とか、目的や先に望む理想や希望は、今は現にある問題点を改善しようとしながら、色々と思いを巡らせて試行錯誤しながら、現状を省みていくことから生じることだったりする。


もちろんそれには、確固たる思いや計画、事実行動していること、あるいはお膳立てがある程度必要なことがほとんどだが、また別にある程度「~たら・~れば」ということから生じることもあるのではないだろうか。


実生活において何もせず、たらればを言うのであればまた話は違ってくるのだろうが、あたかもそれが全くもって悪い考えみたいに言われるのは違うと思う。




みんな、ある程度たらればの希望や、それこそ可能性を信じて生きている。

それなのに、そう言ってしまうと、それが悪いと言われる。

批判を受ける。



確かに今はそうじゃないのかも知れない。
完璧ではないだろう。


だから、それ以前に堪え得るべきところで戦うのに、今そうじゃないから切り捨てるのだろうか。



人間の繋がりや絆、積み重ねた年月やその中での営み、経験は、希望することで全て無に還るのだろうか。



そうであるのなら、何故に、それこそ「タラレバ」を並べ立てて、理由にするのか。



理解が出来ない。




同じことを何度も繰り返すのは、人間なんだから仕方ないし責めることではない。



ただ、理不尽な理由で一人の人間を切り捨てるようなことを言っても、立場が違うというだけで、許されるのだろうか。










手前勝手な事情と、虫の居所の悪さだけで時間さえも越えて、傷つけることが許されるのだろうか。




一つ一つ、思い返しながら、どうしても飲み込めないならそのまま伝えればいい。



タラレバ人間はダメらしい。



でもそれはみんな一緒だ。


そう思うから、苦しいことに堪えられるのに。




そう言うのであれば、まず自分がそれを示して欲しい。







俺はタラレバ人間で、それが故にダメらしい。








もしかしたら、それは最大の賛辞かも知れない。

俺という存在は本当に虚しい

優しい音楽

夜の帳が降りて、街は優しく眠りに落ちる時。


少しのアルコールに酔って、窓の外を眺めると、遠くからサイレンが聞こえた。


僕は、ゆっくりと酒を傾けてタバコに火をつける。




少し考えるに、もしかしたら疲れたのかも知れない。
でも、胸をはれるものもない。

わがままで飛び出して、関西でもう10年が経った。


親は、少しだけ年老いて弱くなった。



僕は何を残せただろう。父も母も、今は元気にしているが、もしかしたら解らない。











僕は何ができただろう。何をできなかっただろう。してこなかっただろう。



僕は一体何だろう。




父母を、今、少し、想い、少し、切なくなった。







それでも、強く、ただ強く想う気持ちがある。




もう少しだけ、わがままを言わせてもらって、ここにいたい。





繋がる確かな友がいる。

今、それが本当にありがたい。













だから、せめて奏でたいんだ。



誰が聴くでもなくても…