女性の自立 VS 良妻賢母 論争 | 新労社 おりおりの記

女性の自立 VS 良妻賢母 論争

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高校時代、保健体育の時間に先生から「女性はいたわるべきものである」と教えられたものでした。男がおごるべきか、女が家庭に入るべきか、という論争は、男女雇用機会均等、セクハラは犯罪、ネットスマホの世の中になっても、21世紀も四半世紀を経ようとしていても、依然として行われ、結論が出ないようですね。

 

異性それぞれの役割をどうするかは、人類の永遠の課題かもしれません。

 

母性保護論争

 

ここで100年以上前、大正中期、女性の地位がまだまだイエ中心だった時代、デモクラシーと女性の役割の論争が、当時知識も実績も一流の「モノ言う女性」たちによってなされているのです。争点は女性が仕事と育児を両立できるか?です。テレビもなく、ラジオですら未完成の時代、女は自立だ!いや家庭と仕事の両立には国家の保護が必要だ!という論争が大々的に行われました。

 

教科書に載ってる人もいますがこの4人、当たり前ですがとにかくスゴイ連中、今日でも思想にいささかも色あせない歴史上の偉人です。当時の「女性はこうあるべき」という論議と戦う共通点があっても決して同じ主張でなく、これだけの意見の違いがあったというところがスゴイのです。

 

・与謝野晶子・・・女性の自由・自立論。

 

ご存じ「きみ死に給うことなかれ」「柔肌の熱き血潮に触れもせで」の型破りで自由な流行詩人。論争では国家による母性保護を「奴隷の依存主義」と難じ、国家の支援を否定し、女性自ら育児と仕事の両立は可能、としました。

 

略奪愛で結婚した詩の師匠、与謝野鉄幹と11人もの子を作り、政治に走って稼げないダンナを含め養って猛烈に働き、子育てし、優れた作詩、文章を多々出しました。毀誉褒貶もすごかったのですが文壇の重鎮にすら堂々反論し、自分の気持ちを素直に歌う“詩人道”を貫きとおしました。

 

 

・平塚らいてう・・・女性の参政論、国家保護主義。

 

女性の権利を初めて高らかに主張したヒト。文学的な追求から青鞜社という組織を初めて作り、迫害や偏見にめげずに「新しい女」を主唱しました。恋愛の自由と、それに相反するように見える母性の確立があってこそ女性の自由と独立を勝ち取れる、と主張しました。

 

論争では妊娠・出産・育児は国家によって保護されるべきと主張し「母性中心主義」を唱えました。女性の政治的な権利獲得に邁進しましたが、従来の結婚制度や「家」制度をよしとせず、結婚し子供もできましたが、同姓にせず、ダンナと分家して戸主となり、2人の子供を私生児として自らの戸籍に入れています。

 

 

・山川菊栄・・・女性の平等は社会主義によって実現される。

 

江戸期の儒学者、士族の家系。選挙で「ご婦人禁止」に衝撃を受けるやや古い教養あるお嬢様だったのが、社会主義者と結婚し、女性差別にさらにさらされ、すっかり婦人運動の先頭に立つヒトになりました。

 

論争では社会主義の立場から「みんな平等」になって初めて、女性の解放が実現されると説きました。「日本は実は最も成功した社会主義国だった」の論を待たず、戦後まもなく保守革新のバランス感覚を買われ、招聘されて労働省の局長になっています。

 

 

・山田わか・・・女性のセーフティ・ネットとして国家が助けるべし。

 

豪農の娘で自由を求めて守銭奴ダンナと離婚してアメリカへ行ったはいいものの、だまされて苦界に身を沈めました。しかしキリスト教会に救われて再婚し、国による母性保護を主張する平塚らいてうとともに青鞜社の一員でした。その解散後は新婦人協会を立ち上げ、はっきりと女性解放を主にした団体になりました。

 

主張はらいてうと同じですが、若いころに苦界を経験した、しかし国家の助けのない外国でキリスト教に救われたというところが違うのです。自立のために国がより積極的に助けるべき、最悪の苦界に陥らないうちに、というスタンスですね。

 

(山田嘉吉、わか夫妻)

 

この論争はちょうど大正デモクラシーのころ。男性だけの自由民権運動とは違って、女性にも参政権をという気持ちが盛り上がり、それにつれて女性も変わらなければならない!というのが議論の発端でした。女性解放とは戦いで自由を勝ち得るものか?それとも国家が自由を保障するものなのか?

 

スマホネットもない時代、話題になるようなススんだ女性というのは、パーソナルな恋愛沙汰でさえも派手でした。しかし組織を整え文集を出し、おカネだけに拠らず大いに活動する勇気もあった頭のいい才媛たちだったのです。

 

現在でもこのような、女性に自由を!いや国家がもっと保護せねば!という論争はややレベルを落として「男女でおごるべきかおごらないべきか」などという泥仕合がネット中心で行われています。ただ基本はこの「母性保護論争」からそれほど変わっていないかと思います。

 

現在は国家がないから不毛の理論になるので、国家を議論に入れて、自由と国家とは両立する、だから女性の議員を増やそうというのは真実を穿っているのです。それは与謝野晶子も平塚らいてうも主張は同じです。

 

ただ現在はよりかわいそうなヒトも置いてきぼりにしない、山田わかのような主張が主で、女性のための各種給付や助成金が行われています。国家とは何のためにあるか?男女の違いをはじめとした多様な国民をまとめ上げることも国家の存在意義です。

 

(令和6年3月現在、国の施策)

 

思えばこの論争は帝国主義時代の末期にあって、その進歩体、福祉国家への端緒だったでしょうね。今日育児休業給付や仕事と育児介護の両立支援等助成金などの福祉が手厚いのも、少子化への対策(昔は兵士を増やす、今は労働を減らす)でしょうけれども、私自身はこの論争に参加した彼女たちの弟子筋、市川房枝議員たちの行動した「選択肢の多々ある女性の人生」を支持したいですね。

 

自立独行もよし、福祉に頼るのも、専業主婦もまたよし、ただ国民が税金を払って維持する自分たちの国家が支援しないと少子化で令和現在のようなことになるぞ、という政治家の役割の強調です。

 

国家でもオトコでもオンナでも依存もできるし、独立したいヒトも希望する人生を歩める、ただ個人が確立した自立心あっての物種だ、知識も教養もないと、特に国家制度や法律で何を選んだらいいのかわからなくなるぞ、というところは、女性に限らず、大正の昔も令和の今も変わらないと思うのです。人民は痴呆状態でなすがまま、徴税権だけある独裁者が一方的に面倒を見る、というのならば、国家は要りません。

 

異次元の少子化対策に「産めよ増やせよ」という戦時中の標語が取り入れられないのは、出産という女性しかできないことと、女性以前に一人の人間としてどう幸せに生きるか?という課題の解釈の多様化が進んでいるからですね。おカネや家族以上の幸せもあり得るし、尊重すべきだ、という価値観が少子化対策を進めるうえで一番注意しなければならないところです。